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ギブ
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姉は、口元を?の形にひしゃげながら家を出て行った。
帰ったら詳しく聞かせてよ、と言い置いて。
午後出の母はドライヤーで何も聞こえない娘の近くで何か言っている。
「……ぃ子なの?」
ドライヤーを止めたけど、結局手間は二度かかった。
はい?の顔のヒスイにもう一度同じことを聞く。
「最近仲良い子なの?」
「ぜんぜん。顔と名前が一致するくらい。
ほら、学年だよりにいつも載ってる子だよ。
ちょーーー頭良い」
母は学年だよりをまとめているファイルを出してきた。
ぺらぺらめくって確かめている間に、ヒスイは髪を結んでしまう。
牛乳とパンをほぼ同時に口に入れた。
目玉焼きとウインナーを食べた後、口直しにミニトマトを食む。
毎朝ほぼ同じメニューだが、朝からこんなに出してくれる母は偉いと思う。
流しのフライパンを軽く洗って食洗機にセットした。
使い終わった皿もぜんぶ同じように立てる。
「わあ、ほんと。頭良い」
ファイルを閉じた母が呟くように言った。
「その子が、最近近所に引っ越してきて、あんたに勉強を教えてくれるの?」
「そう。毎朝ジョギングいっしょにする代わりに」
「やんなさい」
一も二もなく母は命じる。
「どうせあんた走ってるんだから。
一緒に走る人が増えて、しかも勉強みてくれる」
塾に通ったら1教科だけだって相当する。
「やんなさい」
「……」
おでこに計算機が見えた。
そんな母に一瞥をくれてやって、ヒスイは2階の自分の部屋に行く。
ヒスイは勉強道具をリュックに入れながら考えた。
チヅルのお母さんを学校で見たことがある。
今年学年役員をやっているはずだ。
PTAの広報誌のタイトルは彼の母の手書きである。
筆でバシッと決まった漢字。
キッと前を見据えて歩いているようなお母さんだった。
その息子に近づいても怖そう。
しかし息子の頼みを断るのも怖い。
ううん、と呻いた。
自転車にまたがって家を出たのは8時近くなってしまう。
まずい。悩みすぎた。
とにかく、無碍にしたと思われないようにしよう。
彼とジョギンググループでも作って、遠隔操作したっていいんじゃないか?
まずは連絡先を聞こう、連絡先。
そう思って滑り込んだ学校で、ヒスイは筆箱とその上に置いたスマホを忘れたことに気づいた。
紙に、一応書いた。
ヒスイの連絡先。
友達に恵んでもらった鉛筆の芯(先っちょを折ったやつ)で書いた。
ノートの切れ端を渡されて、チヅルは戸惑った表情になる。
誰かに鉛筆かシャーペン借りたら良かったのではとか。
いや、そもそも書く必要は…。
いろいろ思い浮かんでしまうが。
「スマホ忘れたんなら、僕、簑浦さん家まで行くよ?
そうすればよくない?」
近いんだから。
自転車を押して二人で校門を出た。
「そっか」
今気づいた、とヒスイは口を開ける。
「じゃ、レッツゴー、チヅルくん」
がしゃん、と音がしたかと思えばヒスイはすでに走り出していた。
キーコキーコという擬音が似合いそうな速度でチヅルはそれを追う。
チヅルが乗ると、ママチャリは細く見えた。
痩せたくて、親しくもない女子に声をかけたチヅルの勇気に、ヒスイの母は感心している。
でもあの体、動かすの大変そうだなあ。
はあ、と信号待ちのついでに振り返ったヒスイは嘆息した。
300mも走らずに距離がずいぶん開いている。
「チヅルくん、自転車こぐときも気持ちペースを上げるようにするんだよ。
そうすれば体重だって自然に減るから」
「でも、横から人が飛び出して来たらどうするの…?
