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端木 子恭

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チヅルの事情

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 帰りの遅い娘を心配してか、母が玄関ドアを開けた。

 真正面で男子に頭を下げさせているわが娘に瞠目する。

「ヒスイ、いじめはダメっ」
「してない」

 母に鋭く切り返して、ヒスイはチヅルに頭を上げさせた。
 彼は生真面目そうな顔でヒスイの母親を見る。

「僕、ヒスイさんの同級生で、立上たてがみ 千絃ちづるといいます。
 初めまして。おはようございます」

 声変わりの終わっていない高い声だった。

「朝の忙しいお時間にすみません。
 僕、ヒスイさんにジョギングのコーチを頼みに来たんです。
 どうしても痩せたくて」

 痩せたい、という言葉が母の琴線に触れる。
 母の顔を見る限り、彼は同志と認定された。

「そこ道路だから二人とも入んなさい。
 話は中ですればいいから」

 そして、いつもはまだ洗面所が使えないからと寝ている姉を起こしに行く。
 
 ヒスイは門扉の内側にチヅルを案内した。
 
 二人は対照的な体つきをしている。
 
 ヒスイは男の子に間違われそうなくらい細い。
 実際、温泉に行った時脱衣所で白い目で見られた。

 子どもだからって、そんなに大きい男の子が女湯に入っていいと思ってるのか。

 知らないおばさんが施設の人に告げ口に行ったのを見て、慌てて替えの下着を脱衣かごの一番上に置いた。
 
 チヅルは顔つきが優しい。
 小まめに切らないらしい黒髪は女子の短めのボブにも見えた。
 
 一重か奥二重かちょっと分からない。
 頬のようすはまるで。

 しらたま。
 白玉くん。

 失礼なことを考えているヒスイに、彼は一生懸命話した。

「僕ね、今年の書初め大会で知らない子に怒られちゃって。
 でぶがそばでうるさいからちゃんとした字が書けないって。

 それで、痩せようと思って走ることにしたんだけど、挫折続きなの。
 精神的に弱いのは僕が悪いとは思うんだけど。
 コーチになってくれる人がいれば3か月やり切れそうな気がするんです。

 簑浦さんは毎朝走ってるでしょ?その時間、一緒に走ってくれませんか」

 毎朝走っているところを、いつから発見されていたのか。
 ヒスイは小さくひゅ、と息を吸った。

「僕、夏休みに近所に引っ越してきました。
 偶然走ってる簑浦さんが見えたんです」

 気持ち悪がられてはいけないと思ったのかチヅルがそう付け足した。

「勿論、ただでじゃないよ。
 等価交換を考えてきました」

 チヅルは本気のようである。

「簑浦さん、勉強苦手でしょ。
 何か1教科くらいなら、僕、責任もって教えられると思います」

 考えてみてください。
 そう言って、チヅルは敷地を出た。

 人の進む方に倣って行けば、バス停か駅がある。
 ヒスイの家からの人の流れは大半が駅に向かうものだった。

 橋を渡る人について行きながら、チヅルは思い切った自分の心臓を押さえている。


 夏休みの終わりに引っ越してきた。
 新居が完成したから。

 河川敷に近い場所を新たに造成してできた宅地を、去年の終わりに両親は購入した。
 同じ市内に住んでいる祖父の家からは少し離れる。
 しかし古いアパートを出て自分の部屋がもらえるとチヅルは喜んだ。

 祖父は書道の世界では偉い先生である。
 ずっと市内の書道大会では審査員を務めていた。
 
 母は書道展に参加するほどの腕前で、チヅルも幼い頃から習ってきた。
 半紙の上に筆を乗せる前から、もうどういう風な筋を辿ればいいか見当がつく。
 毎年のように、各小学校から選抜される大会出場者に選ばれた。
 
 チヅルが太り始めたのは小学5年の時だ。

 担任や、同級生との何かがきっかけで学校に行けなくなった。
 家にずっといて、母のやっている習字教室で何か書く毎日を送った。
 母は心配して、学校に行けと言わない代わりにチヅルに大量の食事を出した。
 その結果、今年の市内書初め大会に出場した時にはBMIが28を超えていた。
 
 その時の書初めは力強く、とても褒められた。
 しかし、チヅルの斜め後ろに座っていた女の子からすごい形相で睨まれた。

 でぶ。
 鼻息がうるせえから集中できなかった。
 汗臭いから邪魔だった。
 おまえのせいで周り全部死んだわ。

 初めは背中に向けて言われた。
 振り返ったらその子は唇をつきだしてそう言い募った。

 市長賞、と書初めの隅に判を押してもらうのを見ながら、チヅルの顔は引きつっていた。

 どうしようどうしよう。
 ズルして勝ったみたいに言われちゃった。
 太ってると迷惑なんだ。そうだよね…。

 しゅんと気持ちが沈んだ正月になった。


「ただいま」

 玄関を開けると、すっぴんの母が出迎える。
 母は痩せている。
 ぽっちゃりしているのは父の方。
 
 母は太り始めたチヅルを見ても嫌な顔をしなかった。
 だって父が好きなんだから。
 そっくりになっていくチヅルをにこにこ見ていた。

「あのね、お母さん。
 僕、明日から朝毎日走るよ」

 そう宣言すると、母は笑って「がんばって」と言う。
 
 どうせ続かない息子のことをもう何か月も見てきた。
 けれどせっかくやる気になったのだから「がんばって」みてね。
 そんな口調だ。



 夏休み明けの朝、学校に行きたくないと思いながら部屋から河川敷を見た。
 まだ6時前だった。
 
 学校で見かけたことがある人が走っていた。



 毎日、毎日、その人は同じ時間、同じリズムで走る。
 呼吸のように、当たり前に。

 ああなりたいな。

 憧れるような気持ちで見た。
 
 その人が同じ学年であることが分かり、しかも名前が分かったのは9月の中旬。
 そして誰かに聞いてみると、成績が良くない。
 話はしやすい。
 
 チヅルは1週間余り、真剣に考えた。

 どういう風に話を通そうか。
 自分の何をどうすれば、彼女にコーチしてもらえるんだろう。

 お互いの間でできる等価交換。

 ジョギングと勉強。
 休み明けの学年だよりを見ていてひらめいた。
 そこには中間テストの結果と、夏休み中の陸上大会の結果が載っている。

 期末テストの結果が出た直後がねらい目だと思った。

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