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週末でどこまで歩み寄れるか 2
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仕事の呼び出し電話はよくあることなのだが、苛立ったのはあまり記憶にない。
我ながらちょっと異常だと思う、執着心。何かが、引っかかる。彼女が恩義に感じているらしい階段落ちなんかではない、何かが。
仕事を片付けて、急いで帰り際。スタッフにこの時間に買えるランジェリーショップがあるか問いかければ、ぽかんとした顔をされた。
立場が逆なら、同じような反応をするだろうことを言っている自覚はあったから、大目に見てやる。
本当は、服も用意したいが、あの反応だと拒絶がひどくなるだけのような気がする。となれば、明日はまず絢佳の部屋に行って荷物をピックアップして、引き払う手続きをして、それから指輪だな、と予定を組む間に、面食らっていたスタッフが店を見つけて伝えてよこす。
「…お邪魔しましたか」
「ああ、非常に。今日、婚姻届を出すはずだったんだが、…帰ったら日付が変わるな」
「…えぇ!?」
スタッフの叫び声はもう、後にしてきた扉の向こうにくぐもっていた。
確かに寝ていろ、とは言ったが。
あの状況ではなんだかんだ、眠れずにいるかと思っていた天羽は、自分が放り投げた場所からほぼ動いていない状態で寝息を立てる絢佳を茫然と見下ろした。動いていないのは、他人の場所だという遠慮か何かなのか。
それにしても。
(この寝顔で37歳って…嘘だろ)
気配を感じたのか、少し身動ぎをした拍子にさらさらと髪が頬を滑り落ちて。先ほど触れた髪はとても心地良くて、ついつい、手入れに力が入ってしまった。
煩悩を払うようにシャワーを浴びて、天羽は絢佳が眠っている寝室に戻る。
微動だにしていないのが心配になって口元に手を寄せれば、確かに規則正しく呼吸をしていて。そんな自分に苦笑した。
先ほど、想像もしない理由で拒絶をしてくれたけれど。まあ、女性だし気になるのだろうけれど。いや、普段ならその程度の身嗜みを、と天羽自身、眉を顰めただろうけれど。
それほど気になって、それほど面倒なら、別に医学的に片付けてもいいしなぁ、と思いながら、細い腕を指で辿る。
先ほど、いとも簡単に片手で両腕をまとめて押さえてしまえた、細い腕。確かに天羽の手は大きいけれど。それにしたって、細いな、と思う。
触れていることが心地良くて、ベッドに腰掛けたまましばらくさすっていれば、ようやく少し、絢佳が寝返りをうった。その拍子にはだける胸元を反射的に整えてしまって、なぜ、とそれをやった自分の手を見つめる。
考えるのは、やめよう、と天羽は寝入っている絢佳の隣に横になる。きっと自分のことを年上だと思っているだろうけれど。
(綾部の同級生って、言ったしなぁ)
同級生だけど、綾部がおかしなことをしていたから、歳はだいぶ違う。綾部も若作りなのと、天羽はこの態度なので、案外気づかれない。大学卒業した後でまた他の大学に入り直したって、物好きなやつだよなぁ。と。
ただそれで、綾部が絢佳の職場の後輩だというのなら、絢佳も転職でもしたのだろうな、と。天羽は3歳年上のお姉様を抱き寄せ、危機感もなく平和な寝顔を見下ろした。
(年上、ねぇ)
まあ。
こんな美味しいシチュエーションに先ほどお預けを喰らった体が簡単に反応を示すけれど、絢佳の反応を見られないのは、面白くないと押さえ込む。
自分と同じ香りがする髪に鼻先を埋めれば、不思議なほどに心地よい眠気が襲ってきた。
そして。
目を覚ました絢佳は、すぐには状況を思い出せず、しばらく固まる。
待ちきれずに、天羽が呆れた声をかけてしまうほどには固まっていた。
「おい、息してるか?」
「!?」
反射的に勢いよく離れようとするが、しっかりと抱きこまれていてそれは不可能で。
「な、え」
「オレのベッド。いや、オレたちのベッドだな。何が悪い」
「…夢でも気の迷いでも」
「ないぞ?」
力つきた絢佳に、呼び出された仕事帰りに買ってきたランジェリーをわたし、服はどうするか、と思いながら、尋ねる。
「オレので着れそうなのを、とりあえず着るか?」
「…お借りしてもいいですか?いや、人が着たのとかもう無理とかでしたら、買い取るので、お安いのでお願いします」
「アホなの?」
呆れながら、まあおかしくないだろうデザインのシャツと短パンを渡す。
どっちもダボダボだけれど、まあ部屋着で寛いでいると思える範囲で。しかもそれが自分の服だというのが。
控えめに言っても、たまらない。
だが、とりあえず、やることをやらねば。欲求に流されれば、また話が滞る、と天羽は絢佳を連れて地下駐車場に降りる。
「家、どこ?」
送ってくれるのかな、などとなぜか思って素直に住所を伝えてナビに入れた絢佳は、まだこれを現実と理解しきれていなかったということなのだろう。
そのまま連れていかれ。
上がり込んだ天羽が勝手に選んだ服に理解がついて行かずに混乱したままとりあえず着替えている間に、天羽は絢佳の最低限必要な服や何かを簡単にパッキングして、自分の車に積み込み、その場で何かを手配している。いや、何を勝手に人の衣装ケースを開けてるんですか?と言うか、あちこち覗いてるんですか?
