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第四章

ふたりの時間【2】

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「あ、また降ってる」
 さぁっという風音に乗せられた甘く芳しい香りに顔を上げれば、糸のように細かな雨が曇天の中で舞っていた。
 そぼ降る秋霖が運んできたのは、金木犀の甘い薫香。開け放たれた窓の向こうで長雨にしっとりと濡れている橙色の花びらが、教室の中へと届けてくれている。
 冷ややかな風と、雨と花の匂い。そのどこにも残暑を思い出させるものは見当たらず。既に季節は移り変わり、深まる秋の濃度の中に私たちも溶け込んでいるのだと実感した。
「都築さん、準備物の保管についてなんだけど」
「あ、ベランダに大きめのダンボールを用意してあるから、そこにお願いできる?」
「了解」
 それもそのはず、日付はもう十月下旬。学園祭まで、あと二日だ。
「都築さん。土岐、どこに行ったか知ってる?」
「土岐くんなら、視聴覚室だと思う。他のクラスの実行委員との打ち合わせに行くって言ってたから」
 そして、実行委員として、かーくんとともに行動できるのも、残り数日。
 予想していた通り、学園祭の準備に忙殺されていた三週間はあっという間に過ぎ去っていた。『ふたりの時間』もあるにはあったけど、色んなことに追われながらの事務的な打ち合わせに終始していたから、正直、恋心にけりをつけるどころじゃない。

『鮎佳。ここは一発、キュッと腹をくくってさ。さくっと告って、あっさり玉砕して、すっぱりと未練を断ち切っちゃおうよ。ねっ?』
 ひかるからの身も蓋もない助言を実行する余裕とタイミングは、どこにもなかった。

『長く長く溜め込んだ想いだからこそ、さくっと終わらせるべきだよ。そのほうが、これ以上引きずらずに済む。鮎佳にしてみたら、すごく痛いだろうけどね』
 うん、わかってる。
 ひかるがアドバイスに込めてくれた真意は、ちゃんとわかってる。ずっと引きずってきた想いだからこそ、〝終わり〟はあっさりと迎えるべき。そう言ってくれた時のひかるの表情は、私と同じ痛みを共有してくれていた。

『まぁ、告られた土岐くんはすごく戸惑うだろうし、断るにしても多少は複雑な気持ちになることは否めないよね』
 それも、わかってる。私にとっては、自分の気持ちにけりをつけるための告白だけど、かーくんにとっては後味の悪い事柄のひとつになるだろうってことも。

『それでも、一歩前に踏み出すために、ここで頑張ろうよ。大丈夫。何があっても私は鮎佳の味方だからさ。安心して、ざっくりすっぱり、華麗にふられてきちゃえ!』

「……ふふっ。ひかるの励ましは、いつも本当に独特なんだから」
 秋の深まりを教えてくれる金木犀の香りに包まれながら、ひっそりと笑った。二日後の学園祭に向け、慌ただしさしかない教室の片隅で、ひとり、手作業をしながら。
 何があっても味方でいてくれる、愛してくれてる親友が、私にはいる――――ふたりも。
 その友情がくれる幸せを、少しの胸の痛みとともに噛みしめる。喜びと相反するそれは、『怖い』という感情。ちくちくと刺すような胸の痛みを、私に与えてきている。
 告白すれば、もう単なる幼なじみですら、いられなくなるから。
 前を向いて歩いていくためのこの決断は、同時に、彼が私に持ってくれていた幼なじみとしての感情と信頼を全て失うということに繋がる。それを思うと、とても怖くて、つらい。けれど――。
「都築。今、いいか?」
「あ……」
 かーくん……。
「……何? 土岐くん」
 物思いに沈んでいた原因の相手からの、唐突な呼びかけ。大きく跳ねた鼓動を抑えながら、そのことを気づかれないよう平静を装って振り向けば、見慣れた無表情が私を見おろしていた。
「手を止めさせて済まない。学年会で打ち合わせてきた内容について説明したいんだが」
「あっ、はい!」
 すぐに、立ち上がった。かーくんが周囲を見回し、「あっちでやるか?」と、持っていたペンでベランダを指したから。
 場所移動を促された理由は、準備作業でばたついている教室内を避けるためだ。
「あのっ、土岐くん? ベランダじゃなくて、他の場所にしない? ベランダも準備物の出し入れが頻繁で、きっと落ち着かないし」
 だから、かーくんのその気遣いに乗った形で、新たな場所移動をすかさず提案した。かーくんの声を聞いた途端に不意に湧き上がってきた〝ある思いつき〟を、どうしても実行したくなって。
「別に構わないが。そんなに長い説明にはならないぞ?」
「うん、わかってる。でも私も当日の段取りの最終確認をしっかりしておきたいし。少しだけでいいから、教室以外の場所に移動して打ち合わせしたいの。駄目かな?」
 駄目かと尋ねながらも、作業中の物を手早く片づけてバッグを持ち、外に出るつもりだと暗に示した。こんな無理強いのような強引なこと、かーくん相手にしたことない。
 だけど、脳内を占めてしまった思いに突き動かされてるから、止まれない。
 どこでもいい。ここじゃない、どこか。そこに行って――。
「わかった。じゃあ、カフェテリアはどうだ? この時間なら利用者も少ないだろうし、その後、体育館に移動すれば最終確認も一度にできる」
「そうね。それがいい。じゃあ、行きましょう」
 行動に無駄がなく、提案とともに身を翻したかーくんに続いて教室を出た。
 カフェテリア。そこでいい。そこで、自ら断ち切ろう。そうする。
 先に立って歩くかーくんの姿勢の良い後ろ姿を早足で追いながら、ともに向かっていく。自分で決めた、終わりの場所へと。

 ふふっ。私ったら、おかしい。すごく。
 ついさっきまで告白のタイミングを見失っていたのに、自分でも驚くほどの行動力だ。
 思いつきで急いで告白するみたいだけど、そうじゃない。今しかない。そんな気がする。
 だから、今日で終わりにしよう。
 開け放たれた廊下の窓。歩んでいく視線の向こうに、さっきまで雨雲に閉じられていた空が見える。いつの間にか雨は止み、流れゆく雲間から夕焼け色の陽射しが地上へと真っ直ぐに伸びていた。
 その天候の変化に、知らず、口元が緩む。カフェテリアへの歩みも、次第に変わっていく。きびきびしたものから、羽根のように軽いものへと。
 私の決意を天が後押ししてくれているような、そんなポジティブな感覚に浸りながら足を速め、かーくんの隣に並んでみた。
 終末に向かっているというのに、妙に晴れやかな気分で。


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