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同属
AVANT
しおりを挟む雨が降り出しそうな夕暮れだった。
大きな橋の上に景色を見るためのベンチがある。
1時間以上そこに座っていた青年が立ち上がった。
欄干に手をかけて下の川を見る。
前日の雨で水かさが増していた。
数日前までなかった流木が斜めに突き出している。
大きな水鳥がその先に休んでいた。
一カ所、渦を巻いているところがある。
障害物が底にあるらしい。
さらに時間が経ってしまったのだろう。
いつの間にか車のライトが点いていた。
ひっきりなしに照らされて、青年はため息をもらす。
川面からは靄が立ち上ってきた。
その白くぼやけた光景の中に、動物の目が光る。
青年は伸びてしまった前髪の間から凝視した。
ワニ……?
まさか、と思う。
こんなところにワニがいたら大騒ぎになる。
ちょっと身を乗り出してのぞいた。
その刹那。
がちりと、錠でもかかったかのように目線が固まった。
問いかけるような鋭い目。
あれは意思を持っている。
そう思った。
岸に近い水面から目だけ出している獣。
呼んでいるようだった。
下りてこい。
睨んでいるようにも見える。
笑っているようにも見える。
あっと思った時には欄干をこえていた。
胸近くまでの高さのブロックを。
真下はまだ浅そうだった。
落ちたらきっと頭がぶつかる。
痛いだろうな。
どうせ落ちるなら渦のあたりとか、一番深そうな場所が良かった。
そう思って目を閉じる。
落ちた、と思ったが意外と痛くなかった。
痛くないばかりか、ふわふわと空中で止まったような感じがする。
目を開けてみたが周りは黒くて何も分からなかった。
「死にたかったか?」
からかいを含んだ声に振り向く。
声色は涼しげ。
自分と同じ背格好の青年がいた。
目鼻立ちも似ている。
「そのつもりだったな」
気の弱い自分と違い、凛とした顔つきだ。
内面の差でこんなに印象が違うのかと驚く。
「司城、吏王。大した名前をもらったものだ」
落ちた時に散らばった小物から、財布を拾って開いていた。
免許証を引っ張り出しながらそこにある写真と人間を見比べる。
「そのせいでいつもいじめられる。
この名前は自分に合わなかった」
自分そっくりな何かに事情を話した。
多分自分は橋から飛び降りてしまったのだろう。
そして今、魂が抜ける間際に幻を見ている。
この状況をそう推察した。
「確かに合ってない。お前はもっと弱い」
自分に笑われる。
勝手にひとのかばんをあさっていた。
「自分は死ねたの?」
「お前にそんな度胸があったっけ?
飛び降りられずぐずぐずとしていただけだろう」
ざっくりと胸を抉るような言い方をする。
「飛んでくれりゃあもっと簡単だったのに。
食ってしまうだけですんだ」
脳裏にさっきのワニの姿が浮かんだ。
これは、自分の姿をしているが、ワニの化身か何か?
「お前はその歳でまだ学生なのか。
何を夢見ていたんだ? お前は何ができる」
「目標があったわけじゃないんだ。
ただ高校に行ってないから大学入るのに時間がかかったんだよ。
大学生になったら名前のことでいじめられはしなくなったけど。
でもやっぱり人とうまくいかなくて。
できることもない。資格もない。
もうこの世にいても仕方ないかなって」
目の前の自分は、唾でも吐き捨てるかのように笑う。
「強いやつには分かんない」
「弱いやつは甘いだけなんだよ」
己にも、敵にも。
ワニの化身と思われるもう一人の自分はそう言った。
「自分か、敵しかいないわけ?」
それも生きているのがしんどそう。
「底辺から説教しようとするならこの場で食う」
気短に歯を剥き出して言い放った。
これだけ気が強ければきっといじめられたりしない。
吏王という名も背負って生きられる。
「食ってもいいよ。
あんまり痛いのは嫌だけど」
現実に戻ってしまうよりはましだ。
しかし目の前の自分は爆笑しだす。
バカにしたような笑い方だった。
「この後に及んで、甘いことをほざく」
お前は、と喉を鳴らしながら紡ぐ。
「今、命を俺の前に投げ出したんだぞ。
何をされるかわからねえのに腹を見せて寝転がった。
ひと思いにあの世へ行けると誰か保証したか?」
青ざめる自分の音が聞こえた。
さっきから身分証や電子機器を確かめている。
吏王の人となりや人生を確認している。
作業がひと通り終わるとこちらを見た。
脅し文句ひとつでまだ固まっている様子を見とめる。
「……心配すんな」
今度は柔和なように唇を形作った。
自分の笑い方ではない。
「食いちぎったりなんかしねえよ」
その声が触れる耳から、うすら寒いものが背を伝った。
悪魔の声ってこんなものかもしれない。
「お前は人の世に用がないらしいが、俺はある」
こんな表情ができるのかと思った。
自分に暴力を振るった誰よりもきっと強い。
そう感じられる迫力のある目をしていた。
「身の上をもらう礼だ。
お前にこの世でもあの世でもねえ居場所をやる。
10日も居れば気分も落ち着いて、住みやすくなる」
自分が示す方向を見やった。
女の人の手が暗闇から伸びてくる。
手を引かれ、起き上がった。
「どこに行くの?」
岸の自分に尋ねる。
いつの間にか船に乗っていた。
モーターのない船。
手漕ぎのはずなのに漕ぎ手はいない。
けれど音もなく進んでいった。
女の人に案内されて、桟橋に乗る。
室町時代の服装だ、と思った。
着物の袖下が短い。
寒さに首を竦めると、水に氷が浮いているのが見えた。
氷の海に囲まれたまち。
ずっと向こうに巨大な石楼が建っていた。
砦かな。
そんな気がする。
城下町のようになった街区の真ん中に、自分の家があった。
なぜ自分の家なのか、その時には忘れていた。
元からここにいた者のように。
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