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端木 子恭

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もういっこ

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 音楽祭は市の文化会館で行われた。

 ヒスイの母は来なかったが、立上さんはばっちりいらしていた。
 ジョギングのグループにチヅルとヒスイの写真が30枚以上送られた。

「お母さん、こういうところが浅はかなんだよね…」

 朝、走りながらチヅルが言う。
 申し訳なさそうな顔をしていた。
 なんのことだか分からないヒスイはその一歩先を走っている。

「ひーさんごめんね。怖くなかった?
 よそのお母さんに100枚近く写真とられて」
「100枚?」

 そんなに撮られていたとは。
 ヒスイはひんやりした空気に頭の毛がさわっとなるのを感じた。

「蓑浦家は喜んでたよ。
 中学生になってからの写真はレアだって」
「母にお米が足りてないかしらって言われてたよ。
 ひーさんきっと狙われてる」

 米将軍の逆兵糧攻め。

「蓑浦母は、チヅルくんやせたーってびっくりしてた。
 11月は順行って感じだったもんね」

 ゆっくりならヒスイと走れるようになっている。

 薄暗がりの中を散歩する人は少ない。
 おもちくんはこの頃、ヒスイと入れ違いで河川敷に現れた。
 
「チヅルくんは体力もついてきたし、もういっこ強めの運動をします」

 ヒスイコーチはひひひ、と笑って言う。
 チヅルが素直に首を傾げた。
 危険に対してどうも対応がのん気である。

「チヅルくん今、1分間の脈拍はいくつ?」

 ヒスイは自分がつけているスマートウォッチを指し示した。

「えー…っとね」

 チヅルは橋を渡りながらしばらく手首に触れる。
 河川敷を折り返すところで顔を上げた。

「130くらい」
「静かに座ってる時の脈拍知ってる?」
「70くらい」

 脈、速いな。

 ヒスイはちょっと予想外の数値に黙る。
 
「脈をあと10、上げるくらいの運動しようか。
 12月にはマラソン大会があるし」

 最後の橋に差しかかった時、ヒスイが言った。

「負荷をかけるってこと?」

 もうちょっとだから頑張ろうという顔でチヅルが聞く。

「そう。…あぁっ、もッちゃんおはよう」

 行きつけの柴犬を見つけたヒスイがあっという間に駆けていった。
 チヅルが自分のペースでゴールする。
 その時には柴犬のおもちは河川敷を歩き始めていた。

「12月に入ってからでいい?」

 立ち上がったヒスイにチヅルが言う。
 止まった途端に滝のような汗が流れてきて、思わずTシャツの肩で拭った。

「うん。そうしよう」

 ヒスイは即答する。
 日が昇ってきて、辺りは急に朝っぽく光った。

「じゃあ、またあとで」

 手を振っていったん家に戻る。


 7時に書道教室に上がると、チヅルが教科書と国語の副教材を用意して待っていた。
 なんだか先生みたいに。

「1週間前です」

 畏まって言うのもなんだか先生ぽい。

「何の?」

 本当に分からなくてヒスイは尋ねた。

「中間テストの」

 うそー、という目でチヅルは首をかしげる。

「ひーさん、テスト1週間前にテストのこと知らないの、やばい」
「えっそう?いつでも全力を尽くすのみだから、私」
「それは全力じゃない」

 ふるふると首を横に振った。

「全力って言うのは、これ以上無理って言うくらい勉強してから出せるんだよ」

 チヅルは悲し気な目をして副教材を取り出す。

「解いてる?これ」
「いいえ。やってません」
「今日から部活停止期間です。
 ひーさんはこのテキストを今日中に解答してください。
 テスト範囲の漢字練習と、20字日記は別でやる」
「鬼ー」

 ヒスイの叫びをチヅルは静かに受け流した。

「ここでは地理のプリントを見ます」

 先生はスマホの画面をヒスイに見せる。
 期末の範囲の白地図だ。

「字が合ってるか確認するよ。多分合ってない」
「……」
「ひーさん、勉強って全部が日本語こくごなの」

 ヒスイのスマホにそのプリントが送られる。

「字、以前に語句が分かりません…」

 討ち取られそうになりながらヒスイが答えた。
 チヅルは無言で解答のファイルを送ってくる。

「地図の場所を確認しながら、語句を覚えます。
 裏紙いる?」

 チヅル先生は容赦ない。

「ひーさんなら頑張れるからね。
 勉強だって、もういっこ負荷を上げてみよう」

 にっこりするチヅルに、ヒスイはうっ、と文句を飲み込んだ。


 学校から帰ってから、ヒスイはすぐにテキストに取りかかった。
 母が今日作ってくれたのは餡なしたい焼きである。
 頭をくわえて部屋にこもった。
 
 明日も会うからこれは絶対にやらなきゃ。
 チヅルくんのあの笑顔守るんだ。

 ヒスイは自分を励ましながら問題を解く。

「ヒスイー。ごはんだよー」

 早く帰ってきた父が階下から声をかけた。

「お父さんおかえりー」

 スマホ片手に食卓へ降りてきたヒスイはスタンドにスマホを立てる。

「何してんの?それ」

 じっと見入る娘に父が尋ねた。

「んー。地理のプリントなんだけど。
 チヅルくん、どうして私が字、間違える事知ってんのかなあ?
 確認してくれるっていうから覚えなきゃなんだよねー」

 ぶつぶつと地名を唱えながらヒスイは言う。

「あれだな。名前は間違ったら失礼だもんな。
 ちゃんと覚えて悪いことはないだろ」

 父は半笑いだ。
 姉は何か言いたげにスマホの画面を見る。

「チヅルくんすごいよね。
 今朝、テスト1週間前だって教えてくれたの。
 私、知らなくてさあ」

 母がスープを用意しながら下唇を一瞬だした。
 娘は気づいていない。

「ちゃんと勉強しないでテスト受けるのは、全力を出したことにならないんだって」

 ヒスイは黙々とご飯を食べた。
 食器を食洗機に並べると、とことこと部屋へ上がっていく。

 階下で父と母が川の向こうを拝んでいた。 

 
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