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贈り物

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 雨雲が集まってきている。
 その中心は自分の家の真上だ。

 早朝に阿呂はじっとそれを見上げる。
 眠っている娘を抱いていた。

 背中センサーに対応中である。


「どうした」

 ベランダから声をかけた。
 建物の上に座っていた昊が傍らに下りてくる。
 こちらは稔次を抱いていた。

「藍がおかしい」

 6時前の暗い空を余計に暗くしている犯人は悄然と呟く。
 阿呂は娘から目を外さなかった。
 
「昨日、帰ってきたら怒った」

 ベランダの手すりに腰かける昊は下を向く。

「怒られたんではなく?」

 尋ねる声は静かだ。
 娘のために。

「怒っていた。
 昨日会った人間と俺を比べていた。
 なぜそんなことをしたんだ。
 俺がその人間より劣ってると思って、なぜ怒るんだ」
「昊はなぜ泣かされてる?」

 阿呂はちょっと笑っている。

「劣っていたって構わないだろ。
 そうかって聞いてられなかったのか」
「だって」

 昊は言った。

「痛い」

 声を出そうとするとちくちくする。
 頭はきりきり痛む。

 体に響くくらい軋むのは、心臓だ。

「藍がその人間を好ましく思っている。
 今までの確信が揺らぐくらい。
 そう思ったら痛くなった」
「店長が?」

 阿呂は意外そうな顔になる。

「昊の何がその人間より劣ってるって?」
「俺の方が幼稚だと」

 吹き出して笑う声に昊が片眉を上げた。
 揺れで赤子が険しい顔をしている。

「それが昊だ」
「そうだろう?」

 昨日、藍が出かける前まではそれでよかったのに。
 急にだめになった。

「人間の真似をした時はいらないと言った」
「真似だからいらないんだよ」
「ならなぜ急に比べて俺の負けだと言う?」
「さあ。
 商店街の人間?」

 問われて昊は頷く。

「名はなんといったかな。
 掃除屋のところにいる、……司城つかしろ、だ」

 阿呂は首をそっと傾けた。

「そんな人間、いたかな」
「藍も初めて会ったと言っていた」
「初めて会ったのにそんなに気にかけてるのか」
「印象が俺に似ている」
「ああ、それで」

 何が? と昊は口を尖らせる。
 
 なんなのだ。
 なぜ阿呂には分かる。

「店長は昊の将来への願望をその人間に見たんだろう」

 将来のこと。
 
 確かに藍はそう口にした。

「昊が何ヶ月も回復しないのは自分の責任かと不安になったかな。
 店長は知らないことが多いから。
 重責に感じたんじゃないか。
 自分の寿命が終わらないうちに昊を天へと考えてないか?」
「藍が悩むことじゃない。
 機会が来たら行ける。それだけだろう」
「ちゃんと話した?」
「俺が言うことは正しいか分からないと」
「そこで泣くから幼いと思われる」

 昊は何も言えなくなる。
 およそ泣いたことなんかなさそうなこの鬼が。
 なぜお見通しなのだ。

「店長は昊が好きだな。
 かわいがっている」
「うん。それは分かる」
「だが、店長が惚れるのは大人だ」
「それが分からない話なんだ」
「昊が幼い限り、店長は他の人間に惚れる。
 名前を付けられてしまった昊は従うしかない」
「従うのは承知だ。
 俺が分からないのはその惚れるとかいうの。
 なんなんだ」

 阿呂は泣き面の昊を見た。

「引っつけられるような気がする。
 善悪の基準がその人間になっしまうくらい。
 そういう心持ちになったことがないのか」
「……」

 なさそう。

 昊は千年分の記憶をはたくのに時間を要している。
 千年といっても、半分近くは地中で寝ていた。
 
「昊は今までどんなつもりで人間と暮らしてきた?」

 呆れの混じった声になる。
 当の生き物はタヌキに顔をうずめた。

「つもり?」
「人間が一生をかけて昊を世話するのは相当なことだ。
 今までの人間は昊にどう接していたのかな」
「ずっと一緒にいた」
「その人間が所帯を持った時、昊はどうしてた?」
「王様以外は持たなかった」

 それは注力して昊を守ったということだった。
 多分気づいていない。
 昊は寿命が長すぎるから。

「人間は寿命が短いよな。
 あっという間に一緒の時間は終わる。
 今までの人間は昊がいずれ龍になると知ってた。
 神聖な生き物として守ったわけだ」
「感謝してる」
「店長は知らない。
 知らないで昊を助けた初めての人間だ。
 だから人間の大人と比べる。
 昊を大人にさせなければと焦ったんだろう。
 だからのんきに幼いままの昊に怒った」
「俺はその大人の真似をするべきか」
「真似はいらない」
「そうか」

 ただ、と阿呂は言った。

「一緒にいる人間の時間のことは思いやれ。
 人間が捧げてくれた一生に目を向けて考えてみるんだ。
 短い人生を、昊に使ったんだってことを。
 昊は何を受け取って、何を返した?」

 毛皮で顔を拭かせている稔次がもがく。
 ごしごしがすぎて不愉快だったようだ。
 するっとその腕を抜けて肩に乗る。

 昊はもう一度腕に捕まえようと体を折った。



「あ……っ」

 ぐん、と髪を引っ張られる。
 小さな指がしっかりと昊の頭に絡まっていた。

「いたっ、痛いっ。また……ぁーっ」

 大声を出すと阿呂に怒られるので小さく悲鳴をあげる。
 いつのまにかカッと目を見開いた赤ん坊が無言で髪の毛をむしった。

 大泣きされるのを恐れた父親は微動だにしない。
 寝ぼけているならこのまま好きにさせておきたい。
 そしてもうひと眠りしてほしい。

「じゃ、俺は中に戻る」

 阿呂はそう言ってそっと移動していった。
 髪の毛が指の間に挟まった赤ん坊はまたうとうとし始める。

 昊は思い知った。
 あの娘はきっともう意識がある。
 昊と分かってむしりにきている。

 鬼より怖い鬼の娘。


 昊は稔次を抱くと、瞬時に地面へ飛び降りた。




 家に帰ったら、藍が作業テーブルで箱詰めしていた。

「藍」

 顔を見るとやっぱり嬉しいので全開で笑う。

「おはようー」

 藍がいつものようにのんびりした口調で言った。
 それだけで昊は満足だ。

 稔次を2階に置いて手を洗う。

 そばに来て座る昊の顔を、藍が指でつついた。

「ごめんね。泣かせて」
「悲しかった」
「そこはこっちこそごめんて言わないのか」
「こっちこそごめん」
「させられ感」

 
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