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おかえり
目が覚めたら
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暗い所にいるな、と思った。
皮膚の方が先に起きて、空気が冷たいと感じた。
次に耳が起きて、人の気配を察知した。
目を開くと、月明りが差し込んでいる空間にいると知った。
片手が重くて動かない。
瞳を動かした。
誰かいる。
というか、いっぱいいる。
呻き声。話し声。すすり泣く声。
頭をゆるゆると振って、それらを拾った。
戦場か。
思い出した時、びくりと体が震える。
傍らで何か動いた。
片手が解放されて、額に何か触れる。
「ヒルさん、また目が覚めました?」
声がした。
戦場にいるはずのない人の。
「お茶を飲みましょうか」
ゆっくりとした動作で前髪を指が通り抜ける。
コップからスプーンですくった茶が口許にあてられた。
一口流し入れたところで、ヒルの瞳が動きを追っていることに気づく。
サラは間近にその顔を覗き込んだ。
「起きていますか?ヒルさん」
ヒルは驚いて、逃げ場もないのに飛び退ろうとした。
その肩を押さえて寝ているようにと言い置いた後、サラは一旦どこかへ消える。
サラさんだった…?
どういう状況なのか分からないヒルは声を押さえて周りを見回した。
藁を積んだ簡易のベッドに皆寝かされている。
戦場ではない。
それだけは確認できた。
誰かがそばに来る。
「ヒル」
ひそめた声が耳元で名前を呼んだ。
「はい」
返事をしたが、掠れてほとんど出ない。
それでも相手は満足したようだった。
お腹がすいた。
のどが渇いた。
腹がまだちょっと痛い。
足腰が立たない。
並べてみるとまるで子どもみたいだった。
サラの薬湯なら口にしていい。
水は好きなだけ飲め。
体の内側の傷はまだ治りきってないのかもしれない。安静に。
2週間以上寝ていたから足腰弱るのは当然。
ヒルの症状にジャックがいちいち答えてくれる。
日が斜めにおりてきたころ、今の状態を聞かれた。
ジャックが汚れたエプロンをして傍らに立っている。
サラがそばで笑っていて、本当に帰ってきたと分かった。
「サラさんとダナが交代でずっと話しかけてくれてたんだ。
二人には一生逆らえないからな」
ジャックがにっと笑って言う。
「特にダナははきはきと、サラさんがお前をどんな風に待ってたかつぶさに報告してたから。
もうあれは一大叙事詩だった」
わはは、と笑ってやった。
ヒルは据わった目でジャックを睨む。
サラは申し訳なさそうにしていた。
「ごめんなさい。
ダナは私と話しているつもりで…」
「俺はその話が記憶にないのでとても残念なんです」
ジャックや、チコまで知ってるのに。
「サラさんが世話してくれるなら、ヒルは療養所を出ていいぞ。
彼女は弱った人間の世話を心得ている」
どうする?とジャックがヒルを覗き込む。
それは、即帰りたいに決まっていた。
ここで動けないままジャックにおちょくられるのはちょっと嫌である。
「サラさん、ヒルを頼める?
その間、ここには無理して来なくていいよ。
チコは明日戦場に向かう予定だ。
必要なものは彼が自分で用意すればいい」
逡巡するヒルから離れてサラに問うた。
サラは快諾する。
「次に新しい患者が運ばれてくるまでまだ時間がありますね。
ジャックがジョエルさんの所に時々顔を出してくれれば。
そうすれば私も不安が減ります」
よし、と言ってジャックはヒルの肩を叩いた。
「退所」
馬車にするか?牛にひかせるか?とジャックとチコが話していると、表が騒がしくなった。
降りてきたのは中隊長で、農繁期だけこちらに戻ると言う。
すかさずジャックが捕まえてきてヒルの前に連れ出した。
「中隊長、ここでヒルの除隊を認めてください」
口調は丁寧だったが顔がものすごく怖い。
「ヒルは大けがしてもう二度と戦場に立てません。
ねえ、そうだよね、チコ」
同意を求められたチコはひょろっと頷いた。
「この人は今後クソの役にも立たないです。
騎士としての日給を支払うのは損ですよ」
ひどい言いようにヒルはチコを凝視する。
この人に悪いことしたっけ?
