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勝負の時には
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チヅルの体重は58.2㎏になっていた。
身長は162.1㎝。
BMIは22だ。
「これ標準のど真ん中だよ」
ヒスイの父が嬉しそうに言ったのに、チヅルは心配そうな顔をした。
「親には内緒にしてください」
いや、ただのBMI指数ですが。
「逆兵糧攻めに遭うので」
「おう。そうだな」
大会直前の胃もたれはちょっといけないと思った。
「ちょうど60㎏で身長も変わってなかったって教えとくか」
その言葉に、ヒスイは父同士やりとりしてるらしいことを知る。
「月曜が予行で、水曜が本番だろ?
直前は糖質中心で、肉魚野菜はあまり多く取りすぎない。
消化にいいものを食べてね。
おかしは和菓子の方がおすすめ。
お腹痛くしないように」
スマホを操作しながらヒスイの父が言った。
「糖質中心って言っても、動けなくなるほどご飯食べる必要はないから」
初めての試合に教え子を送り出す人のようである。
チヅルに会うのは今日で2回目のくせに。
ヒスイはむむっと父の顔を見た。
釈然としないまま、月曜日を迎えた。
トラックを1/4周し、学校の外周を1周して、またトラックを1周してゴールする。
距離にして2.4km。
今朝はチヅルにとってもあまり負担をかけない速度で流した。
やっぱりチヅルは「髪、切ったー?」と言われていた。
落ち着いて「うん。そう」と答えるチヅルは本当に素直だ。
男子のスタートから10分後に女子はスタートする。
だからチヅルのゴールはきっと見れない。
がんばれー、と声をかけたかったが、チヅルは困ると思って何もしなかった。
スタート位置は、練習の間に合計何周したかで決まる。
チヅルは真ん中よりは前めだ。
悪くない。
男子がスタートしていくのを、女子はおしゃべりしながら見送った。
女子のスタートの時、ヒスイは不思議に思った。
周りのメンツがバスケ部である。
陸上をやっていたというその人はヒスイより3人離れたところに位置取っていた。
何の作戦?
ヒスイはすぐ後ろにいる陸上部の仲間を見る。
視線の意味に気づかない仲間たちは「がんばろうね」と笑顔だ。
ホーンの音でスタートする。
ヒスイは前をバスケ部の女子に塞がれた。
陸上部の友達が異変に気付いたのはトラックを出てからである。
その時にはバスケ部のその人はずいぶん先まで出ていた。
短距離をやっている子がヒスイの肩を叩き、後ろを指す。
いったん下がろうと言っていた。
ヒスイは一度下がってから大きく右に移動する。
それから集団から飛び出した。
まだ間に合うよ。
ちょっと先に一度スパートするだけだ。
しんどいがなんとかなる。
ヒスイは外周を少し回ったあたりで並んだ。
するとその人はヒスイの後ろにぴったりつく。
むっとしたが、ヒスイは呼吸を乱さないように前を向いた。
同じリズムで聞こえ続ける足音はプレッシャーである。
定期的にムカッとした。
速いくせに、小細工なんてっ。
トラックに戻った時、ヒスイが先頭なのを見てチヅルは一瞬嬉しかった。
けれど、追い越す練習をさせてくれた時のことを思い出した。
順位の書かれた紙を思わずぎゅっと握る。
ひーさん、ぴったりくっつかれてる。
ゴール前最後のコーナーで2位の人が横に並んだ。
ヒスイは一瞬そちらを見遣る。
すぐにまっすぐ視線を戻した。
直線に入って二人ともスピードが上がる。
じわじわとゴールに迫ってきた。
チヅルの目の前を通過した時、二人の様子は分かれていた。
ヒスイは顔が地面を向いていく。
逆に競ってきたもう一人は前方の空を見上げていた。
「ひーさん」
チヅルは思わず呟く。
呟いてから誰かに聞こえなかったかと口を塞いだ。
ゴールテープを切ったのがヒスイではなかった事が信じられない。
1位を取るのは彼女だとなぜか思っていた。
ヒスイは2位だ。
ヒスイはその日、じっと一点を睨んで過ごした。
