妖(あや)し瞳の、艶姿

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愛(いと)し恋し、重ぬる想いの牡丹(ふかみ草) 【六】

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「……っ……は、ぁ……っ」


 声の限りに怒鳴り散らし、呼吸が荒い。


 しまった。やってしまった。上役を怒鳴りつけてしまった。


 たかだか六位の官位の私が、従四位下《じゅしいのげ》の頭《とうの》中将様を。


 堪えるべきだと理性ではわかっていたのに、感情がそれを許さなかった。


 しかし、これはいけない。幸い、周囲には誰も居ないとはいえ、早速お詫びをせねば……。


「――ほう、同じ意見か」


 え?


「まさか、ここで光成と意見が合うとはな。ふふっ」


 非礼な態度と物言いをお詫びしようとした、その時。目を細められた中将様が、くすりと微笑なされた。私の無礼を怒ってはおられないのだろうか。


「『建に乗り移ったほうは、体毛一本すら残させぬ』か。よく言った。光成」


 しかも、お叱りを受けるどころか、褒められている。


 そうして、わけがわからないまま立ちすくむ私の前で、とんっ、と扇の柄を手のひらで受けた相手が、にぃっと口角を上げる。


「私の可愛い部下を妖猫ごときに好《い》いようにされて、黙っていられるわけがないだろう? 建前は内裏《だいり》の安寧のためだが、これは蔵人頭《くろうどのとう》としての私怨でもある」


 そこに浮かんだのは、真っ黒な笑み。


「中将様……」


 それで、ようやく理解した。先ほど、中将様がおっしゃられたことの真意を。


 『二匹ともを必ず仕留める』というのは、私と同じ怒りからのお言葉だったのだ。


「必ず取り戻すぞ。建を」


「はいっ!」


 踵《きびす》を返し、再び歩み始められた御方に力強く同調し、付き従う。


 はいっ、必ず!


 相手が二匹に増えていようが、やることは何も変わらないのだ。


 けれど中将様。ひとつだけ、大事なことを申し上げておきます。


 建殿を最も心配し、取り戻したいと切望しているのは、この光成です。そこだけは、何があっても譲れません!









「あら、お兄様。桔梗の襲《かさね》をお召しなのですか? お珍しいですわね」


「撫子の君。まだ起きていたのか。もう遅いのだから、早く休みなさい」


 弓を引いてから寝ようと狩衣に着替えたところに、もう休んでいるはずの撫子が部屋にやってきた。


 後ろに控えている女房の礼都女《あやつめ》が枇杷《びわ》の入った盆を捧げ持っているところを見ると、夜食のつもりだろうか。


「二藍《ふたあい》と濃青《こきあお》の襲が、美しいお兄様に良くお似合いですこと。あっ、良いことを思いつきました。珠子《たまこ》も今から桔梗の襲にいたしますわっ」


「撫子の君、何度言えばわかるのだ。真名《まな》ではなく、『撫子』と名乗りなさ……」


「それでですね! お兄様と珠子がふたりで並んでいる姿を安芸《あき》に絵に残してもらうのです。ああぁ、なんて素敵な思いつきでしょう。礼都女! すぐに安芸を呼んでちょうだい! それから絵筆の用意と、私に桔梗の襲を! 急いで!」


「いや、だから、もう遅いのだから、絵など……おーい、撫子?」


 駄目だ。全然、聞こえていない。全く、この妹には困ったものだ。


 いつものことだが、撫子は自分の考えに夢中になると誰の言葉も耳に入らない。


 父上は、近々、撫子を主上《おかみ》のもとに入内《じゅだい》させたいと目論んでいるようだが、このような自由奔放な気性で、果たして大丈夫なのだろうか。


「――失礼いたします。光成様。陰陽寮からのご使者の方がお見えでございますが、いかがいたしましょう。賀茂真守様と名乗られておいでです」


「真守殿が? わかった。武弥。南の廂《ひさし》が風通しが良いから、そこにお通ししてくれ。それから、私はしばらくご使者と話すゆえ、撫子には全てを中止して早く休みなさいと伝えておくように」


 よし、これで良い。好都合とは、このこと。来訪者を理由に、夜更けの描画《びょうが》大会からの逃亡が可能になった。ご使者さまさまだ。


 筆頭女房の安芸は、厳島神社に連なる佐伯《さえき》氏の者で、絵師としての嗜みも造詣も深く、大納言家自慢の女房なのだが。如何せん、撫子と私への忠誠と溺愛が凄まじい。


 そんな安芸に絵筆を持たせたりしたら、もしかせずとも夜更けの描画大会どころか、夜明けまで続く描画我慢大会になってしまう可能性大。


 妖猫絡みで心身ともに余裕のない今は、それだけは勘弁してほしい。切に願う!


