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第三章
冬の名残に【2】
しおりを挟む「土岐くん。座席はチカと隣でいい?」
「どこでもいい」
バスに乗り込む前に秋田が尋ねてきたが、本当にどこでもいい。まあ、出来れば彼女の近くがいいけど。
「じゃあ、チカたちの班は左側の前から四列目から六列目になるんだけど、前から山田くんと明石さん。美也ちゃんと涼香ちゃん。で、土岐くんとチカでいい?」
班のメンバー全員が頷いた。
まあ、妥当なところだな。山田と明石はつき合ってるから隣同士になりたいだろうし、彼女は笹原か秋田がいいんだろう。
仮に、秋田と彼女が隣になったとして、俺とじゃ笹原が気の毒だしな。ずっと無言で通せる自信があるし。
「ねぇ、チカちゃん。途中で休憩するサービスエリアって観覧車があるんだって!」
「あ、そうだよ。でも十五分しか時間がないから、残念ながら乗れないけどね」
「うぅー。そうだよねー。本当に残念っ」
「プライベートで来るしかないねぇ。お父さんにお願いしてみたら? この方面は温泉も多いし」
「だよねー。美也ちゃんはプライベートで来たことある?」
「私は、従兄のお兄さんたちと――」
笹原と談笑する彼女を座席の隙間から眺める。
だけでなく。時折、というか頻繁に振り向いては秋田に話しかける彼女を正面から堂々と見ることが出来るという、俺得なこの状況。
何だ、これ。楽しすぎる。
たまに、そんな俺を横目で見てくる秋田の視線は気づかないふりでスルーだ。
「あの、土岐、くん? これ、良かったら、どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
男子と話すのは緊張するのか、片言が可愛すぎる彼女から飴をもらった。
女子校から共学にいきなり編入ともなれば、戸惑うこともあるだろう。
が、この飴、どうするべきか。
せっかく俺にくれたんだから、すぐに舐めるべきか? それとも、記念にとっておくか? もしくは——。
手のひらに乗せたまま、あれこれと悩んでしまう。
「土岐くん。飴、舐めないの?」
秋田が余計なことを聞いてきた。
馬鹿! 彼女に聞こえただろうが!
「いや、舐める」
秋田を睨みながら口に入れた飴は、サイダー味だった。しゅわっと、泡が弾けるような感触と懐かしい甘味。
あぁ、甘いな。
いつも胸に渦巻いている想いに重ね、ゆっくりと、味わう。
そういえば、と、班の顔合わせで自己紹介した時のことを思い出した。
「――じゃあ、皆、白藤涼香ちゃんに自己紹介してね」
始業式から数日後。ホームルームで学年行事の簡単な説明と、班決めが行われた。
俺を誘いにきた後、当たり前のように班長を引き受けた秋田に促されて、それぞれが自己紹介していった。
一人一人に丁寧に頭を下げて名前を復唱する彼女を微笑ましく見守っているうちに、俺の番になった。
「土岐奏人です」
「土岐、くん? もしかして土岐桔梗の土岐って書くの?」
知ってるのか? 意外に博識な彼女に驚きながらも肯定する。
「そう。その土岐だよ」
「わぁ、綺麗なお名前ねっ」
それまでも剣道で知り合った年配の人からも同じように聞かれたことがあるのに。この子から言われたってだけで、なんでこんなに、というくらい鼓動が跳ねた。
「それからっ、下の名前も素敵ね!」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が襲ってきた。
息が苦しい。ドクドクと跳ね続ける鼓動を持て余した。
「あ、駄目だよ。土岐は、下の名前で呼ばれることを嫌がるからさ」
なんて返そうかと脳内をフル稼働させていると山田が余計な口を挟んできた。
おい、山田。お前、もう黙れ。
「あっ。そ、そうなの? ごめんなさい。あの、私……」
一気に萎れて小さくなってしまった彼女に、途轍もない罪悪感を感じた。
「涼香ちゃん。同じ班なんだから、皆とはゆっくり仲良くなっていけばいいんだよ? 取りあえず顔と名字を覚えようね?」
「……うん。ありがと、チカちゃん」
空気の読める秋田に感謝していいのか、妬むべきなのか、悶々と悩んでしまった。
彼女に名前を褒められた時の、あの息苦しいほどの胸の高鳴り。血が沸騰したようなあの感覚は、今でもまざまざと思い出すことが出来る。
俺の名前は、トルコ語で〝翼〟という意味を持つ。両親が新婚旅行で訪れたトルコの思い出から、つけられた名だ。
初等科の低学年の頃だったか。学校の授業で、自分の名前の意味や、名づけの由来を発表することになり、両親に尋ねて教えてもらった。
名づけの由来を聞かされたその時。俺は自分の名、『かなと』という響きに、特別な何かを感じた。
理由は、今でもわからない。
漠然とだが、『自分の特別な人だけに、名前で呼んでもらいたい』と、強く思ったことだけは、はっきりと覚えてるんだ。
だが、その頃までは幼稚舎からの延長で、下の名前で呼ばれることが多かった。
女子の中には、母親が俺を呼ぶ時の真似で、『かーくん』と呼ぶヤツもいたし、『かなとくん』とも呼ばれていた。
が、どうしても譲れなかった俺は、名字で呼ばないと返事をしない、相手をしないという強硬手段に出て、無理やり名字呼びに変更させたんだ。
男連中は、低学年の頃には既に名字の呼び捨てで呼び合うように変わっていたから、何の問題もなくて助かった。
そんな経緯を経て、今の人間関係を築いてきた俺だが、今ではもうひとつわかっていることがある。
いや、わかっていても口に出したくない、が正解なんだが。
俺の母は、トルコ料理が得意で、特に手羽を使った料理は絶品だ。
そして、手羽も『KANAT』と表記されることも知っているが、これについては、両親に尋ねたことはない。
うん……全くもってトルコ語は奥が深いな。
笹原と楽しげに話している彼女の声が、俺の耳まで届いてくる。
軽やかで愛らしい、心地よい声音。この声で名前を呼んでもらったら、俺は一体どんな気持ちになるんだろう。
そんな未来が果たしてあり得るのか。
いや、未来は自分で引き寄せるものだな。
彼女に近づきたい。今より、もっと。誰よりも。
ふと目を瞑ると、出逢ってからずっと見てきた彼女のいろんな表情が浮かんでくる。
猫に笑いかけていた、花の精のような笑顔。自己紹介を俺が途切れさせてしまった時の、泣きそうな顔。
秋田や笹原と話している時の、屈託のない明るさ。
俺に話しかける時の、強張った表情。
どれも可愛くて、愛おしい。静かに見守ってあげたいと思う。
でも、その全てを独占したいとも思うんだ。
こんな自分を初めて知った。迸るような感情を自分が持っていたことに、初めて気づいた。
悪くない。
そうだ。こんな俺もいたんだと気づくのは、悪くない気分だ。
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