時々タオルに顔を埋めて動かなくなった。
ちゃんと部活には出た。
1年生の女子が先輩たちに事の顛末を話したので、噂はあっという間に広がった。
チヅルはその日図書室でヒスイを待っていたけれど、ヒスイには会えなかった。
部活終わりにあっという間に消えたから。
ヒスイは全速力で家に帰ると玄関に突っ伏した。
母と姉が驚いて見に来るほど大声で泣いてやった。
それは怪獣の叫び声のようだった。
野良なめんなー、と言ったところで父が玄関のドアを開けた。
すごい目になって火曜の朝に現れたヒスイは、大丈夫だからねと笑った。
動揺させたことをチヅルに謝った。
作戦を考えたから、本当に大丈夫。
ヒスイはそう言った。
チヅルくんは丹沢くんについてくことを考えて。
26位なんてすごいよ。
チヅルはここで自分まで調子を崩したらヒスイがもっと泣くと思った。
母はもっと食べさせたがったけど、夜ご飯は気持ち悪くならない量で止めた。
いつもより1時間早く寝た。
水曜日の朝、ヒスイの顔は元通りになっていた。
「おはよう。今朝は軽めに走ろう」
いつもの調子に戻ったようにヒスイは言う。
すたすたと走っていると、朝日が上がってきた。
「私が速ければいい話なんだよ」
前を向きながらヒスイは言う。
その声には静かながら力が入っていて、緊張していると分かった。
「予行の時は腹が立ってた。
でも、勝負の時ってそう言うのも気にかけない方が勝つもんね」
チヅルの脳裏に書道大会の様子が浮かぶ。
いつもチヅルは周りの音なんて聞こえていない。
字を書いているときは、それだけに集中していた。
「同じ小細工は2度通じないから、ひーさんは大丈夫」
チヅルが言うと、ヒスイは「うん」と素直に答える。
「教室で丹沢くんに会ったら『よろしく頼む』って伝える?」
そんな冗談言えるなら本当に大丈夫だ。
チヅルはスタートラインに立っている時ちらりと女子の方を見た。
ヒスイはどこにいるのか見えない。
ホーンの音で走り出した。
今日も丹沢くんにくっついていく。
外周を走っていると、女子のスタートのホーンの音が聞こえた。
ヒスイともう一人が二人で外周に出て行く。
ヒスイはまた先頭になっていた。
チヅルはトラックに戻ってくると丹沢くんの横に並んだ。
丹沢くんは嫌そうにスピードを上げたり落としたりする。
チヅルはただ前を見て走った。
コーナーを回り、直線に入ってもチヅルは並んだまま走る。
丹沢くんの方が下を向いた。
チヅルは押し出されるように速度を上げる。
ゴール後に渡された紙を見ると、24位だった。
チヅルがゴールしたしばらく後に、女子の先頭が戻る。
ヒスイが先に走っていて、背後をもう一人が走っていた。
チヅルはまた心配になってトラックを見つめる。
ヒスイはいつもとちょっと違う走り方をしていた。
なんだか彼女の父によく似た動きである。
ボールを追ってゆらゆらと揺れているような走り方だ。
後ろの人が嫌そうな顔をしている。
最後のコーナー手前でその人が並びかけた。
ヒスイは構わずにスパートをかけ始める。
今度は陸上の選手らしくまっすぐなフォームをしていた。
ロングスパートは得意なのだろう。
いつも200mある橋をおもちくん目がけてダッシュしていた。
ひーさん、負けないで。ひーさん。
チヅルは瞬きもせずに祈る。
今日、空を見ているのはヒスイだ。
勝ったのはヒスイだった。
トラックの内側をダウンで1周回りながら部活の仲間に親指を立てて見せている。
1位の紙をもらってグラウンドに座る彼女は、晴れ晴れした顔をしていた。
身長は162.1㎝。
BMIは22だ。
「これ標準のど真ん中だよ」
ヒスイの父が嬉しそうに言ったのに、チヅルは心配そうな顔をした。
「親には内緒にしてください」
いや、ただのBMI指数ですが。
「逆兵糧攻めに遭うので」
「おう。そうだな」
大会直前の胃もたれはちょっといけないと思った。
「ちょうど60㎏で身長も変わってなかったって教えとくか」
その言葉に、ヒスイは父同士やりとりしてるらしいことを知る。
「月曜が予行で、水曜が本番だろ?
