妖(あや)し瞳の、艶姿

冴月希衣@商業BL販売中

文字の大きさ
32 / 79

散ずる桔梗に、宿る声 【十七】

しおりを挟む


「建、殿っ」


 けれど、風に翻る袖から立ちのぼる薫香《くんこう》は、建殿がいつも衣《きぬ》に焚《た》きしめているものと、全く同じ。


 沈香《じんこう》と丁字香《ちょうじこう》、それに甲香《こうこう》。私が真似て焚きしめている配分そのままの薫りなのだ。


 だから、名を呼んでしまう。首筋を撫で上げていく冷たい指に手を重ね、指を絡め、その身に身体を寄せ――。


「建殿。やっと、あなたを捕まえ……」


「光成様、離れてください! そいつは妖《あやかし》です!」



――どくんっ!


「あ……」


 もう少しで、相手の身体にぴたりと寄り添う寸前、真守殿の声が響いた。


 鋭い風撃の一閃が斜め上に向けて薙ぎ払われ、目の前にいた男が敏捷に跳ねる。


「おっと、危ない」


 私たちから距離をとり、再び冷笑を向けてきた。


「おやおや。この男に会いたかろうと思い、わざわざ乗り移って出向いてやったというのに、つれないことだ」


「……っ」


 深紅の虹彩を持つ男が、建殿の声で紡いだ言葉。その内容に、全身が固まった。


 乗り移った? 建殿、に?


「……っ、お前っ! 建殿に何をした!」


 しかし、一瞬ののち、弾けるように身体が動く。思考の全てが、怒りに支配される。


 平坦な口調の持ち主が、最後にもうひと言、つけ加えたからだ。


「しかし、今のこの状態は、こやつ本人が望んだのだ。我《われ》に自らの身体を明け渡すことを、な」と。


 そんなことは有り得ない。あの建殿が、そのようなことを望むはずがない。


「妖《あやかし》! 建殿を返せっ!」


 太刀を抜き、走る。


「光成様!」


 再び援護の突風を飛ばしてくれた真守殿からの連携を得て、妖の眼前まで、ひた走る。


「……っ……建、殿っ」


 けれど、斬りかかることは出来なかった。目の前のこれは、建殿の身体なのだ。


「美と聡慧《そうけい》を兼ね備えた、稀なる蔵人。藤原光成よ。よく聞け」


 唇を噛みしめた私に、暗澹《あんたん》さと妖気が入り混じった声音が、闇を縫って届いてくる。


「朔《さく》の夜だ」



――ざぁっ!


 どろりと湿った夜風が、突如、舞い上がる。


 同時に、深紅の閃光が火花のごとく辺り一面に広がった。


「あっ、待て!」


 待ってくれ。私も、ともに!


 目も眩むほどの光輝の中、むせかえる夏草の匂いとともに消えゆこうとする相手に、手を伸ばす。必死で。


「建殿っ!」


 けれど、届かなかった。


「……っ、たけ、るっ……」


 眼前に、人影はもうない。


 愛しい人は、消えてしまった。その身にまとっていた薫香ごと。


 たった、ひと言。『朔の夜』と。手がかりかもしれない、それだけを残して。


 あれほどに眩かった灼光《しゃっこう》はなりを潜め、場は、もとの闇を取り戻している。


 無言で、月影を仰ぎ見た。


 ひらり。


 ひらり。


 紫紺《しこん》色の空から、同じ色の花弁が舞い降りる。


 妖《あやかし》が疾風とともに巻き上げていった、薄い花弁。


 愛しい人が身につけていた狩衣《かりぎぬ》の襲《かさね》と同じ、桔梗の花びらだ。


「……っ」


 雲間に隠れゆく月を見つめ、立ち尽くす。


 建殿……建殿……建殿っ。建殿っ!


 ただ、その場に立ち尽くす。


 散《さん》ずる桔梗に、声なき嗚咽を隠して――。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

処理中です...