花霞に降る、キミの唇。【番外編】

冴月希衣@商業BL販売中

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Sweet, more sweet -side Kanato-

Seaside lovers #4

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「ん、できた。もう動いてもいいぞ」

「あ……さ、サンキュっ」

 帯の形を整え、着付けが終わったことを告げた俺に、肩越しに振り向いた笑顔がひらめく。

 どことなくぎこちない、初々しい表情だ。照れているのか、緊張しているのか。

「……ふっ」

 どちらにしても、可愛い。たまに聞く、『可愛いが過ぎる』とは、こういう時のことを表現する言葉だろうか。

 むず痒さを含んだ笑みを見せてくる恋人に、俺らしくもなく、ついつい口元が緩んでしまう。

「浴衣、良く似合ってるぞ」

 綿菓子のようにふわふわと甘い、『好き』という感情に支配され、相手の髪を優しく梳いては、また微笑むということをしてしまう。

 無表情がテンプレだの、朴念仁で無愛想だのと揶揄される俺なのに、コイツといるとキャラを裏切ってばかり。本当に罪な恋人だ。

 さて、俺も浴衣に着替えて、ふたりでビーチに繰り出すとするか。じきに、花火が打ち上がる時間だ。

「ととっ、土岐! 俺さ、下のキッチンに忘れ物しちまったから取りに行ってくる! てか、そのまま外で待ってるから! あ、土岐はゆっくり着替えてきてくれよなっ。じゃっ!」

 けれど、ふわふわと甘いひと時は唐突に終わる。

 不意に大声をあげた武田が、バタバタと部屋を飛び出していった。忘れ物をしたらしい。

 が、『先に外で待ってる』と言っていたソイツのバッグの横に下駄が置きっぱなしなのを見つけてしまった。

 アイツめ。慌ててたから忘れたんだな。

「おい、忘れ……」

「——秋田、助けてっ」

「は?」

 なんだ? 今の声は……。

 スマホを耳に当て、階段下のホールへと消えていった後ろ姿から足音に重なって聞こえてきた声は、なんと言っていた?


『助けて』


 そう、言っていなかったか? 誰に?

「お前……なぜ、秋田に助けなんか求めてる? ここに、俺がいるのに」

 なぜ、今、秋田に電話なんかする必要があるんだ。しかも、俺に隠れてコソコソと。


 ——ギリッ

 渡してやるつもりで指を引っ掛けていた下駄の鼻緒が、ぐっと握り込んだ俺の拳の中で捻れ、鈍い音を立てた。

「武田? 『助けて』って、何だ」

 一瞬のうちに脳内を埋め尽くした疑念と不信。ついさっきまで甘い雰囲気にふわふわと浸っていたはずの全身が、一気に凍りついていく。

「俺以外のヤツに助けを求めるってことは……」


 ——カラン、カランッ

 下駄が、手から離れる。

 床に落ちたそれが硬い木の音を響かせる中、低い唸りが口から零れ出た。

「まさか、俺から逃げる気か?」

 自らが想定した言葉とその可能性に、一瞬で血が沸騰する。

「そんなこと、許さない」

 すぐさま否定し、駆け出した。許さない。絶対に。

「お前は、俺のだ」

 俺から離れるなんて。そんなこと、許すものか。

「たけ……っ!」


 ——ダンッ、ダダンッ!

「……っ、ぶな……」

 呟きを落とした顔は、かちこちに強張っている。

 たった十数段の階段を駆けおりる。そんな簡単なことの途中で、俺は、あろうことか階段から足を踏み外しかけた。

「なんだ、このザマは」

 我を忘れ、気ばかり焦っていたせいだ。

「慌てすぎだろ、俺。情けない」

 自分への、ひとり突っ込みが虚しい。武田のことしか見えずに階段から落ちかけた今の体勢が、哀れすぎる。

 着替え途中で飛び出してきたから、上半身に何も身につけていない半裸姿で、スタイリッシュなスケルトン階段の飾り手すりに両手で掴まっているのだから。かちこちに顔を強ばらせて。

 もう少しで、尻を強打して、そのまま無様に転げ落ちるところだった。

 が、下り終わるまでにまだ七、八段はある位置での失態に本気でヒヤリとしたものの、すぐに立て直し、再び足を動かす。

「——あっ、うん。早速だけどさ」

 外ではなく、キッチンの方向から恋人の声が聞こえてきたからだ。

「こないだ、お前ん家に泊まった時にさ、俺が頼んで一緒にやってもらったことあったじゃん?」

 俺が聞かされていない内容。ムカつくそれを繰り広げているこの会話を、すぐに断ち切ってやる。横暴でも理不尽でも、なんとでも言えばいい。

 秋田の家に泊まっただと? 初耳だぞ。いつの間に、そんなことしてたんだ。

「うん、そうそう、アレのこと。そんで助けてほしいのは、今日、土岐がさ……えっ? うわっ!」


 ——ピッ……ピィーッ

「何、してる?」

「とっ、土岐っ?」

 血が沸騰した感覚を保ったまま一気にキッチンまで走り、冷蔵庫の前でしゃがんでる背中が丸見えのソイツからスマホを奪ってやった。

 すかさず切断、続いて電源オフ。武田と秋田を繋いでいた電話は、ほんの数瞬のうちに俺の手の中で真っ黒な画面の無用な物になり果てた。

 だが、これだけで収まるわけがない。

「もう一度、聞くぞ。ここで、何をしていた?」

 目を丸くして見上げてくる相手に、問いかけを重ねる。

 許さない。今、はっきりと聞き取ったぞ。


『うん、そうそう、アレのこと。そんで助けてほしいのは、今日、土岐がさ』


 俺の名を出して、アイツに『助けてほしい』と言っていた。

 『アレ』って、何だ。俺の知らない何を、秋田と共有してる? なんだ。その、秋田への依存ぶりは。

 怒りで、目の奥が熱い。

 ずっとしゃがんだまま、ぼうっと俺を振り仰いでくる恋人に、込み上げてくる全ての感情を視線と声に乗せ、問いを放った。

「お前、秋田に助けを求めていたか? ——ここに、俺がいるのに?」

 返答次第では、本当に許さない。


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