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おかえり
約束を果たしに
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チコが旅立つと、療養所界隈は少し静かになった。
回復した者のうち幾人かは農場に残って作業員となっている。
ジャックはそういう者に声をかけて蒸留作業をさせたりした。
中隊長によると、交渉の場を設ける事が決まったという。
少しの間停戦になる。
うまくいけば終戦だ。
館のホールを埋め尽くすけが人も家に帰すことができる。
いくらもたたないうちにヒルは歩き回れるようになった。
まだすぐ疲れるが、それはお腹が空いているせい。
3日前にこっそり普通のごはんを食べて腹痛を起こしている。
だからまだジャックの言いつけ通り消化にいいものしか食べられない。
季節は春になっていた。
お守り屋の近くまで来たヒルは何となく森の方へ歩く。
朝早い時間だった。
相変わらず森は歩きやすい。
この数ヵ月、サラは以前と同じように森を整えていた。
夏にブラックベリーを摘んだ場所から、少し下ると小川の音がする。
その向こうはまた草原になっていた。
小川には丸太が3本並べてかけてある。
ヒルはそれをそっと渡った。
草の中に座って何かを摘んでいるサラの背中が見える。
今日は珍しく髪を下ろしていた。
薄い色の髪が風にたなびく。
顔にかかった髪を払ったサラが、ヒルに気づいた。
にこっと笑って「おはよう」とあいさつする。
「ヒルさんの分もありますよ」
平たいかごに並べたイチゴを掲げて見せてくれた。
ヒルはその近くに行って果実のない場所に座る。
「ダナは?」
「トビアスと眠っています。
部屋いっぱいになっても、一緒に眠ると幸せみたいです」
「サラさんは大変そうですね」
赤くなった果実を選びながら、サラは笑った。
「サラさん。今、話を聞いてもいいですか?」
サラがヒルの顔を見る。
前と変わらない穏やかな顔を確認しておいて、イチゴに目を戻した。
「俺、切られたときやっぱりいろいろ思ったんです。
ジョエルはちゃんと暮らしていけるかとか。
なんで早く除隊しなかったのかとか」
ヒルは草原に点々と見える赤い色を追う。
「最後の方はずっとサラさんのことを考えてました。
お守りのことは本当に気がかりで。
あんなに大きなやつ、仕留めるの大変だったでしょ?
なくしたことを直接言わなくて済みそうで良かったとも思いました。
サラさん、気にするかなと心配にもなりました。
そしてサラさんが話があるって言ってたのを思い出しました。
そしたらもう気になってしかたなかったんです。
死が怖いと感じる暇もなかった」
あは、と小さく笑った。
「私のお話は」
サラがひたすらに草地を見つめながら言う。
「ダナが全部話してしまったと思います」
ヒルが寝ている間に。
「俺は全く覚えていません」
もう一回お願いします、とヒルは言った。
サラは観念してイチゴを探すのをやめる。
納得は行かないけれど、レイナルドの言った通りかもしれない。
命は突然なくなる。
今のことを考えなければいけない。
サラを探しにトビアスの背に乗って森に向かったダナは、途中で引き返した。
そのサラがヒルと手をつないで歩いているのが見えたから。
嬉しいから飛びつきたいけれど、ダナとトビアスを見たら二人は離れてしまうと思った。
足音のしないトビアスはジョエルの所に向かう。
起きている訳がないと思ったが、店の裏口が開いていた。
「ジョエルさん」
ひょっこりと覗く。
目が開いていないジョエルが冷蔵庫の氷を確かめていた。
最近暖かくなってきたので減るのが早い。
「ダナ。どうしたの?まだ朝ご飯前じゃない?」
「ジョエルさんこそ。絶対に起きてないと思って来ましたよ」
「来といてそれ?」
ジョエルがうっすらと笑った。
「ヒルが今朝は早く出たから、俺も起きちゃったの」
でも目が開かないんだよねえ、と言いながらあくびをしている。
「ヒルさんは今サラさんと一緒です」
ダナが報告すると、ジョエルの目が開いた。
「ふーん…。目、覚めた。
朝ごはん買いに行こうか、ダナ」
市場を歩いていると、ジャックの姿が見えた。
大きなバゲットサンドをかじりながら歩いている。
「ジャックの嗅覚」
ジョエルが呟いた。
ダナにはスープパスタを与え、自分用にはジャックのより小さなサンドイッチを買った。
トビアス用の肉はまだ入荷していない。
市場を抜けて、農場の端の柵に腰かけて朝食を食べた。
麦の芽がすくすく育つ光景を見ながら、ダナは幸せそうにパスタをかじる。
「ようやくだねえ」
ダナの目撃情報を聞いて、感慨深げにジョエルが言った。
「ヒルってものすごく鈍足。早くいけって背中叩きたくなる」
豪快に笑ってジャックが言う。
「ジャックはそうだよね。大股で足かけそう」
「私は慎ましやかに歩み寄るタイプだよ」
人間たちの会話に興味のないトビアスは、麦の芽を食べにくる鳥を捕獲しに行っていた。
「ヒルさんはこれからサラさんとよく出かけますか?」
ダナが二人に尋ねる。
「かもねえ。そしたらダナはさびしい?」
ジョエルが反問した。
ダナは少し考えて、首を振る。
「私にはトビアスがいますから。
一緒にジョエルさんの所に行きます。
忙しそうならジャックの所に行きます。
二人とも忙しかったら、仕立て屋さんとか、牧場とか。
トビアスと一緒ならとこにだって行けます。
寂しくないですよ」
なにより、とダナは笑った。