「…天羽さん?」
何を?と着替え終わった絢佳が問えば、何を呑気な、という顔で見下ろされた。
「ここ、引き払って荷物を向こうに運ぶ手配」
「は!?」
手際がいいにも程があるというか、こちらを無視するのもここまでくると、ひどくないか?と思うが、考えてみれば、あんなではあっても、天羽はきちんと絢佳にプロポーズをしているわけで。あれでも。悔しいからとりあえず、その言葉ばかり絢佳の頭に浮かぶ。あれでも。
印鑑も確保され、役所の休日窓口に連れていかれ。
(嘘だ…ほんとだったなんて)
なんだか矛盾した言葉が頭をぐるぐる回る絢佳は、呆然としている間に婚姻届の提出に至り、さらに移動してなんだか気難しそうな、無骨なおじさんの前で天羽に指輪はどんなのがいいか聞かれ、ほぼ反射的に答えていた。
「シンプルなので。そして、安いので。わたし、すぐなくしちゃいそうなんで」
「ここまで色気のないおねだりされるとは」
呆れた天羽の向こうで、気難しそうなおじさんの眉間に、さらに気難しげなシワが深く深く、刻まれた。
我ながらちょっと異常だと思う、執着心。何かが、引っかかる。彼女が恩義に感じているらしい階段落ちなんかではない、何かが。
仕事を片付けて、急いで帰り際。スタッフにこの時間に買えるランジェリーショップがあるか問いかければ、ぽかんとした顔をされた。
立場が逆なら、同じような反応をするだろうことを言っている自覚はあったから、大目に見てやる。
本当は、服も用意したいが、あの反応だと拒絶がひどくなるだけのような気がする。となれば、明日はまず絢佳の部屋に行って荷物をピックアップして、引き払う手続きをして、それから指輪だな、と予定を組む間に、面食らっていたスタッフが店を見つけて伝えてよこす。
「…お邪魔しましたか」
「ああ、非常に。今日、婚姻届を出すはずだったんだが、…帰ったら日付が変わるな」
「…えぇ!?」
スタッフの叫び声はもう、後にしてきた扉の向こうにくぐもっていた。
確かに寝ていろ、とは言ったが。
あの状況ではなんだかんだ、眠れずにいるかと思っていた天羽は、自分が放り投げた場所からほぼ動いていない状態で寝息を立てる絢佳を茫然と見下ろした。動いていないのは、他人の場所だという遠慮か何かなのか。
それにしても。
(この寝顔で37歳って…嘘だろ)
気配を感じたのか、少し身動ぎをした拍子にさらさらと髪が頬を滑り落ちて。先ほど触れた髪はとても心地良くて、ついつい、手入れに力が入ってしまった。
煩悩を払うようにシャワーを浴びて、天羽は絢佳が眠っている寝室に戻る。
微動だにしていないのが心配になって口元に手を寄せれば、確かに規則正しく呼吸をしていて。そんな自分に苦笑した。
先ほど、想像もしない理由で拒絶をしてくれたけれど。まあ、女性だし気になるのだろうけれど。いや、普段ならその程度の身嗜みを、と天羽自身、眉を顰めただろうけれど。
それほど気になって、それほど面倒なら、別に医学的に片付けてもいいしなぁ、と思いながら、細い腕を指で辿る。
先ほど、いとも簡単に片手で両腕をまとめて押さえてしまえた、細い腕。確かに天羽の手は大きいけれど。それにしたって、細いな、と思う。
触れていることが心地良くて、ベッドに腰掛けたまましばらくさすっていれば、ようやく少し、絢佳が寝返りをうった。その拍子にはだける胸元を反射的に整えてしまって、なぜ、とそれをやった自分の手を見つめる。
考えるのは、やめよう、と天羽は寝入っている絢佳の隣に横になる。きっと自分のことを年上だと思っているだろうけれど。
(綾部の同級生って、言ったしなぁ)
