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決意の示し方 【4】
しおりを挟む「――カルス」
「あっ、兄上! どうなされたのですか?」
夕刻。王妃宮の敷地に入り、手前のテラスに見慣れた茶髪の姿を見つけて声をかければ、その相手は弾んだ声をあげて駆け寄ってきた。
いつ会っても春の日の陽光を思わせる弟の笑顔は、可愛らしい。だが、気が急いている私は、たったひと言、尋ねるだけだ。
「レイドは来ているか?」
「あ、はい。神官の、ですよね? 来てますよ。今、祭壇の準備をしているはずです」
「そうか……カルス、私も今日の祭祀に列席させてもらうぞ」
「わぁ、ありがとうございます。母上もお喜びになります。――トール。母上に兄上のことをご報告申し上げてきてくれ。もう祭壇室におられるから」
「はい、承知いたしました」
カルスの傍らに控えていたトールが走り去り、テラスには私とカルス、そしてもうひとりのカルスの側近、ユミルだけが残った。
「突然押しかけて済まない。後ほどロキが祭祀の供物を持参してくることになっているから、ミネア様にはその時にご挨拶申し上げよう」
「済まないなどと……普段の祭祀に兄上がいらしてくださるなんて。それだけで、僕、嬉しいです」
屈託のない笑顔が眩しい。そして、少々、心苦しい。自分の宮を持ってからは、新年の祭祀くらいしか、ここの祭祀には顔を出していないのだ。
だが、兵舎での諸事を済ませ、レイドに会うべく神殿に向かった私に告げられたのは、レイドが祭祀のために王妃宮に向けて発ったという返事だった。加えて、当然のようなザライアの不在も。
それで、急ぎ、とって返してきたわけだ。祭祀が終わり、神殿に戻る前のレイドを捕まえて、話をするつもりで。
「シュギル様。では、私は外でお待ちしております」
「悪いな、ロキ。だが、少し待たせることになるやもしれぬ。まぁ、レイド次第だが」
――王妃宮での定例の祭祀が終わった。
他の列席者とともに先に祭壇室を出、毎回恒例になっているという神官へのミネア様のお言葉かけが終わるのを廊下で待っているところだ。
「母上は祭祀が終わった後、いつも少しの間、神官にねぎらいのお言葉を下されるのが慣例なのです」と、カルスが言っていたからなのだが。どうも解せない。
『いつも』とは、いつからだ? 毎度の慣例ということだが、私がこの王妃宮に居た頃には、そんな習慣はなかった。それに、一介の神官にねぎらいの言葉をかけるにしては、少々長くかかってはいないだろうか?
「兄上、今日はありがとうございました。ユミルに聞きましたが、レイドを待っておられるのです?」
「あぁ、少し用があってな。しかしカルス。ミネア様は、いつもこのように長くお言葉かけをなされているのか? 定例の祭祀なのだから、簡単に終わりそうなものだが」
「そうですねぇ。いつもこれくらいですけど、まぁそれでも今日は若干、長いでしょうか。けれど、あのレイドは、ユミルやトールと同じく、母上の縁戚に連なる者だということですから、そのせいではないですか?」
「ミネア様の……そういうことか」
傍らにやってきたカルスが口にした内容で、一応は納得できた。あのミネア様が、縁戚に連なる者をただの神官としては扱ってはいないだろうから。
「ところで兄上。今日教わった天文学で興味深い事柄がありまして――」
そして、カルスと天文学について語りながら、再び待つことにする。
目の前の祭壇室で、表情の乏しい印象のあのレイドが、ミネア様とどのような会話を交わしているのだろうと感想を抱きつつ。
「それでですね、兄上。星座の運行が――」
――キィ
しかし、それほど待つこともなく、カルスとの会話の途中で祭壇室の木扉が開けられた。
「シュギル様。今宵は私の祭祀にいらしてくださり、ありがとうございます」
「あ、いえ。あまり顔を出せず、申し訳ありません」
女官を従えたミネア様が御姿を見せられ、扉の正面でカルスと話していた私に微笑みが向けられた。レイドの姿は、まだ見えない。
「シュギル様は、王太子としての責務がお忙しいのですもの。仕方ありませんわ。カルスが早く一人前になってくれれば、少しはお役に立てますのにねぇ。頼りなくて残念なことです」
「母上! 僕だって、少しはお役に立ってますよ。先だっても戦場で頑張ってきたんですから。すごく!」
「あら、そうでしたわね。カルスもこの国の王子なのですものね。ゆくゆくはシュギル様と並び立てる英雄になってほしいものですわ」
私などは、英雄でも何でもないのだがな。
苦笑しながら、いつも通りの母子のやり取りを傍らで微笑ましく眺めている最中、視界の端を黒い姿が横切っていった。
祭壇室の木扉前でいったん立ち止まったレイドが私たちに頭を下げ、足早に立ち去っていこうとしているのが見えたのだ。
「ミネア様。失礼ながら、本日はこれにて失礼させていただきます。カルス。先程の天文学の話の続きは、明日にしよう。では、またな」
ここまで待っていた理由をみすみす帰すわけにはいかない。ミネア様に頭を下げ、カルスに明日の約束を早口で告げて、その場から下がった。
歩く速度が意外にも速い黒衣の後ろ姿を追って、足早に廊下を進んでいく。たぶん、私がこうして追いかけなくとも、外で待っているロキがレイドを引きとめておいてくれるだろうと、思いつつ。
「――レイド」
王妃宮の出口を照らす篝火を通り抜け、闇の中に消えようとしている黒衣に声をかけた。
とっくに追いついていたのだが、話をするには外のほうが良いと思ったからだ。
「王太子殿下が、私にどのような御用件でしょうか」
声で私とわかったのか、振り向きざまに一礼しながら、問いが返された。
頭を下げたレイドの向こう側には、ロキと思しき人影が見える。思った通り、逃がさぬよう待ち構えていてくれたらしい。
「そなたに尋ねたいことがあるのだ。時間は取らせぬ故、答えてはもらえないだろうか」
レイドのすぐ前まで近づき、「頼む」と続ける。頭上から、少しの威圧を込めた声色で。
こんなことは余りしたくないのだが、この機会を逃すわけにはいかない。王子の名でも権力でも何でも使って、なんとしてでも先日レイドが口にした内容について詳細な説明を得なければ。
レイドが顔を上げ、私よりも少しだけ低い位置にある瞳が、見つめ返してきた。
しかし、感情が見えない瞳と目線が絡んだのは一瞬で、すぐにそれは伏せられ、ぼそりとした声が届いてくる。
「……帰る道すがらで、よろしければ」
「もちろんだ。では行こうか」
徒歩で帰るらしいレイドとともに、月明かりの道に足を踏み出した。
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