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第一章
朝靄の中
しおりを挟む――早朝。肌に突き刺さるような凍てつく冷気の中、入念に準備運動。そして、身体がほぐれた頃、一気に外へと飛び出した。
いつも通りのコースを黙々と走るが、明けきらぬ空はまだ暗い。
川沿いの遊歩道を走り抜け、まだ人通りのない住宅地の中を、新聞配達のバイクを追いかけるように走り続ける。
夜の色を濃く残す、深い藍色の空。その端に、朝陽を受けたいくつもの白い筋が見え始めた頃。『それ』は突然、俺の視界へと飛び込んできた。
吹きつける一陣の風。煽られた薄桃色の花びらが吹雪のように舞い踊り、落ちていく。
静謐な朝靄の中。ぼうっと浮かび上がるのは、白い姿。
真っ白な、青白いほどに透き通った小さな横顔。身につけている服装も真っ白なせいか、花吹雪が見せている幻想かと非現実的なことまで考えてしまった時。
少し顎を上げて花々を見上げていたその横顔が、何かに呼ばれたように下を向く。
そうして、蕾がほころぶように、艶やかに微笑んだ。
「あ……」
何だ? この感覚は。
俺……息、できてる?
いや、できてない。
冷静に自分の状態を理解できている。
なのに、目の前の幻想的な姿に釘づけになって足が動かせない。目が離せない。一瞬のまばたきすら、惜しいんだ。
そして、まばたきと呼吸を止めた身体に、ひとつの欲が生まれていく。
近づきたい。もっと、近くに。
もっと近くで、この笑みを――。
鉛のように重くなった足に力を入れて、何とか一歩を踏み出した瞬間。その手の中から飛び出した真っ白なモノによって、静寂が破られた。
「あっ、駄目よ! ちゃんと足を拭かないと!」
「ミャアァ」
あぁ、この猫に微笑みかけていたのか。
「待ちなさい! こらっ、エビゾウ!」
鈴が鳴るような、軽やかな声。鼓膜に甘い余韻だけを残して、白い妖精は身を翻して消えてしまった。
ふっ。姿だけじゃなくて、声までが好ましいな。
え?
俺……今、何を考えた?
初めて逢った子だぞ?
それに、じっくりと見たのは横顔だけ。おまけに、声を聞いたのも猫に呼びかけた声だけ。しかも――。
「……エビゾウ?」
毛並みの白が際立って美しい、どう見ても血統書付きの猫に……エビゾウ。
「ふはっ! くっ、くくくくっ……あっはははっ!」
まだ早朝、しかも住宅地の中だ。大声は出せない。
が、こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。随分とひさしぶりだと思う。
「あぁ、堪らないな。名づけのセンスもだけど……ふふっ」
あの存在自体が堪らない。
透き通った肌。艶めいた口唇。涼やかな声。軽やかな動き。全てが好ましい。
もう、魂に刻み込まれてしまった。
あの子に、また逢いたい。俺にも笑いかけてもらいたい。
あの笑顔が、欲しい。
が、俺の邪な感情を崇高な誰かが快く思っていないのか、あれから一度も彼女に逢えない。
毎日、同じ時間に同じコースを走って。時には、あの日、春風に遊ばれていた桃の枝の下に立ち尽くしてみたけれど。
二度と、逢うことは叶わなかった。
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