 そういえば昼間、頭《とうの》中将様と陰陽寮へ出向いた時は、真守殿とは会えなかった。


 陰陽博士《おんみょうはかせ》である賀茂護生《かものもりお》様のご子息である真守殿が使者になられているということは、昼間に打ち合わせた案件が変更になったのだろうか。


「お待たせしました。まもり……」


「光成様、申し訳ありませんでしたっ!」


 え?


 顔を合わせるなり、頭を下げての謝罪をされた。


 どうしたことだろう。謝罪なら、私のほうこそしなければならないのに。


 なぜなら、この南の庇《ひさし》に来るのが、少し遅くなってしまった。


 こっそりと逃げようとしたところを撫子に見つかり、ここにもついてくる勢いだったのを宥め、次に必ずふたりの絵姿を安芸に描かせることを約束していたから。


「俺、反省したんです。源《げんの》蔵人様への暴言のこと」


「あっ」


 そうか。あのことか!



『源《げん》の蔵人様には、ほとほと困らされました』

『あの方さえ出しゃばらなければ、妖を捕らえることが出来ていたのに、本当に残念です』



「光成様のおっしゃられた通りでした。俺は、ひどく驕ってました」


 “あの時”のことか。


「妖《あやかし》を自分ひとりで退治することで、父や叔父……そ、それから光成様に、一人前だと認めてもらおうとしてました。そんな焦りと驕りの結果、源の蔵人様を目前で攫われた。そのことを、あの方のせいにしました。俺に、蔵人様を助ける能力がなかっただけなのに!」


 反省したから、わざわざ謝罪にきたのか。なんと律儀な。


「光成様からの“きついお叱り”のおかげで、やっとそのことに気づけました。そして、心から反省しました。光成様。俺、源の蔵人様にきちんと謝罪するためにも、あの方の奪還を本気で頑張ります!」


「真守殿……」


 ありがとうございます。ともに建殿の奪還を頑張りましょう。


 しかし、『きついお叱り』の部分を強調するところも律儀な性格のゆえ、ですか?


「ところで、光成様。光成様も猫を飼っておられるのですね。ここに案内していただく時、俺の足元に、二匹寄ってきました」


「あぁ、珊瑚《さんご》と瑠璃《るり》ですね。妹の飼い猫なのですが、人懐っこいのですよ」


 武弥が持ってきた枇杷をつまみながら、ふと思い出したような真守殿の言葉に、微笑んで頷く。


 飼い主に似るというのは本当なのか、撫子が可愛がっている二匹の子猫は、どちらも好奇心旺盛で活動的だ。


 三毛猫の珊瑚、黒猫の瑠璃。二匹とも、邸に初めて訪れた相手にも、警戒することなく近寄っていく。


 手を差し出して引っかかれたという客人は今までひとりも居ない。


 ……ん? いや、居た。ひとりだけ。



『なぁ、光成ぃ。なぜ、この子猫たちは私を見ると毛を逆立てて威嚇したり、爪を立ててくるのかなぁ。可愛らしいから抱っこしてみたいだけなのに。おー、痛い。あちこち引っかかれてしまった。いててててっ』



 なぜか、建殿にだけは二匹とも懐かない。理由は皆目わからないのだけれど……。


「それに、源《げんの》蔵人様はとても高貴なお血筋なのだということも、父から聞きました。そのような方を、ちょうど良いから光成様の盾にしようとか……あ、いえいえ、足手まといのぼんくらだと上から目線で見下し……いえいえ、ただの迂闊者扱いして、本当に申し訳ありませんでした。俺、そのことも蔵人様にきちんとお詫びしたいんです」


「あぁ、護生《もりお》様なら、ご存知でしょうね。そうですよ。建殿のお母君は、先々代の帝の内親王で、斎宮《さいくう》にもなられた御方。つまり建殿は、主上《おかみ》や清賀院《せいかいん》様、それに帥《そち》の宮様とは叔父と甥の関係なのです」


「主上や院と……」


「ええ。ですが、建殿ご本人がそれを自慢げに口にすることはないので、お気楽に接するのが良いと思いますよ。何せ、『いつも迷惑をかけてくれる迂闊者』ですからね。ふふっ」


 私の言葉に破顔した真守殿とふたり、くすくすと笑い合う。夜も遅いというのに、枇杷をつまむ手も進む。


 もう建殿を奪還したつもりで話しているのがおかしいが、構わない。


 それはもう、私にとって決定事項だからだ。


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