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第五章

君に、捕らわる 【12−1】

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「——はい、到着ー。けど土岐くん、本当にいいのか? ロッジまで送っていかなくて」
「はい、ここで降ろしていただいて大丈夫です。ありがとうございました」
「まぁ。君は足を痛めてるわけじゃないもんな。でも無理すんなよ。じゃあ、涼ちゃんもまた明日な!」
「彰さん、ありがと」
「お世話になりました。加賀先生にも、よろしくお伝えください」
 整形外科での治療を終えた後。当初の言葉通り、涼香の宿泊ホテルまで彰さんが送ってくれた。
 本来なら、この後俺の泊まってるロッジまで送ってもらう予定だったんだが。彼女と離れがたい気持ちが、どうにも抑えきれない俺は、ここで一緒に車から降りることを選択した。
 ここからなら、歩いても帰れるしな。
「寒くない?」
 走り去る彰さんの車を見送って、彼女と目を合わせる。
「大丈夫! か、奏人、は?」
「俺も大丈夫だよ? それよりも、まだ慣れないの? 名前」
 下の名で呼んでくれるようにはなったが、こんな風に言いづらそうにする時がまだある。
 その時の涼香の表情は、堪らなく可愛らしくて。それはそれで愉しめてるから、別にいいんだが。取りあえず弄っておこうか。

「あ、えっと……その」
「ん? なぁに? 聞こえないな。ちゃんと教えて? ――涼香」
 口ごもる彼女の耳元で、その名を吐息に乗せて囁く。俺は、ちゃんと名前を呼んでるんだよと、知らしめるように。
「あ、あの。まだちょっと恥ずかしい時もあって」
 俺の言葉に、目線を斜めに下げて。真っ赤になった頬を、俺から隠そうとするかのように俯かれる。
「ごめんなさい。か、奏人」
 だから、目の前でその仕草は駄目だって。
 はらりと髪が前に落ちて。襟元からかすかに覗く、白い首筋。ドクンっと心臓が跳ねて。自然と目が吸い寄せられていく。
 なぁ。これ、駄目だよ? 誘われてる気分になるだろう?
「涼香」
 駄目だ。どうにも押さえきれない。
「ごめん」
 華奢な肩に両手をかけて、少し強めに引き寄せる。
「ひゃっ! ちょっ……あのっ」
 驚いて、俺を押しのけようとする手も、すかさず捕まえた。
「ね?  ちょっとだけ、だから。おとなしくして」
「かな、と?」
「もう帰らないといけないから。これだけ、許して?」
 ゆらゆらと揺れる瞳に、離れがたい想いが沸き起こるけれど。捕まえた手をしっかりと包み込んで、瞳を合わせた。
「今日は、ありがとう。俺、今日のこと、一生、忘れない」
 本当は、もっとたくさん伝えたい言葉がある。伝えたい想いもある。けれど、この短い言葉に、その全てを凝縮して伝えられる気がした。
「大好きだよ」
「かな、とっ」

 ――はらり
 声を詰まらせて見上げてくる彼女の前髪に、ひとひらの雪が舞い降りる。
「わ、私もっ」
 ほっそりとした、その肩にかけた俺の手の上にも、同じ白が乗ったのが見える。
「うん。ありがとう」
 本当にありがとう。俺を見つけてくれて。俺を見てくれて。好きになってくれて。この気持ちも「ありがとう」という、ひと言でしか表せない。
 ゆっくりと舞い降り始めた、白く冷たい花々。その中で瞳を潤ませながら、俺を見上げて微笑む女の子。
 もう、わかってる。この笑顔が、自分だけに向けられてると信じることが出来る。
 そして、そう実感出来ることが、俺を変えてくれてるということもわかってる。同時に、これを俺だけのものにしておきたいという、焦げつくような渇望もこみ上げてきてるんだが。
 ねぇ、涼香? 君の存在は、こんなにも大きい。だから、逃がしてあげられないよ。絶対に、ね?
 そんなことを思いながら、ただ、雪華を纏う彼女をじっと見つめて。ただ、その真っ直ぐな、熱い視線を受けとめていた。
「――ね。天花、降ってきたね?」
「あ、うん。そうだね」
 ややあって、軽く空を見上げた彼女が呟くように話しかけてきた。天花の話、覚えててくれたんだな。
「寒いよね? そろそろ中に入ろうか」
 名残惜しいが、足の治療をした彼女をいつまでも立たせておくわけにもいかない。
「あっ、待って? わ、私、聞きたいことが、あるのっ」
 ホテルの中へと誘導するべく差し出した俺の手が、逆にきゅっと掴まれて。くい、と引っ張りながら早口で引き留められた。
 聞きたいこと? 何だ?
「ん? 何?」
「あ、あのね? 私、すごく嫌な子だってわかってるの。わかってるんだけど、やっぱり聞かせてほしくて……でもあの、嫌われたらどうしようとか思うから、えと……」
「涼香?」
 どうしたんだ?
 くしゃりと顔を歪めて、混乱したように小さく言い募っている。
「どうしたの?」
 ぎゅっと力が入った手を、そっと開かせて。
「大丈夫だから、言ってみて」
 手の甲をゆっくりと撫でさすりながら、落ち着かせる。
「涼香を嫌ったりなんて、するわけがないんだから」
「あ、あのね。天花のお話をしてくれた時にね? お、女の子の名前、呼んでたよ? 私、ずっと気になって……その……」
 あぁ、そうか。俺、名前を呼んでたのか。全然、覚えてない。きっと無意識だったんだろうな。
歌鈴かりんのこと?」
「あ、うん。立ち入ったこと聞いてる自覚はあるの。でも、女の子の名前だから……か、彼女ならどんな人だったのかな、とか」
「妹だよ」
「……え」
「歌鈴は、俺の妹なんだ」
 歌鈴。お前のことを話せる女の子が、ここにいてくれるよ。俺の、彼女が。

「妹、さん?」
「そう。双子の妹なんだよ」
「えぇっ、ふた……」
「あっ! 涼香ちゃーん! 土岐くーん! お帰りなさーいっ!」
「あ、チカちゃん」
 秋田……。
 聞き慣れた声の元を辿ってみれば、少し離れたホテルの前で大きく手を振っている元気な姿を捉えた。
 お前、なんで、ここにいる? しかも、武田並みに空気を読まない乱入の仕方じゃないか。


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