僕、制動距離が長いから」
学校指定の白いヘルメットをかぶったチヅルはそう言った。
その頭はもう汗をかいている。
ヒスイの家は学区の端にあった。
歩いたら30分はかかる。
自転車でも15分は切れない。
毎日軽い運動しているようなものなのだ。
「向こうだって気を付けてくれるから、たいていぶつからないよ」
ヒスイはそう言い放つとまたがっしゃがっしゃと自転車をこぐ。
いつもより5分くらい長くかけて帰宅した。
母はまだ帰っておらず、ヒスイは誰もいない家のダイニングにチヅルを通す。
今日のおやつは何だろうとキッチンを覗くと、白玉のおしるこがあった。
まだそんな季節ではないが、母が思わずそれを作ってしまった理由は分かる。
部屋に行ってジャージに着替えた。
スマホを手にダイニングに戻る。
連絡先を交換してから、さっそくメッセージを送った。
「家を出てから走り終わってまた戻るまでの流れを説明するね」
口頭でも説明していく。
「朝だからそんなに張り切ってやらないの。
それが続けるコツなんだと思う。
朝家を出たら軽くストレッチして、足伸ばす。背中も伸ばす」
うん。とスマホを見ながらチヅルは頷いた。
「で、次は歩いて橋のスタート地点まで行く。
ここではまだ走らないよ。準備体操みたいなもん。
で、いよいよ河川敷に着いたらスタート。
一周してきて、また歩いて帰る。
この流れを30分で終わるようにするの」
また、チヅルはうん。と頷いてから顔を上げる。
「あの…、じゃあ、等価交換成立っていうこと…?」
ヒスイは「おっ」と短く言った。
「まだコーチやるよって言ってなかったっけ?
やるやる。
勉強教えてもらう」
慌てて支離滅裂な答え方をする。
「教科は決めた?」
チヅルの白玉お肌には「大丈夫かな」と書かれていた。
「僕が人に教えられるのって、1教科が限度だと思うの」
「バッチリ決めてきたよ」
ヒスイは今日、職員室に行ったのだ。
休み時間の先生方に聞いてきた。
「国語。
私に足りないのは国語の力」
チヅルは黙ってヒスイを見る。
困ったようだ。
あれ?なんでかな?
ヒスイはたらたらと背中に汗をかく。
「国語…、いやだ?チヅルくんも」
おそるおそる聞いたところで、家の玄関が勢いよく開いた。
「ただいまー」
姉の声がする。
びくーん、と、チヅルの肩が跳ね上がった。
え、大げさすぎない?
ヒスイはその動きに驚いて彼を見る。
「あっ、ヒスイ」
姉は大きな声でその背中に怒鳴った。
「あんた、親がいないときに友達あげちゃだめでしょーっ?」
わぁ、と小さく悲鳴をあげてチヅルが席を立つ。
おろおろとしている彼の目から、大粒の涙が流れてきた。
「チヅルくん、チヅルくんに怒ったんじゃないよっ?」
姉のことよりも目の前の同級生の様子にビビッてヒスイまでおろおろする。
「ごめんなさいっ。ごめんなさいー」
チヅルは小学生みたいに泣いた。
姉が焦って部屋の中に入ってくる。
通路が開いたとみるや彼は駆けだしていった。
「お姉ちゃん」
まっすぐ非難するビームを目から放ってやる。
「なんでいきなり大っきい声出すの?
