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第五章
望む未来(さき)にあるもの【2−1】
しおりを挟む「あ……」
バス停からの帰り道、前方から走ってきたタクシーが自宅前に停車し、中から降りてきた人と目が合った。
「あら、さかなちゃん」
「え、桜子お姉さん? どうしたの、急に」
門の前に降り立ったその人は、一番上のお姉さん。
「明日、横浜でパーティーがあるのよ。で、ひさびさに千絵の茶碗蒸しが食べたくなったから前乗りしたってわけ。ほら、早くインターフォン押して」
「あ、うん」
パーティーのことなら聞いてる。お父さんたちも出席するという、美容外科医同士の集まりだ。桜子お姉さんは名古屋のクリニックを任されてるから、お父さんが呼んだんだ。きっと。
だから当然、明日の学園祭には、家族は誰も来ない。
それでいい。私は毎年裏方だから来られても何も見せようがないし、多忙な両親は学校行事の日程すら念頭にないだろうから。
「まぁ、桜子お嬢様。お帰りなさいませ。お待ちしておりましたよ。鮎佳お嬢様も、ご一緒だったんですねぇ。お帰りなさいませ」
「ただいま、千絵。はい、これ。いつものお店の羊羹」
「まあまあ、わざわざ買ってきてくださったんですか? いつもありがとうございます。重かったでしょう?」
千絵さん、嬉しそう。桜子お姉さんが生まれる時からこの家で家政婦として働いてる千絵さんにしたら、お姉さんのことは我が子同然なんだろう。
「こうやって千絵にお土産を渡せるのも、あと数回かしら。寂しくなるわね」
しんみりと語った桜子お姉さんの言葉で、私もそのことを思い出す。
千絵さんは、来年の春が来たら家政婦を引退して故郷の長野県に戻ってしまう。うちで三十年もお勤めしてくれた千絵さんが自分で決めた引き際だから、名残惜しいけど、私も引きとめる言葉は伝えられない。
新しい家政婦さんと馴染めるかどうか、という不安は、多分にあるけれど。
「ねぇ、あの夫婦、今日も夕飯いらないらしいけど。相変わらず、帰ってこない日もあるんですって?」
「あ、うん。この前、京都に分院を作ったばかりでしょ? だから、週の半分くらいかな。帰ってくるのは」
「あー、京都ね。どうして京都なのかしら。大阪に一軒作ってるんだから、それでよくない? まぁ、新米医師の私が口を出すことじゃないけど」
「私も詳しいことはよくわからないけど、コンサルタント会社のリサーチの結果で決めたって、お母さんが話してた」
「ふーん。全国展開もいいけど、あまり手広くやりすぎないよう、それとなく進言してみるかな。私は名古屋で手いっぱいだし、蘭子が国家試験受けるまで、まだ二年あるし」
「……うん」
千絵さんが桜子お姉さんのために作った心尽くしの食事を一緒にいただいた後、お姉さんの好きな抹茶ラテを手に、ぽつぽつと投げかけてくれる言葉に答えてる。蘭子お姉さんは用がある時だけ話しかけてくるけど、桜子お姉さんは、時折、こんな風に私に会話を振ってくる。
名古屋の分院に行ってしまう前。この家で一緒に暮らしてた頃は、私にきつく当たる蘭子お姉さんをたしなめてくれることもあった。
かといって、私を『さかなちゃん』呼びしてることからもわかるように、可愛がってくれてるわけでもない。こうして会話してる今も、にこやかなわけでもなく淡々としてる。私よりも、千絵さんに向けてる表情のほうが柔らかいくらいだ。
たぶん、異母妹としての愛情はないけど、邪魔者として憎むほどでもない。そんな感じなんだと思う。
でも、こういうスタンスで接してくれるところが実は気が楽だったりする。だから私は、桜子お姉さんと過ごす時間が、わりと好き。
「そういえば、さかなちゃん。進路はどうすんの? あんたも美容外科医になる? 祥徳大学には医学部もあるし」
「あ……」
桜子お姉さんが話題を転換したことで、それまで、ぬるい穏やかさに浸っていた思考が一気に停止した。進路。それは、私が今、一番頭を悩ませている問題だ。
学園祭が終わったら、進学希望調査票の提出をしなければいけない。二年のクラス分けのために必要だからだ。
私の学校行事には無関心なお母さんもそのことは承知していて、『医学部に進学希望で出しなさい』って何度も繰り返してくる。桜子お姉さん、蘭子お姉さんに続いて、お父さんと同じ美容外科医を目指すようにって。
「医学部、は……私には無理」
けど、それは無理。美容外科医になんて、私はなれない。なれるわけがない。華やかな容姿を持つお姉さんたちと違って、地味な私なんかが女医として現れたりしたら患者さんのやる気がそがれてしまう。
「私は……経営面でサポートできるように、経営学部に進むつもり」
「ふーん。いいんじゃない? 別に、それで」
「うん」
抹茶ラテに口をつけながらの平坦な口調の返事を得て、私もカップを持ち上げた。なんとなく甘くしてみたくてお砂糖を多めに入れたラテをひと口飲み、ほっと息をつく。
これでいい。ほんとはまだ調査票に希望進路の記入はしてないけど、後で経営学部って書いてしまおう。それで、お母さんからの過剰な期待から逃れられる。
「私はあんたの進路に一ミリも興味ないからそれでいいけど、お父さんは残念がるかもね。ま、それはそれで面白いから、明日、私が代わりに伝えてお父さんの反応の観察しといてあげる」
「え?」
お父さん? お母さんじゃなくて? 私、お父さんと進路の話なんてしたことないのに。どうして、ここでお父さんの名前が出てくるの?
「あの、お姉さん? お父さんが残念がるって、どういうこと? 私、お父さんと進路について話し合ったことなんてない。それどころか、たまに顔を合わせても朝晩の挨拶するくらいで、会話すら滅多にしないのに」
お父さんはいつも忙しそうにしてるし、家に帰ってきても私のことなんて視界にも入れてない。進路の話も、いつもお母さんとだけで……。
「は? お父さん、あんたのこと溺愛してるじゃない。気持ち悪いぐらい」
「え……」
「だから、蘭子があんたにきつく当たったり、たまに意地の悪いことしてんのよ。悔しくってね」
「蘭子、お姉さん? 悔しいって、どういう……」
「あの子も馬鹿よね。そんなことしても、お父さんの一番になれるわけもないのに。ま、無理もないか。あの子は小学生でお母さんと死に別れたんだから。私は無駄なことはしない主義だからすぐに達観できたけど、蘭子はお子様だから割り切れないのよ。変にプライドが高いしね」
桜子お姉さんが話してる内容が、よくわからない。
溺愛とか一番とか、お父さんと私に最も適さないワードが連発されてる。意味不明。理解不能だ。
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