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弐
白露 【一】
しおりを挟む「あぁ、どうしましょう。もうすぐ丘に着いてしまいます。それに、皇子様は本当においでになられるのでしょうか」
翌朝、丘に向かう道すがら、漏れ出る声を抑えることができない。
『あなたの笑顔を見るためだけに、明日また来る』
昨日、別れ際に皇子様から告げられた言葉。
あの高貴な皇子様が、こんな鄙(ひな)びた場所まで本当にもう一度おいでになられるのか。しかも――。
「わ、私に会うため、だなんて……そんなことっ」
信じられない。
凛々しくも涼やかな、あの御方が。
大君様の覚えもめでたいと、こんな私の耳にまで届いてくるようなあの御方が。
皇家(こうけ)の本流の方々からは既に忘れ去られた傍流の血筋である自分のために、など。
「とても信じられない、のです」
ひとりごちながら萩の花をかき分け、それでも歩を進める。
あの眼差しを、涼やかな笑みを、もう一度受けとめたいと願うのも、私の本心。
あの御方が纏う温かな空気に、もう一度包まれたいと思ってしまうのも本心。
おこがましいと思いつつ、心は乱れてしまう。
かき分ける萩の花が途切れたところで、無意識に足が止まった。俯いたまま、ぽろりと想いが零れていく。
「皇子様……」
「来てくれて、ありがとう」
「……っ!」
自分ひとりだと思っていた場に、記憶にある慕わしい声が飛んできた。鼓動が跳ねた胸を押さえ、弾けるように顔を上げる。
「皇子様っ?」
声の主を探せば、朝焼けを背後に従えた眩しい立ち姿が、坂の上から私に微笑みかけていた。
「あっ、あの……え? こんなに早く? 私、いつもよりも早く邸を出てきましたのに……」
その続きは、言えなかった。
楡の木に手をかけて立っていたその方が風のように駆けおりてきて、喉の前で組み合わせていた私の手を取ったから。
「良かった、会えて。来てくれてありがとう。待ちきれずに、夜が明ける前に来てしまった」
「あなたに会いたくて、どうにも気が急いて」と続け、端整なお顔をくしゃりと崩して苦笑されるさまに、思わず泣きそうになる。
私もです。皇子様。私も、なのです。
つらつらと様々なことを考えておりましたが、こうしてあなたの温もりにもう一度包まれたいと、身の程もわきまえず、実は願っておりました。
包み込まれた両手から伝わる温もりが、染み入るように身を温めてくれるのが、こんなにも嬉しいのです。
「昨日と同じ表情をなさっている。もしや迷惑だったのだろうか?」
……え?
「私が来てほしいと頼んだから、か? 無理に約束を取りつけたこと、迷惑だったか?」
沈んだ声が落ちてきた途端に、すっと両手が離れていく。
「あ……」
違います。そう伝えたいのに、言葉が出ない。
「悪かった。少し、強引すぎたようだ。私は、こういうのが初めてで。どうすれば良いのか、何もわかっていないんだ。ただ――」
いったん言葉を切った皇子様が、真っ直ぐに目線を合わせてくる。
「ただ、もう一度会いたかった。あなたと」
ほんの少し、語尾が震えているように聞こえたのは、私の勘違いでしょうか。
それとも、私の心が震えてしまったから、そう感じてしまったのでしょうか。
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