チヅルくん怖がったじゃないよ」
「そんなに大きかった?」
大声で言い合っていると、母親が帰宅した。
「ただいまー。何喧嘩してるのー?」
のんびりと入ってくる。
「あっ、お母さん、今ね、ヒスイが男の子家にあげてたんだよ」
「チヅルくんだってばっ。朝お母さんには言ったもん」
二人は大声で事の顛末を叫んだ。
チヅルのジョギングのコーチをやる。
代わりに国語を教えてもらう。
そこまで話したら姉が来て怒鳴った。
チヅルが泣き出して走って帰ってしまった。
そんな話が浮かび上がってくる。
きゃあきゃあ言い合う姉妹に、母親はカッと見開いた目を向けた。
手に持っている買い物袋の中からプチシューを取り出す。
「あんたたち、今すぐ一緒に来なさい」
娘たちはその剣幕にびくぅっ、となった。
帰ったら詳しく聞かせてよ、と言い置いて。
午後出の母はドライヤーで何も聞こえない娘の近くで何か言っている。
「……ぃ子なの?」
ドライヤーを止めたけど、結局手間は二度かかった。
はい?の顔のヒスイにもう一度同じことを聞く。
「最近仲良い子なの?」
「ぜんぜん。顔と名前が一致するくらい。
ほら、学年だよりにいつも載ってる子だよ。
ちょーーー頭良い」
母は学年だよりをまとめているファイルを出してきた。
ぺらぺらめくって確かめている間に、ヒスイは髪を結んでしまう。
牛乳とパンをほぼ同時に口に入れた。
目玉焼きとウインナーを食べた後、口直しにミニトマトを食む。
毎朝ほぼ同じメニューだが、朝からこんなに出してくれる母は偉いと思う。
流しのフライパンを軽く洗って食洗機にセットした。
使い終わった皿もぜんぶ同じように立てる。
「わあ、ほんと。頭良い」
ファイルを閉じた母が呟くように言った。
「その子が、最近近所に引っ越してきて、あんたに勉強を教えてくれるの?」
「そう。毎朝ジョギングいっしょにする代わりに」
「やんなさい」
一も二もなく母は命じる。
「どうせあんた走ってるんだから。
一緒に走る人が増えて、しかも勉強みてくれる」
塾に通ったら1教科だけだって相当する。
「やんなさい」
「……」
おでこに計算機が見えた。
そんな母に一瞥をくれてやって、ヒスイは2階の自分の部屋に行く。
ヒスイは勉強道具をリュックに入れながら考えた。
チヅルのお母さんを学校で見たことがある。
今年学年役員をやっているはずだ。
PTAの広報誌のタイトルは彼の母の手書きである。
筆でバシッと決まった漢字。
キッと前を見据えて歩いているようなお母さんだった。
その息子に近づいても怖そう。
しかし息子の頼みを断るのも怖い。
ううん、と呻いた。
自転車にまたがって家を出たのは8時近くなってしまう。
まずい。悩みすぎた。
とにかく、無碍にしたと思われないようにしよう。
彼とジョギンググループでも作って、遠隔操作したっていいんじゃないか?
まずは連絡先を聞こう、連絡先。
そう思って滑り込んだ学校で、ヒスイは筆箱とその上に置いたスマホを忘れたことに気づいた。
紙に、一応書いた。
ヒスイの連絡先。
友達に恵んでもらった鉛筆の芯(先っちょを折ったやつ)で書いた。
ノートの切れ端を渡されて、チヅルは戸惑った表情になる。
誰かに鉛筆かシャーペン借りたら良かったのではとか。
いや、そもそも書く必要は…。
いろいろ思い浮かんでしまうが。
「スマホ忘れたんなら、僕、簑浦さん家まで行くよ?
そうすればよくない?」
近いんだから。
自転車を押して二人で校門を出た。
「そっか」
今気づいた、とヒスイは口を開ける。
「じゃ、レッツゴー、チヅルくん」
がしゃん、と音がしたかと思えばヒスイはすでに走り出していた。
キーコキーコという擬音が似合いそうな速度でチヅルはそれを追う。
チヅルが乗ると、ママチャリは細く見えた。
痩せたくて、親しくもない女子に声をかけたチヅルの勇気に、ヒスイの母は感心している。
でもあの体、動かすの大変そうだなあ。
はあ、と信号待ちのついでに振り返ったヒスイは嘆息した。
300mも走らずに距離がずいぶん開いている。
「チヅルくん、自転車こぐときも気持ちペースを上げるようにするんだよ。
そうすれば体重だって自然に減るから」
「でも、横から人が飛び出して来たらどうするの…?
