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第一話

君と歩く、翡翠の道【6−2】

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 えと、えと。よくわかんないけど、誤解されてるから、それを解かなくちゃよね?
「あ、あの……」
「あー、今の無し! 聞かなかったことにして!」
 え……。
「ばかなこと聞いてごめん! 全部、忘れて!」
 奏人には珍しい張り上げた声で早口に言い切って、そのまま、がくんっと俯いてしまった。
「奏人?」
 綺麗な濃茶色の後頭部が、目の前でうなだれてる。これ、なかなか拝める光景じゃないわぁ。ちょっとだけ撫でてもいいかなぁ。奏人の髪、サラサラだし、触りたい。
 なぁんて、この場にはそぐわない不謹慎なことが頭をよぎった。
 いけない。ちょっと口元が緩んじゃった。早く戻さないと。

「あのね、煌先輩はね? 前の学校にいた時に会ったことがある人でね? でも、萌々ちゃんのお兄さんだなんて、今日再会するまで知らなかったの」
 ぴくんと、奏人の頭が揺れたのがわかった。私が、やっぱり我慢しきれずに、奏人の髪に指を滑らせたからだと思う。
 そっと、何度も撫でる。宥めるように。
「それからね? どっちの手、なのかは……覚えてない、です。だって、立ち上がるのに力を貸してもらっただけなんだもん」
 奏人が、顔を上げてくれる気になるように。
「捻った足のことと、以前に会ったことがある人だって驚きしか、頭になかったし。もしかしたら右手だったかも、くらいの記憶なの。ほんとよ?」
 丁寧に、丁寧に梳いていく。
 でも、そうしてるうちに違うことに意識が向いちゃう私はきっと集中力がないのね。
 雨で湿ってるのに、奏人の髪はゴワゴワなんて全然してなくて、とっても指通りが良い。男の子なのに、そんなの、ずるいよね?
「それで、えーと……奏人と煌先輩は、全然似てないよ。煌先輩とお話してても奏人と似てるなんて少しも思わなかったし……ん? 待って? あっ、あった! ひとつだけあった!」
 ついつい髪の毛をクルクルと指に巻きつけてみたりしてたら、不意に閃いた。そうよ、これよ。
「あったわ、二人の共通点! テンションが低いところ!」
 よし。これで、奏人の疑問に全部答えられたよねっ?

 私が張り切って答えた後、奏人の身体がまたぴくんと震えた。そのままピキッと、その場の空気ごと固まったような感じがしたんだけど……。
「ふっ……ふふっ」
 奏人の頭と肩が揺れ始めたことで、私の緊張感も和らいだ。
 あ、良かった。的外れなこと言っちゃったかと思って、ちょっとドキドキしちゃってたから、笑ってくれて本当に良かった。なんで笑ってるのかは、全然わかんないけど。
「奏人? あの、何がおかし……ひゃっ!」
「ふふっ……そんなに?」
「え、何が? てゆうか、ここ! バス停!」
 あのね。何で笑ってるのか聞こうとしたのよ、私!
 そしたら、奏人の手が腰に回って! そのまんま持ち上げられて! ポスンっとおろされたところが、奏人の膝の上!
 ど、ど、どうして、こんな体勢にさせられてるのっ? とにかく、おろしてくださいっ!

「あのあの! おろ、おろしてほしっ……」
「んー、駄目だよ。だって俺、今ものすごくテンション上がってるから」
 恥ずかしい体勢に手をパタパタ動かしながら、『おろして』と願ってみれば、即座に拒否された。私の一番好きな笑顔で。
「ほら、この手。ジタバタしないで、俺の肩にでも掴まっておきなよ」
 思わずキュンとしてしまった私は、手を誘導されるがまま、きゅっと掴まる始末。
「あ、首に回して抱きついてもいいよ?」
 さらに凄みを増した笑顔に、目を奪われながら。
「わかる?」
「え?」
「テンションだよ。今の俺、最高潮なんだけど伝わってる? たまには、こんな風にテンション高いところも涼香に見せとかないといけないんだね。よく覚えとくよ」
 ここでようやく自分の失言に気づいたから、遠回しに、奏人に表現の方向性について考え直してくれるようにお願いすることにした。
「あの、出来たら他の表現方法を、ですね」
「却下。俺が楽しくないことは、駄目」
 けど、ソッコー却下された。おまけに奏人の肩に乗せてた右手を持ち上げられて、また手にキスされた。

「ぁ、っ」
 手の甲から、手のひら、それから指へ。唇で食むように、何度も。五本の指全てに唇が這わされて、最後に手首にチュッと音を立てて触れてから、ようやく離れていく唇。それを追いかけて奏人を見上げれば、何とも言えない色っぽい目とぶつかった。
「あ……」
 綺麗な黒瞳に煌めく輝きに、口を半開きにしたまま身体が固まってしまう。ドクドクとうるさく跳ねる鼓動に連動して、頬にも熱が集まってくる。
 そんな私を見下ろして、奏人の婉然とした微笑みが、さらに深くなった。
 掴まれていた右手は、奏人の肩まで誘導されてから、やっと解放される。
「涼香? 左手は、涼香が自分で持ってきて?」
「え……」
 左手? 何で、左手?
「ほら、早く。『どっちの手だったか覚えてない』って言ったのは涼香なんだから。両方やっとかないと」
 まさか……これは、その……あれ、なのかしら? 俗に言う、あれ。
「ま、ま、まさか……しょ、しょ、しょっ……」
「んー? 消毒? まぁ、半分は合ってるけど。正確には、涼香の全部を俺の色に染め直してる、かな。だから、早く持ってきて? 自分から」
 蕩けるような微笑みって、こういうのだ。きっと。
 私は奏人しか見えてないのに。奏人だけにこんなにドキドキするのに。もっと、その色に染まりたいって思ってしまう。
 なんて、ずるいひと。

 左手、自分から奏人に近づけていくなんて。私、どうかしてる。でも、艶めいた笑みの誘惑の効果はすごい。奏人の薄い唇。綺麗な形のそれに触れたくて。触れてほしくて。奏人の言う『色』に染まりきりたい気持ちが抑えられない。
 少し震えながら伸ばした指先で、綺麗なカーブを描いてる下唇にそっと触れてみた。
 ちょんっと触れて、すぐに引っ込める。
 冷たい。いつもの、奏人の唇の温度だ。
「涼香? 引っ込めたら、駄目だろ?」
「あ、ごめ……」
 どうしよう? ドキドキが増してきた。だって――。
「どうしたの?」
 だって、最初は冷たく感じる奏人の唇。それが、触れ合ってる間にすぐに熱くなることを、私は知ってる。
 冷たかった感触が一気に引いて、燃えるように熱くなることを、知ってるから。だから、そこに自分から触れようとしてたことが、急に恥ずかしくなったの。
「駄目だよ。逃がさないから」


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