花霞にたゆたう君に

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第七章

花霞にたゆたう君に−To the future−【1−1】

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「――あっ、土岐くーん。お疲れ様! また勝ったね! 次は準決勝でしょ?」
 自分の試合を終えた後、体育館の地下にある卓球場へ急行すると、秋田の満面の笑みに迎えられた。手にはスマホ。クラス委員兼、球技大会実行委員の手元には、いち早く各チームの試合結果が届いているようだ。が、目的の姿はない。
「あぁ……それより、卓球チームは? どうなった?」
「ふふっ。土岐くんはさ、卓球チーム、じゃなくて、涼香ちゃんの試合結果、が知りたいんじゃないの?」
 コイツ……ニンマリ笑いやがって。しかも、「涼香ちゃん」のところだけ、一番強調した。というか、それをわかってるなら、さっさと教えろよ。全く。
「はぁ……お前も、大概だな。そんなことよりも」
「褒め言葉ありがと。あのね……あっ、戻ってきた! せっかくだから、本人に聞いたげてよ。ねっ!」
 勢いよく背中を押されたが。その時には、もうとっくに見つけていた。綺麗な栗色の髪を高い位置で結んで、楽しそうに笑いながら歩いてくる姿。俺の、大好きな女の子を。
 ――五月。GW明けの最初の金曜日。今日は、中高合同で球技大会が行われている。
 競技種目は、バスケットボール、バレーボール、卓球、テニス、サッカー。公正を期す為に、競技種目の部活に所属している者は、その種目には参加しない決まりになっている。よって、俺の参加種目はバレーボールだ。
 涼香は、秋田、笹原と一緒に卓球チームに入った。俺の試合と同じ時刻に試合だったはずなんだが、この笑顔だと勝ったのか?
「あっ、奏人!」
 まだ、お互いの距離は離れている。が、それでも見つけてくれたようだ。購買で買ってきたんだろうと思われるドリンクを片手に、俺に手が振られた。俺も軽く手を上げる。
 笑顔が眩しい。
 廊下には、他にも同じようなジャージ姿の女子が何人もいるのに。どうして、こんなに。なんでこんなに、この子だけを可愛いと思うんだろう。
「ねっ、試合! どうだった? えと、その……えーと……」
 小走りで駆け寄ってきて、急くように尋ねられたが、語尾が曖昧だ。きっと、負けた場合のことを考えて「勝ったの?」とは、聞けないでいるんだろう。そんな気遣いをするところも、この子の愛しいところだ。
「勝ったよ。涼香は? どうだった?」
「わぁ、勝ったの? おめでとう! すごいね! うちのクラス、強いんだねー。すごい!」
 俺の質問に食い気味にかぶせながら、勝利を喜んでくれた。握りしめた両手を上下に揺らして、興奮してくれてるが。
「で? 涼香は? 試合、終わったんでしょ?」
 君の試合結果も気になるんだよ?
「あ、うん。えーと……あっ、奏人。すごい汗!」
「え? あぁ」
 確かに、試合後にサッと拭っただけでここに走ってきたからな。
 こめかみの辺りに流れた汗を、腕を上げて袖で拭おうとしたら、伸びてくる手が見えた。
「ちゃんと拭かないと」
 呟くように低く変わった声が、真下から聞こえた。真剣な瞳が、真っ直ぐに見上げてきてる。
 が、目線は合わない。こめかみから、額へと。そっとハンカチが押し当てられて、ゆっくりと移動していく。
「あの……眼鏡」
「ん」
 拭きにくい、ということなんだろうと理解し、眼鏡を外す。真剣な瞳は、変わらない。前髪をかき分けるように、すっとハンカチが通って、生え際まで届いた。そのまま、目線が左右に動く。チェックするように。
「はい。拭けたよ?」
「ん。ありがとう」
 ハンカチを持った手をそっと捕まえて、達成感あふれる笑顔に笑みを返した。ひと握りで軽く包めてしまう細い手首に、目を落とす。
「これ、使ってくれてるんだ」
