DAMMY

麦野 ざく

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属星 序

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もう何時間経っただろうか。
頭上では、未だにギシギシと音を立てて誰かが歩き回っている。足音から少なくとも二人は居るはずだろうと推測するが、会話も無ければ呼吸音さえ良く聞こえないのが明らかに不気味だった。当の私と言えば、床に着いた腕は震えて口すらまともに塞げない程だと言うのに。大人のあいつらは余裕そうなのには到底腹が立つ。

(今私がすべきことは何だ……?脱出か?攻撃か?待機か?それとも……)

頭の中で羽虫が舞っているようだ。ぐるぐる、と思考を巡らせる音すら聞こえてきそうだった。頭痛がする。
その日はクリスマスの三週間前、雪も降り積もり冷え込みが本格的になった頃だった。

何時間ぶりかの人の声を聞いた。

「おい、何をモタモタしてる?早く処理しなくていいのか」
「まだこの家には一人居るだろう。帰ってくるのを待ってからの方が効率的だ」
「女のガキだろうが。居たって何の役にも立ちゃしねえ。体は小せぇ上に細身じゃ労働力の足しにもならねえよ」
「だからこの場で殺しゃいい。お荷物が減って帰りも楽だ」
「成程な。お前は相変わらず慈悲の心が無い」
「今は戦時中だぞ?敵相手に慈悲なんざ抱えてたら丸め込まれて袋叩きにされるのがオチだ。女子供だろうが容赦しちゃ居られねえんだよ」

──なんとむごい会話か。

放心、憎悪、そして煮え滾るような殺意。額の辺りで、血管がぶちぶちと切れていく感覚がした。これは幻聴か、それとも実音か。そんなことはどうでもいい。今私にあるのは、『絶対に許さない』という大人への敵対心のみだった。床を掻き毟った指先から血が出る。母も姉も、きっと同じ色の血を流して死んだのだ。そう思うと、悔しくて堪らない。二人はどんな思いをして死んでいったのだろう……私は声を押し殺して泣いた。

血の塊を鼻から呑み込んだような不快感に襲われる。大人は、自分の護身のためならこんなに汚くなれるのかと失望さえ覚えた。
寒い床下の空きに何時間も潜んでいた私は、
『絶対に見つかってなるものか』
と、ポケットに入れたダガーナイフを握り締めた。大人相手に敵う筈もないのだが、無抵抗のまま惨めに殺されるのは私のプライドが許さない。そして……殺されたであろう、私の家族の為にも。

十二月ともなれば、床下は隙間風が冷たく吹き込んで来る。幸い私はウールのポンチョを着ていたが、もしこれが無ければと思うと恐ろしい。耐えられない程の寒さでは無かった。暖かいポンチョに身を包みながら、床(私から見たら天井だが)に耳を近づけて上の音を盗み聞きしていた。

「……おい、もう五時半だぞ?エレメンタリースクールの下校時間はとっくに過ぎてる筈だが、ここのガキは一向に帰って来ねえぞ」
「道草でも食ってんだろ。取り敢えず、ここの家は領地として乗っ取ったから良いんだよ。女のガキ一人だ、殺すのに梃子摺てこずる相手でもねえ」
「確かにな。それまでゆっくり待つとするかな……」

彼も、この言葉がまさか自分の遺言になるとは思いもしなかっただろう。

言い終わるか言い終わらないかの内に、乾燥したような銃声音が二発、鳴った。
凄まじい断末魔が耳に痛い。

(な、何だ今の……!?相撃ち……?)

心臓が騒ぎ立てているまま、私は再び耳をそばだてた。何か話している。

「スキーター家の子供はもう一人居るはずだ。絶対に見つけ出す、徹底的に探せ」
「了解。子供の情報は?」
「赤い髪にサファイア色の目をした女の子だ。今朝から連絡が途絶えていると担任から通報が入った。見つけ次第すぐに保護するぞ」
「赤い髪に青い目ですね。子供の名前は?」
「ジェシカ・スキーターと言った筈だ」

体の血液が一気に一周したような体温の上昇を覚えた。大人が私を探している?
無意識に口を塞ぐ。

「隠し扉があるかもしれないな。もし閉じ込められているなら、朝から約十五時間はその体制の筈だ。弱る前に見つけ出そう」
「そうですね。壁や床も探しましょうか」

まずい、非常にまずい。
大人は声を聞く限り最低でも二人は居る。そんな大人に、幼い私が力で勝てるはずがなかった。しかし、私にはナイフがある。どうにかして彼等を捩じ伏せることは出来ないのか。

ガコン、と頭上で嫌な音がした。光が漏れ、私の足元を照らす。普通嬉しい筈の十五時間振りの光は、私の死を意味していた。光の底で目が合ったのは、赤い眼をした金髪の女性だった。冷酷ともとれるような眼差しでこちらを見ている。

「……!」

焦点を合わせるように目を細めたあと、目を見開いて彼女は

「見つけた、スキーター家の子供だ!保護するぞ!!」

と叫んだ。命の危機だ、そう脳が叫んでいる。手に持ったナイフが震える。やるなら今しかない。

「ジェシカ・スキーターで間違いないな?長い間ここに居たようだったが、至って元気とは中々に芯の強い奴だ」

微笑みを浮かべたのだろうが、彼女の笑顔はどこか冷たさを感じさせた。伏せ目、硬そうな表情筋、皺の寄った眉間。赤く燃える目は、私を獲物として見ているような気がした。
彼女は私の頭に右手を伸ばす。

──咄嗟の判断だった。

「……!!」

伸ばされた手を弾き返すようにナイフを振り翳すと、ほぼ何の手応えも無く彼女の右手にナイフは貫通した。血が吹き出る。熟しすぎたソース用のトマトのような色をした血は、脈動に伴って波打った。
金髪の彼女は痛がるでもなく、驚くでもなく、ただ無機質な目でこちらを見ていた。少しばかり取り乱した様子は見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。

「……ノア、保護だ。必要であれば縄で縛れ。私は……取り敢えず止血をする。まだ子供だ、呉々くれぐれも手荒な真似はしないように」
「了解。ナイフはこちらで回収しておきます」

ノア、と呼ばれた大柄な彼は、私と同じ赤い髪をしていた。どこか親近感を覚えたが、やはり大人ともなれば流石に怖い。身長差の所為もあるが、私を見下している彼の目は
『よくも俺の上司の手を刺したな』
そう言っているようにも見える。
ここで殺されるのであれば自業自得という捉え方もできるとビクビクしていた時、彼がゆっくりと口を開いた。

「小さい女の子にこんなことしたくないけど……君の為だから、許してくれよ……」

言い終わるか言い終わらないかの内に、うなじに衝撃が走った。私があの家で最後に聞いた言葉は、彼のこの言葉だった。
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