6 / 10
第三章
絶望と希望【3】
しおりを挟む完全な無表情だというのに、凶悪なオーラがプンプン。壱琉が相当お怒りだということがチカに伝わっている。
自分は何を忘れている? 壱琉は、なぜ急に不機嫌になっているのだろう。
「チッ。結局、俺から言ってやる羽目になるのか。そんな予感はしてたけどな」
端麗な容貌を歪ませ、深く溜息をついた恋人を見て、チカは何が何だかわからない。大好きなこの人を失望させるほどの何を、自分は仕出かしてしまったのか。
「まあ、いい。気遣い天使のお前のことだから、この展開の可能性も無きにしもあらず。ある程度は予測済みだったから構わない。きっと無意識に話題から逸らしてるんだろう」
あれ? いっちゃん、苦笑してるー。もしかして、そこまで怒ってない? というか、気遣い天使ってチカのこと?
「俺は優しいからな。結論から言ってやる。ちゃんと聞けよ」
「う、うん。お願いします」
壱琉の押しつけがましい口調は、チカの耳には『俺は気が短いからな。結論から言ってやる』に聞こえたが、是非、と黙ってお願いした。
「お前にやったその時計、何の機能がついてる? 言ってみろ」
「あ……」
甘い中低音の質問を聞いた途端、チカの声が途切れた。表情も口の形も、固まって動かない。
ただ、思考だけが彼の脳内で目まぐるしく動き始めた。一瞬にして思い出したからだ。自分の左手首に嵌まっている腕時計に、何の機能が備わっているかを。
「い、いっちゃん」
けれど、チカが紡ぐのは壱琉の名だけ。
「いっちゃん……いっちゃん」
それしか言えない。壱琉の質問の意味がわかったから。
「チカ、言え。お前はちゃんと言えるだろ」
「いいい、いっぢゃあぁん」
そうして、とても短気なはずの恋人が優しく抱きしめて気長に待ってくれているから、チカはようやく声に出すことができる。壱琉への答えを。
それは、〝当然知っていたけれど、チカが無意識に見ないふりをしていた記憶と事実〟。
「この時計ね、時差機能付きなんだ。いっちゃんがチカの手首に嵌めてくれた時に言ってた。——チカがいずれ海外でパティシエの修業をする時に使えるからって、譲ってくれたんだよ」
「よし、言えたな。九十点。本来なら、俺から促すことじゃなかったから十点減点だ」
やっぱりだ。時差機能付きの腕時計だと自分に言わせた理由は、これしかない。
「チカの渡欧のこと、いつから気づいてたの? でなきゃ、この話題にはならないよね?」
「最初に気づいたのは先月くらいか? 常に明朗なお前から気鬱なオーラが漏れ出ていれば、俺でも気づく。で、俺に相談できない悩みとは何かと考えたら、さくっと答えに辿りついた。念のために、お前のじいさんにも確認を取ったら、案の定、ウィーン行きが決まってたってわけだ」
「おじい様、いっちゃんに喋っちゃってたのっ?」
いつの間にーっ? チカ、聞いてないよ!
というか、おじい様、いっちゃんのこと、お気に入りだからってホイホイ喋りすぎじゃない?
壱琉から明かされた経緯にクラクラと眩暈に襲われたチカだったが、恋人の腕の中にいたおかげでふらつかずに済んだ。
まさか、おじい様ルートで海外修業の件が漏れるとは。それなら、ここひと月の自分の苦悩は何だったのか。正直、自分のタイミングで告白したかった。
ぼやきたいことは山ほどある。
「いっちゃん、ごめんなさい。自分の夢のことなのに、いつまでも告白できない意気地なしでごめんなさい。チカ、恋人失格だよね」
けれど、何をおいても、まずは大好きな人への謝罪が先決。
「なんで、そう思う? 俺と過ごす現在をお前が大切に思ってくれているから、言い出せなかったんだろ? 失格どころか、極上レベルの恋人じゃねぇか」
いっちゃん……。
「それに、大学を中退しての海外修業は生半な決断じゃない。むしろ俺は、この時点でそれを決めたお前を誇らしく思う」
「うぅ、ありがと」
ウジウジするばかりだった自分は壱琉に誇らしく思ってもらえるほどの人間じゃないけど、夢を追うための決断を認めてくれたから、弱っていたチカのメンタルはあっという間に補修されていった。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説

ポンコツアルファを拾いました。
おもちDX
BL
オメガのほうが優秀な世界。会社を立ち上げたばかりの渚は、しくしく泣いているアルファを拾った。すぐにラットを起こす梨杜は、社員に馬鹿にされながらも渚のそばで一生懸命働く。渚はそんな梨杜が可愛くなってきて……
ポンコツアルファをエリートオメガがヨシヨシする話です。
オメガバースのアルファが『優秀』という部分を、オメガにあげたい!と思いついた世界観。
※特殊設定の現代オメガバースです

青少年病棟
暖
BL
性に関する診察・治療を行う病院。
小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。
※性的描写あり。
※患者・医師ともに全員男性です。
※主人公の患者は中学一年生設定。
※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
二つの顔を持つ二人 ~イケメン俳優×カフェの少年~ 彼の前でなら本当の自分を見せられる
大波小波
BL
五条 颯真(ごじょう そうま)は、人気絶頂のイケメン俳優だ。
アクターとしてだけでなく、ミュージシャンやデザイナー、タレントなど、多岐に渡って活躍している。
海外からのオファーも多く、この国を代表する芸能人の一人だった。
しかし、颯真は旅番組のロケ中に、彼を全く知らない男子高校生・玉置 郁実(たまき いくみ)に出会う。
プライドを傷つけられた颯真だが、爽やかで愛らしい郁実の気を引こうと、悪戦苦闘を始める。
自分を印象付けて、郁実に認識してもらいたい、と始めた颯真の工夫や作戦の数々。
そんなプッシュに始めは戸惑っていた郁実だったが、次第に彼に好感を持つようになる。
颯真もまた、郁実の隣では心からリラックスできる自分を、発見していた。
惹かれ合い、触れ合うようになった二人。
しかし郁実には、次々と不幸が襲い掛かる。
颯真は、彼を支えることができるのだろうか……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる