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愛情と思慕の狭間で 【10】

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「左様でございますか。王太子殿下にも見当がつかない事象でございましたか。では、僭越ながら申し上げます。実は、あれは王妃様が王太子殿下のために仕組まれた騒ぎだったのです」

「何っ?」

 歩みが、止まった。同じく足を止めたレイドを、まじまじと見つめる。

「なんだと? ミネア様が私のために、と言ったか?」

 どういうことだ? あれは、ロキの仕業ではなかったのか? いや、その前に、レイドはあの騒ぎを不思議に思っていたわけではなかったと?

「王太子殿下には大変申し訳ございませんが、今後のために話を合わせていただかねばなりませんので、お伝えしておきます」

 王宮の衛士の身なりをした見慣れぬ姿のレイドが、無表情のまま静かに頭を下げてきた。

 私に自分の黒衣を貸してくれたために仕方なく変装をしているのだが、剣を帯びた立ち姿は意外にも様になっている。

「あの騒ぎは、王太子殿下が王宮を容易く出られるようにと、王妃様が起こされました。王妃様が常に身につけられておられる、緊急時用の薬剤を使用されたのです。その薬剤を噴射すると相手は目をやられて痛みに苦しむのですが、それを広間で使うとおっしゃっておいでした」

「そのような薬剤を……そうか……」

 レイドの説明で、ひとつ納得できたことがあった。王宮を抜けてくる際、不思議に思ったことがあったからだ。

 人々が口々に叫ぶ声の中に、『痛い』という言葉が混じっていた。

 悪臭を放つロキの煎じ汁に『痛い』という悲鳴が出たことにかなりの疑問を抱いたが、そのまま脱出してきたのだ。

 それでは、あの広間には、ロキの煎じ汁による悪臭に加え、ミネア様が撒かれた薬剤も充満していたということか。

 なんということだ。それで、あの騒ぎだったのか。

 再び歩を進めながら、きりきりと痛む胸元に手をやり、黒衣をぐっと握りしめた。

 レイドの説明でやっと腑に落ちたが、しかし、それとは別に申し訳ない思いに苛まれる。あの広間にいた人々は、悪臭と目の痛みという災難を同時に受けたのだ。

 私のせいだ。ロキの煎じ汁だけでも、ひどい苦痛であるのに。

 王妃であるミネア様が携帯なされておられる緊急時用の薬剤ということは、それはつまり、対暗殺者用の代物。広間に集っていた者たちにとっては、つらい二重苦だ。

 沿海州の姫君たちは大丈夫だっただろうか。賓客に対して、本当に申し訳ない。

 それに、カルスだ。今、どうしているだろう。

 目的遂行のために、ひと言も声をかけることなく脱出してきてしまった。

 秘密裏に脱出することが目的なのだから、そのこと自体は既に覚悟していたが。

 できるなら、最後にもうひと言だけでも、会話を交わしたかった。災難と苦痛の中に黙って置き去りにすることなど、私は決して望んではいなかったのだ。

 今さら悔いても詮無いことではあるが……。


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