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第三章
愛情の在処【2】
しおりを挟む――ピピピッ
「三十六度五分。平熱ですねぇ。頭痛は?」
「大丈夫。どこも痛くない」
「そうですか? どことなく、お元気がないようにお見受けするのだけれど。残暑のせいかしら。では先に、お風呂で汗を流してきてくださいね。その間に、口当たりの良いお食事をご用意いたしましょう」
そんな必要は無いと言っても良かったけど、どうせ千絵さんには通じない。こくんと頷いて浴室に向かう。
私の帰宅時間に合わせて作ってくれていたはずの夕飯があるだろうに、献立を増やしてしまった。そのことに申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、千絵さんにすれば『それが自分の仕事だから気にする必要はありませんよ』となるわけで。
私が遠慮すると、千絵さんの家政婦としてのプライドを傷つけることになると理解してるから、黙って甘えるしかない。
「もう十年目、か」
浴槽に浸かり、目を閉じれば、初めて千絵さんと顔を合わせた日のことが思い出された。
小学一年生から、足かけ十年。ずっと、こんな風に千絵さんに甘えっぱなしだ。
でも、仕方ない。滅多に家に帰ってこない両親の代わりに、住み込みで働いてくれてる彼女が私の家族なんだから。
全国展開している美容外科の経営で多忙を極めている両親とは、月に数回、顔を合わせればいいほうだ。
「……ふぅ」
浴槽に身体を預けたまま、また別のことも思う。昼間のことだ。
結局、何度顔を洗っても平然と授業に戻ることはできなくて、諦めて保健室に行くことにした。苦しい言い訳を考えつつ向かったわけだけど、私の顔色を見ただけで養護の先生がベッドで休ませてくれたのは助かった。実際、頭痛もひどかったから。
そうして、真っ白なシーツに包まれながら目を閉じ、そこで思い至ったんだ。
やっと気づいた、と言ってもいい。
宇佐美くんからの意地悪な視線と悪意を受け、『どうして?』と心で叫びを放った自分だったけれど。私も、彼と同じ。〝同類〟なのだということに。
ずっと見ないふりをしていたけど、過去の私も、宇佐美くんと同じように言葉の暴力を人にぶつけたことがある。
向けた相手は、白藤さん。かーくんの彼女だ。ほんの数度のことだけれど、かなりキツい言葉を、私はあの子に投げつけてる。
理由のない悪意からじゃない。かーくんの立場を思っての、私なりのお節介だった。でも、私にも意地があるから、お節介をお節介だと感じ取られないよう、いつもわざとキツく言い放ってきた。私は〝そういうキャラ〟なんだから、それでいいと思って。
でも、違った。
『私ね、あなたのことが嫌いなの』
『土岐くんがあなたのことをとても大切にしてることは、私にだってわかる。けど、あなたはどうなの? 大事な試合前に呼び出すなんて、非常識じゃない?』
『彼の立場をちゃんと考えて行動することができない人が、どうして彼女面してるのよ』
『土岐くんに甘えて我が儘言うだけの彼女なら、彼女やめれば?』
色んな言い訳を並べ立てながら私がしてきたことは、僻みと嫉妬からの醜い攻撃。かーくんに想われてるあの子に、真っ黒な感情をぶつけてきただけだ。
〝ただのお節介〟という建て前で自分を正当化して、言葉の暴力という鋭い刃を突き刺し続けてきた。
そのことに、やっと気づいた。今になって。
情けない。本当に。自分が同じことをされるまで、本当の意味では気づけていなかった。
心を抉られる痛みが、どれほどのものかということに。
それでもあの子は、そんな私に反論も弁解もしなかった。ひと言も。
剥き出しの悪意に晒され、ひどく傷ついただろうに。
そんなところにさえ、彼女と私の人間性の差が、如実に表れている。それを、思い知らされた。
「……きつい、なぁ」
かーくんが好きになった女の子と、私との明らかな差。それを思い、目の前が暗くなった。
絶望した。自分の卑小さに。
だから私は、彼にとっての、〝そういう対象〟には絶対になりえないのだと、打ちのめされた。後悔の念で、さらに頭痛がひどくなった。
涙はおさまったから六限目の授業には戻ったし、その後、バスケ部のマネージャー業務もいつも通りこなしてきたけど、心はずしんっと重いままだ。
けれど、どれほど後悔しても、今さら謝るなんてできない。
だって、あの子はきっと気づいてる。知っている。私が、かーくんを好きなことを。
彼を諦められないまま、幼なじみという、ごく僅かな接点にしがみついていることを。
そんな私が何を言っても不快になるだけだ。例え、謝罪の言葉であっても。
「……そろそろ、出よ。あんまり長く浸かってたら、千絵さんがまた心配しちゃ……」
――ガタンッ!
「ちょっと、さかなちゃーん!」
いきなり浴室のドアが開いたことで、とんでもなく驚いた。浴槽の中で跳ねるように身体を起こした弾みで、ぴちゃんっと顔にお湯がかかる。
「あんた、いつまでお風呂を占領してんのよ。いい加減、出なさいよっ」
「あ、うん。すぐ出る」
でも、全開のドアに手をかけて私を睨みつけてる相手が犯人だから、納得だ。
「ごめんなさい。蘭子お姉さん」
派手に濡れた顔を拭いつつ慌てて謝るも、返ってきたのは「ふんっ」という苛つきを隠さない声と、脱衣所から出ていくスリムな後ろ姿。
長女の桜子お姉さん同様、蘭子お姉さんもブランド服がよく似合う。
十年前に家族になった二人の異母姉は、美しい容姿と綺麗な花の名前を持ち、私のことを『鮎佳』ではなく、いつも『さかなちゃん』と呼ぶ。
私は、愛人の子で。お姉さんたちの母親が病死された後に、図々しくこの家に入り込んできた『招かれざる者』。家族として接する必要のない、無価値な相手だから。
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