僕、制動距離が長いから」
学校指定の白いヘルメットをかぶったチヅルはそう言った。
その頭はもう汗をかいている。
ヒスイの家は学区の端にあった。
歩いたら30分はかかる。
自転車でも15分は切れない。
毎日軽い運動しているようなものなのだ。
「向こうだって気を付けてくれるから、たいていぶつからないよ」
ヒスイはそう言い放つとまたがっしゃがっしゃと自転車をこぐ。
いつもより5分くらい長くかけて帰宅した。
母はまだ帰っておらず、ヒスイは誰もいない家のダイニングにチヅルを通す。
今日のおやつは何だろうとキッチンを覗くと、白玉のおしるこがあった。
まだそんな季節ではないが、母が思わずそれを作ってしまった理由は分かる。
部屋に行ってジャージに着替えた。
スマホを手にダイニングに戻る。
連絡先を交換してから、さっそくメッセージを送った。
「家を出てから走り終わってまた戻るまでの流れを説明するね」
口頭でも説明していく。
「朝だからそんなに張り切ってやらないの。
それが続けるコツなんだと思う。
朝家を出たら軽くストレッチして、足伸ばす。背中も伸ばす」
うん。とスマホを見ながらチヅルは頷いた。
「で、次は歩いて橋のスタート地点まで行く。
ここではまだ走らないよ。準備体操みたいなもん。
で、いよいよ河川敷に着いたらスタート。
一周してきて、また歩いて帰る。
この流れを30分で終わるようにするの」
また、チヅルはうん。と頷いてから顔を上げる。
「あの…、じゃあ、等価交換成立っていうこと…?」
ヒスイは「おっ」と短く言った。
「まだコーチやるよって言ってなかったっけ?
やるやる。
勉強教えてもらう」
慌てて支離滅裂な答え方をする。
「教科は決めた?」
チヅルの白玉お肌には「大丈夫かな」と書かれていた。
「僕が人に教えられるのって、1教科が限度だと思うの」
「バッチリ決めてきたよ」
ヒスイは今日、職員室に行ったのだ。
休み時間の先生方に聞いてきた。
「国語。
私に足りないのは国語の力」
チヅルは黙ってヒスイを見る。
困ったようだ。
あれ?なんでかな?
ヒスイはたらたらと背中に汗をかく。
「国語…、いやだ?チヅルくんも」
おそるおそる聞いたところで、家の玄関が勢いよく開いた。
「ただいまー」
姉の声がする。
びくーん、と、チヅルの肩が跳ね上がった。
え、大げさすぎない?
ヒスイはその動きに驚いて彼を見る。
「あっ、ヒスイ」
姉は大きな声でその背中に怒鳴った。
「あんた、親がいないときに友達あげちゃだめでしょーっ?」
わぁ、と小さく悲鳴をあげてチヅルが席を立つ。
おろおろとしている彼の目から、大粒の涙が流れてきた。
「チヅルくん、チヅルくんに怒ったんじゃないよっ?」
姉のことよりも目の前の同級生の様子にビビッてヒスイまでおろおろする。
「ごめんなさいっ。ごめんなさいー」
チヅルは小学生みたいに泣いた。
姉が焦って部屋の中に入ってくる。
通路が開いたとみるや彼は駆けだしていった。
「お姉ちゃん」
まっすぐ非難するビームを目から放ってやる。
「なんでいきなり大っきい声出すの?
チヅルくん怖がったじゃないよ」
「そんなに大きかった?」
大声で言い合っていると、母親が帰宅した。
「ただいまー。何喧嘩してるのー?」
のんびりと入ってくる。
「あっ、お母さん、今ね、ヒスイが男の子家にあげてたんだよ」
「チヅルくんだってばっ。朝お母さんには言ったもん」
二人は大声で事の顛末を叫んだ。
チヅルのジョギングのコーチをやる。
代わりに国語を教えてもらう。
そこまで話したら姉が来て怒鳴った。
チヅルが泣き出して走って帰ってしまった。
そんな話が浮かび上がってくる。
きゃあきゃあ言い合う姉妹に、母親はカッと見開いた目を向けた。
手に持っている買い物袋の中からプチシューを取り出す。
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