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第三章

絶望と希望【2】

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 さて、夕飯の後片付けも終わったし、そろそろ例の件の告白をしなくちゃいけないよねぇ。
 えーと、どのタイミングがいいかな。コーヒーを淹れてから? それとも、飲み終わってから? えーと、えーと……。
 本当は昨夜までに、何度も予行演習を済ませている。チカの予定では、壱琉がコーヒーに口をつけた後、海外修業の件を告白する段取りだった。
 が、いざ、その時が近づくと、緊張でいっぱいいっぱいになってしまい、タイミングを見失いかけている。何事にもそつのないチカだが、壱琉に関してだけは例外が多い。
「チカ」
「はいーっ!」
 緊張を抑えきれない自分に焦り始めていたところにその対象から声がかかって、小柄な身体は文字通り飛び上がった。
「ななな、何っ? いっちゃん!」
 鳶色の瞳を大きく見開き、明らかな狼狽の態度を見せてしまっている。
 わーん、どうしよう。声、めっちゃ裏返っちゃったよ。こんな態度とって、不審極まりないじゃん。
 失敗した、と思ったが、もう取り返しがつかない。

 仕方ない。明日だ。海外修業の件は、明日、仕切り直す。今日はもう無理。延期しよ……。
「これ、今日もつけてるな。合格」
「ひゃっ」
 狼狽の最中、不意に左手を持ち上げられ、手首の裏側に唇が押し当てられた。
 これ、と壱琉が言ったのは、チカが常に身につけている腕時計。かつて、壱琉から贈られた、彼の愛用の品だった物だ。

「も、もちろんつけてるよ。いっちゃんからのプレゼントだもん」
 唐突な腕時計装着チェックの理由がわからずに戸惑ったものの、自分が腕時計をつけていることを『合格』と言った壱琉が薄い笑みを見せているから、チカの返しは満面の笑顔。
「ん、だから合格って言った。ところで、これは念のための確認なんだが、お前、俺がこの腕時計をやった時に言ったことは覚えてるか?」
「うん。それも、もちろんっ」
 覚えてるよ。
 元気よく即答だ。大好きな人とのやり取りを、チカが忘れるわけがない。
「『俺の怨念と愛情がたーっぷり詰まってるから、大事に使え』って、いっちゃん、言ってたよ」
 ハキハキと答えるチカだが、その表情には明らかな照れが浮かぶ。その言葉をくれた時、自分の『怨念と愛情』について壱琉が説明してくれたことも覚えているから。

『怨念っつーのは幼馴染としてずっと見守ってきた無駄に長い年月のことで、愛情のほうは、そこに年々降り積もったドロッドロに濃い恋情のことだ』

 自分を好きなのだと言ってくれた、夢のように幸せだった瞬間のこと、いつでも、ありありと思い出せる。
「それだけか?」
「え?」
「他のことも言っただろ。俺。大事なことを。四年経ったら忘れたか?」
 他のこと? え? この話題、まだ続くの?
「えーと……ううん、ちゃんと覚えてるよ」
 たった四年前のことだ。忘れるわけがない。その日は、壱琉が高校を卒業した日。そして、二人が幼馴染から恋人になれた記念日なのだから。

「愛用してた腕時計をチカにくれたのは、いっちゃんが高校を卒業しても、それまでと変わらずに時間を共有しようって意味だって教えてくれたよね。チカ、すごく嬉しかったよ」
 その言葉通り、恋人同士になってからはお互いがどれだけ多忙でも、時間を見つけては会ってたよね。
 究極の無精者で、『だりぃ。めんどくせぇ。勝手にやってろ』の三つのワードで会話を成立させてしまう省エネ主義のいっちゃんが、チカのスケジュールに合わせて自分から会いにきてくれることもあったんだ。
 そんな幸せな日々が、もうすぐ壊れちゃう。チカがいっちゃんよりも自分の夢を選ぶから。明日こそ、言わなくちゃ。ウィーンに行くこと。すごく気が重いけど言わなくちゃ……。
「お前、わざとか? わざと話をはぐらかしてんのか?」
「え?」
「この俺が、珍しく遠回しに話を振ってんのに。肝心な答えだけを言わないって、どういうことだ。それとも、忘れたか? まさか、俺だけが大事に抱えてた思い出だっていうのか?」
「いっちゃん?」
 何? どうして、いっちゃんはこんなに怖い顔してるの?


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