同級生だけど、綾部がおかしなことをしていたから、歳はだいぶ違う。綾部も若作りなのと、天羽はこの態度なので、案外気づかれない。大学卒業した後でまた他の大学に入り直したって、物好きなやつだよなぁ。と。
ただそれで、綾部が絢佳の職場の後輩だというのなら、絢佳も転職でもしたのだろうな、と。天羽は3歳年上のお姉様を抱き寄せ、危機感もなく平和な寝顔を見下ろした。
(年上、ねぇ)
まあ。
こんな美味しいシチュエーションに先ほどお預けを喰らった体が簡単に反応を示すけれど、絢佳の反応を見られないのは、面白くないと押さえ込む。
自分と同じ香りがする髪に鼻先を埋めれば、不思議なほどに心地よい眠気が襲ってきた。
そして。
目を覚ました絢佳は、すぐには状況を思い出せず、しばらく固まる。
待ちきれずに、天羽が呆れた声をかけてしまうほどには固まっていた。
「おい、息してるか?」
「!?」
反射的に勢いよく離れようとするが、しっかりと抱きこまれていてそれは不可能で。
「な、え」
「オレのベッド。いや、オレたちのベッドだな。何が悪い」
「…夢でも気の迷いでも」
「ないぞ?」
力つきた絢佳に、呼び出された仕事帰りに買ってきたランジェリーをわたし、服はどうするか、と思いながら、尋ねる。
「オレので着れそうなのを、とりあえず着るか?」
「…お借りしてもいいですか?いや、人が着たのとかもう無理とかでしたら、買い取るので、お安いのでお願いします」
「アホなの?」
呆れながら、まあおかしくないだろうデザインのシャツと短パンを渡す。
どっちもダボダボだけれど、まあ部屋着で寛いでいると思える範囲で。しかもそれが自分の服だというのが。
控えめに言っても、たまらない。
だが、とりあえず、やることをやらねば。欲求に流されれば、また話が滞る、と天羽は絢佳を連れて地下駐車場に降りる。
「家、どこ?」
送ってくれるのかな、などとなぜか思って素直に住所を伝えてナビに入れた絢佳は、まだこれを現実と理解しきれていなかったということなのだろう。
そのまま連れていかれ。
上がり込んだ天羽が勝手に選んだ服に理解がついて行かずに混乱したままとりあえず着替えている間に、天羽は絢佳の最低限必要な服や何かを簡単にパッキングして、自分の車に積み込み、その場で何かを手配している。いや、何を勝手に人の衣装ケースを開けてるんですか?と言うか、あちこち覗いてるんですか?
「…天羽さん?」
何を?と着替え終わった絢佳が問えば、何を呑気な、という顔で見下ろされた。
「ここ、引き払って荷物を向こうに運ぶ手配」
「は!?」
手際がいいにも程があるというか、こちらを無視するのもここまでくると、ひどくないか?と思うが、考えてみれば、あんなではあっても、天羽はきちんと絢佳にプロポーズをしているわけで。あれでも。悔しいからとりあえず、その言葉ばかり絢佳の頭に浮かぶ。あれでも。
印鑑も確保され、役所の休日窓口に連れていかれ。
(嘘だ…ほんとだったなんて)
なんだか矛盾した言葉が頭をぐるぐる回る絢佳は、呆然としている間に婚姻届の提出に至り、さらに移動してなんだか気難しそうな、無骨なおじさんの前で天羽に指輪はどんなのがいいか聞かれ、ほぼ反射的に答えていた。
「シンプルなので。そして、安いので。わたし、すぐなくしちゃいそうなんで」
「ここまで色気のないおねだりされるとは」
呆れた天羽の向こうで、気難しそうなおじさんの眉間に、さらに気難しげなシワが深く深く、刻まれた。
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