「うん。だって、すごく可愛いし。幸音くんが、私の為に選んでくれたし」
 白く繊細な指が持つハンカチは、幸音が涼香にと選んだ品。GWに家族で歌鈴に会いに行った時の、奈良土産だ。
 俺が涼香への土産を選んでいたら、「ぼくも!」と幸音が便乗してきて。卑弥呼のキャラクターハンカチを、嬉しそうに差し出してきた。
「幸音に言っとくよ。きっと喜ぶ」
「うん。あ、でも。ほんとは直接御礼を言いたいから……その……幸音くん、にも、会いたい、よ?」
「ふっ。何で、ちょっとカタコト?」
「えっ? だって……まだ、つき合って間もないのに。その、弟くんに会いたいとか。そういうこと言うのって、ちょっと……ちょっと図々しいかな、とか思って」
 恥ずかしそうに目を泳がせてるのが、堪らない。
「あぁ。まるで『家に行きたい』って言ってるみたいだから?」
「もうっ……いじわる」
 その上目遣いも、堪んない。
 掴んだ手首から、すっと指先まで手を滑らせて、ハンカチごと包み込む。
「意地悪したつもりはないんだけど。でもちょっとだけ、困った顔が見たかったのは本当。……ごめんね?」
 絡まった視線をそのままに、正直な気持ちを告げて謝罪した。可愛い表情をもっと見ていたかったけれど、この辺で引いておこう。困った顔よりも、笑顔を見たいから。
「もう! ここで、そういう表情するの、ずるい」
「え?」
 涼香の言葉と表情に戸惑う。
 くっきりと眉を下げて。困ったような、それでいて悔しそうな。でも、頬はうっすらと染まっている。ひと言では言い表せない表情の理由がわからない。
「涼香? 何のこと……」
「あーっ、あのね! 私ね。試合、負けちゃったの」
「え? あ……そう、なんだ」
 俺の言葉を遮るように、告げられた内容。そういえば、試合結果が気になってここまで走ってきたのに、聞くタイミングを逃していた。
「そう……応援したかったのに」
 気がつけば。慰めの言葉よりも先に、正直な気持ちが口に出てしまっていた。つい、ぽろりと。
「あ、ごめん。今のは変な意味じゃなくて……」
「うん、わかってる。ありがと」
 慌てて言い直そうとしたが、止められた。
「あのね。試合は負けちゃったけど、すごく楽しかったの。美也ちゃんとダブルス組めたし。チカちゃんと一緒に練習するのも楽しかった。負け惜しみみたいだけど、ほんとの気持ちよ?」
「負け惜しみとは思わないよ。涼香がすごく頑張ってたこと、知ってるから」
 慰めの言葉なんて、要らなかった。「次は勝てるようにもっと頑張る」と言った涼香の頭に手を乗せて。
「お疲れ」
 ねぎらいを込めて、そっと撫でた。
「ふふっ……優しくて、あったかい。あのね? 卓球、負けちゃったから、今度はバレーチームの応援を頑張るね」
 俺が頭を撫でる動きに合わせて、首が傾げられた。目を細めて、しっとりと微笑む様が、眩しい。
「応援してくれるの? 俺、そろそろ上に戻らないといけないんだけど。なら、一緒に行く?」
 上、と親指を立てて、体育館を指差して誘った。
「うん。あ、でも、美也ちゃんとチカちゃんに声掛けしてこないと……」
「構わないよー。チカは、美也ちゃんと後から行くから。涼香ちゃん、先に行っといてくれる? 後で、一緒に応援しようねっ」
 すぐ横。卓球場のドアの脇から、秋田の声が聞こえてきた。ずっと、そこに居たのはわかってたが、このタイミングで会話に入ってくるのか。まぁ、別にいいけど。
「秋田もこう言ってくれてるし。じゃあ、行こうか」
 秋田の存在に気がついていなかったのか。可愛い彼女は口を「あ」の形にしたまま、真っ赤な顔で固まってしまった。
 他にも、チラチラとこちらを見ながら通り過ぎていくヤツらも結構居たんだが。それについては黙っておこう。
 俺しか見ていなかったんだと。俺だけをその瞳に映してくれていたんだと。そう感じられることが、こんなにも嬉しい。


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