直前は糖質中心で、肉魚野菜はあまり多く取りすぎない。
消化にいいものを食べてね。
おかしは和菓子の方がおすすめ。
お腹痛くしないように」
スマホを操作しながらヒスイの父が言った。
「糖質中心って言っても、動けなくなるほどご飯食べる必要はないから」
初めての試合に教え子を送り出す人のようである。
チヅルに会うのは今日で2回目のくせに。
ヒスイはむむっと父の顔を見た。
釈然としないまま、月曜日を迎えた。
トラックを1/4周し、学校の外周を1周して、またトラックを1周してゴールする。
距離にして2.4km。
今朝はチヅルにとってもあまり負担をかけない速度で流した。
やっぱりチヅルは「髪、切ったー?」と言われていた。
落ち着いて「うん。そう」と答えるチヅルは本当に素直だ。
男子のスタートから10分後に女子はスタートする。
だからチヅルのゴールはきっと見れない。
がんばれー、と声をかけたかったが、チヅルは困ると思って何もしなかった。
スタート位置は、練習の間に合計何周したかで決まる。
チヅルは真ん中よりは前めだ。
悪くない。
男子がスタートしていくのを、女子はおしゃべりしながら見送った。
女子のスタートの時、ヒスイは不思議に思った。
周りのメンツがバスケ部である。
陸上をやっていたというその人はヒスイより3人離れたところに位置取っていた。
何の作戦?
ヒスイはすぐ後ろにいる陸上部の仲間を見る。
視線の意味に気づかない仲間たちは「がんばろうね」と笑顔だ。
ホーンの音でスタートする。
ヒスイは前をバスケ部の女子に塞がれた。
陸上部の友達が異変に気付いたのはトラックを出てからである。
その時にはバスケ部のその人はずいぶん先まで出ていた。
短距離をやっている子がヒスイの肩を叩き、後ろを指す。
いったん下がろうと言っていた。
ヒスイは一度下がってから大きく右に移動する。
それから集団から飛び出した。
まだ間に合うよ。
ちょっと先に一度スパートするだけだ。
しんどいがなんとかなる。
ヒスイは外周を少し回ったあたりで並んだ。
するとその人はヒスイの後ろにぴったりつく。
むっとしたが、ヒスイは呼吸を乱さないように前を向いた。
同じリズムで聞こえ続ける足音はプレッシャーである。
定期的にムカッとした。
速いくせに、小細工なんてっ。
トラックに戻った時、ヒスイが先頭なのを見てチヅルは一瞬嬉しかった。
けれど、追い越す練習をさせてくれた時のことを思い出した。
順位の書かれた紙を思わずぎゅっと握る。
ひーさん、ぴったりくっつかれてる。
ゴール前最後のコーナーで2位の人が横に並んだ。
ヒスイは一瞬そちらを見遣る。
すぐにまっすぐ視線を戻した。
直線に入って二人ともスピードが上がる。
じわじわとゴールに迫ってきた。
チヅルの目の前を通過した時、二人の様子は分かれていた。
ヒスイは顔が地面を向いていく。
逆に競ってきたもう一人は前方の空を見上げていた。
「ひーさん」
チヅルは思わず呟く。
呟いてから誰かに聞こえなかったかと口を塞いだ。
ゴールテープを切ったのがヒスイではなかった事が信じられない。
1位を取るのは彼女だとなぜか思っていた。
ヒスイは2位だ。
ヒスイはその日、じっと一点を睨んで過ごした。
時々タオルに顔を埋めて動かなくなった。
ちゃんと部活には出た。
1年生の女子が先輩たちに事の顛末を話したので、噂はあっという間に広がった。
チヅルはその日図書室でヒスイを待っていたけれど、ヒスイには会えなかった。