「さびしいなんて言っていられません。
お店を頑張らなきゃ。
私はお守り屋の店長です」
回復した者のうち幾人かは農場に残って作業員となっている。
ジャックはそういう者に声をかけて蒸留作業をさせたりした。
中隊長によると、交渉の場を設ける事が決まったという。
少しの間停戦になる。
うまくいけば終戦だ。
館のホールを埋め尽くすけが人も家に帰すことができる。
いくらもたたないうちにヒルは歩き回れるようになった。
まだすぐ疲れるが、それはお腹が空いているせい。
3日前にこっそり普通のごはんを食べて腹痛を起こしている。
だからまだジャックの言いつけ通り消化にいいものしか食べられない。
季節は春になっていた。
お守り屋の近くまで来たヒルは何となく森の方へ歩く。
朝早い時間だった。
相変わらず森は歩きやすい。
この数ヵ月、サラは以前と同じように森を整えていた。
夏にブラックベリーを摘んだ場所から、少し下ると小川の音がする。
その向こうはまた草原になっていた。
小川には丸太が3本並べてかけてある。
ヒルはそれをそっと渡った。
草の中に座って何かを摘んでいるサラの背中が見える。
今日は珍しく髪を下ろしていた。
薄い色の髪が風にたなびく。
顔にかかった髪を払ったサラが、ヒルに気づいた。
にこっと笑って「おはよう」とあいさつする。
「ヒルさんの分もありますよ」
平たいかごに並べたイチゴを掲げて見せてくれた。
ヒルはその近くに行って果実のない場所に座る。
「ダナは?」
「トビアスと眠っています。
部屋いっぱいになっても、一緒に眠ると幸せみたいです」
「サラさんは大変そうですね」
赤くなった果実を選びながら、サラは笑った。
「サラさん。今、話を聞いてもいいですか?」
サラがヒルの顔を見る。
前と変わらない穏やかな顔を確認しておいて、イチゴに目を戻した。
「俺、切られたときやっぱりいろいろ思ったんです。
ジョエルはちゃんと暮らしていけるかとか。
なんで早く除隊しなかったのかとか」
ヒルは草原に点々と見える赤い色を追う。
「最後の方はずっとサラさんのことを考えてました。
お守りのことは本当に気がかりで。
あんなに大きなやつ、仕留めるの大変だったでしょ?
なくしたことを直接言わなくて済みそうで良かったとも思いました。
サラさん、気にするかなと心配にもなりました。
そしてサラさんが話があるって言ってたのを思い出しました。
そしたらもう気になってしかたなかったんです。
死が怖いと感じる暇もなかった」
あは、と小さく笑った。
「私のお話は」
サラがひたすらに草地を見つめながら言う。
「ダナが全部話してしまったと思います」
ヒルが寝ている間に。
「俺は全く覚えていません」
もう一回お願いします、とヒルは言った。
サラは観念してイチゴを探すのをやめる。
納得は行かないけれど、レイナルドの言った通りかもしれない。
命は突然なくなる。
今のことを考えなければいけない。
サラを探しにトビアスの背に乗って森に向かったダナは、途中で引き返した。
そのサラがヒルと手をつないで歩いているのが見えたから。
嬉しいから飛びつきたいけれど、ダナとトビアスを見たら二人は離れてしまうと思った。
足音のしないトビアスはジョエルの所に向かう。
起きている訳がないと思ったが、店の裏口が開いていた。
「ジョエルさん」
ひょっこりと覗く。
目が開いていないジョエルが冷蔵庫の氷を確かめていた。
最近暖かくなってきたので減るのが早い。
「ダナ。どうしたの?まだ朝ご飯前じゃない?」
「ジョエルさんこそ。絶対に起きてないと思って来ましたよ」
「来といてそれ?」
ジョエルがうっすらと笑った。
「ヒルが今朝は早く出たから、俺も起きちゃったの」
でも目が開かないんだよねえ、と言いながらあくびをしている。
「ヒルさんは今サラさんと一緒です」
ダナが報告すると、ジョエルの目が開いた。
「ふーん…。目、覚めた。
朝ごはん買いに行こうか、ダナ」
市場を歩いていると、ジャックの姿が見えた。
大きなバゲットサンドをかじりながら歩いている。
「ジャックの嗅覚」
ジョエルが呟いた。
ダナにはスープパスタを与え、自分用にはジャックのより小さなサンドイッチを買った。
トビアス用の肉はまだ入荷していない。
市場を抜けて、農場の端の柵に腰かけて朝食を食べた。
麦の芽がすくすく育つ光景を見ながら、ダナは幸せそうにパスタをかじる。
「ようやくだねえ」
ダナの目撃情報を聞いて、感慨深げにジョエルが言った。
「ヒルってものすごく鈍足。早くいけって背中叩きたくなる」
豪快に笑ってジャックが言う。
「ジャックはそうだよね。大股で足かけそう」
「私は慎ましやかに歩み寄るタイプだよ」
人間たちの会話に興味のないトビアスは、麦の芽を食べにくる鳥を捕獲しに行っていた。
「ヒルさんはこれからサラさんとよく出かけますか?」
ダナが二人に尋ねる。
「かもねえ。そしたらダナはさびしい?」
ジョエルが反問した。
ダナは少し考えて、首を振る。
「私にはトビアスがいますから。
一緒にジョエルさんの所に行きます。
忙しそうならジャックの所に行きます。
二人とも忙しかったら、仕立て屋さんとか、牧場とか。
トビアスと一緒ならとこにだって行けます。
寂しくないですよ」
なにより、とダナは笑った。
「さびしいなんて言っていられません。
お店を頑張らなきゃ。
私はお守り屋の店長です」
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