部活終わりにあっという間に消えたから。
ヒスイは全速力で家に帰ると玄関に突っ伏した。
母と姉が驚いて見に来るほど大声で泣いてやった。
それは怪獣の叫び声のようだった。
野良なめんなー、と言ったところで父が玄関のドアを開けた。
すごい目になって火曜の朝に現れたヒスイは、大丈夫だからねと笑った。
動揺させたことをチヅルに謝った。
作戦を考えたから、本当に大丈夫。
ヒスイはそう言った。
チヅルくんは丹沢くんについてくことを考えて。
26位なんてすごいよ。
チヅルはここで自分まで調子を崩したらヒスイがもっと泣くと思った。
母はもっと食べさせたがったけど、夜ご飯は気持ち悪くならない量で止めた。
いつもより1時間早く寝た。
水曜日の朝、ヒスイの顔は元通りになっていた。
「おはよう。今朝は軽めに走ろう」
いつもの調子に戻ったようにヒスイは言う。
すたすたと走っていると、朝日が上がってきた。
「私が速ければいい話なんだよ」
前を向きながらヒスイは言う。
その声には静かながら力が入っていて、緊張していると分かった。
「予行の時は腹が立ってた。
でも、勝負の時ってそう言うのも気にかけない方が勝つもんね」
チヅルの脳裏に書道大会の様子が浮かぶ。
いつもチヅルは周りの音なんて聞こえていない。
字を書いているときは、それだけに集中していた。
「同じ小細工は2度通じないから、ひーさんは大丈夫」
チヅルが言うと、ヒスイは「うん」と素直に答える。
「教室で丹沢くんに会ったら『よろしく頼む』って伝える?」
そんな冗談言えるなら本当に大丈夫だ。
チヅルはスタートラインに立っている時ちらりと女子の方を見た。
ヒスイはどこにいるのか見えない。
ホーンの音で走り出した。
今日も丹沢くんにくっついていく。
外周を走っていると、女子のスタートのホーンの音が聞こえた。
ヒスイともう一人が二人で外周に出て行く。
ヒスイはまた先頭になっていた。
チヅルはトラックに戻ってくると丹沢くんの横に並んだ。
丹沢くんは嫌そうにスピードを上げたり落としたりする。
チヅルはただ前を見て走った。
コーナーを回り、直線に入ってもチヅルは並んだまま走る。
丹沢くんの方が下を向いた。
チヅルは押し出されるように速度を上げる。
ゴール後に渡された紙を見ると、24位だった。
チヅルがゴールしたしばらく後に、女子の先頭が戻る。
ヒスイが先に走っていて、背後をもう一人が走っていた。
チヅルはまた心配になってトラックを見つめる。
ヒスイはいつもとちょっと違う走り方をしていた。
なんだか彼女の父によく似た動きである。
ボールを追ってゆらゆらと揺れているような走り方だ。
後ろの人が嫌そうな顔をしている。
最後のコーナー手前でその人が並びかけた。
ヒスイは構わずにスパートをかけ始める。
今度は陸上の選手らしくまっすぐなフォームをしていた。
ロングスパートは得意なのだろう。
いつも200mある橋をおもちくん目がけてダッシュしていた。
ひーさん、負けないで。ひーさん。
チヅルは瞬きもせずに祈る。
今日、空を見ているのはヒスイだ。
勝ったのはヒスイだった。
トラックの内側をダウンで1周回りながら部活の仲間に親指を立てて見せている。
1位の紙をもらってグラウンドに座る彼女は、晴れ晴れした顔をしていた。
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