ほとんど接点なんかなかったよ?
「ヒルは兵役を5年以上納めているし、組合にも入ってますよね。
年金対象者だ。
手続きよろしく。こっちいる間にやってください」
「早く除隊にしないと、この役立たずに給料が発生してるんです。
領主のためにもとっととお願いします」
ジャックとチコが畳みかけた。
帰って早々事務作業ができた中隊長はげんなりしながら「わかった」と言う。
「あ、そうだ。
ついでにあの馬車、貸してください。
ヒルを家に送るので」
ジャックがまだその首根っこを掴みながらお願いした。
館の主はどうぞどうぞと言ってから、自分の家族の元へ逃げていく。
「足が手に入った。ヒル、帰れるぞ」
ジャックがにっこりと笑い、チコがヒルを持ち上げた。
放り込まれた馬車から日が落ちるのを見た。
サラとジャックは向かいで話が弾んでいて、ヒルは無表情なチコに支えられながら家に着いた。
店の前にはトビアスが伏せている。
ダナが飛び出してきた。
ジョエルがバイオリンを止めて店の外に出てくる。
少し話した後、チコに持ち上げられて2階に上った。
ジャックがチコに馬車を持って帰れと命じているのが聞こえる。
私はダナと約束したからここで休憩する、と主張していた。
自分の方が今日はよく働いた、と反論される。
チコはごねて残ったようだ。
またジョエルが演奏し始めたのを聞きながら、ヒルはほっとしたようなため息を吐いた。
皮膚の方が先に起きて、空気が冷たいと感じた。
次に耳が起きて、人の気配を察知した。
目を開くと、月明りが差し込んでいる空間にいると知った。
片手が重くて動かない。
瞳を動かした。
誰かいる。
というか、いっぱいいる。
呻き声。話し声。すすり泣く声。
頭をゆるゆると振って、それらを拾った。
戦場か。
思い出した時、びくりと体が震える。
傍らで何か動いた。
片手が解放されて、額に何か触れる。
「ヒルさん、また目が覚めました?」
声がした。
戦場にいるはずのない人の。
「お茶を飲みましょうか」
ゆっくりとした動作で前髪を指が通り抜ける。
コップからスプーンですくった茶が口許にあてられた。
一口流し入れたところで、ヒルの瞳が動きを追っていることに気づく。
サラは間近にその顔を覗き込んだ。
「起きていますか?ヒルさん」
ヒルは驚いて、逃げ場もないのに飛び退ろうとした。
その肩を押さえて寝ているようにと言い置いた後、サラは一旦どこかへ消える。
サラさんだった…?
どういう状況なのか分からないヒルは声を押さえて周りを見回した。
藁を積んだ簡易のベッドに皆寝かされている。
戦場ではない。
それだけは確認できた。
誰かがそばに来る。
「ヒル」
ひそめた声が耳元で名前を呼んだ。
「はい」
返事をしたが、掠れてほとんど出ない。
それでも相手は満足したようだった。
お腹がすいた。
のどが渇いた。
腹がまだちょっと痛い。
足腰が立たない。
並べてみるとまるで子どもみたいだった。
サラの薬湯なら口にしていい。
水は好きなだけ飲め。
体の内側の傷はまだ治りきってないのかもしれない。安静に。
2週間以上寝ていたから足腰弱るのは当然。
ヒルの症状にジャックがいちいち答えてくれる。
日が斜めにおりてきたころ、今の状態を聞かれた。
ジャックが汚れたエプロンをして傍らに立っている。
サラがそばで笑っていて、本当に帰ってきたと分かった。
「サラさんとダナが交代でずっと話しかけてくれてたんだ。
二人には一生逆らえないからな」
ジャックがにっと笑って言う。
「特にダナははきはきと、サラさんがお前をどんな風に待ってたかつぶさに報告してたから。
もうあれは一大叙事詩だった」
わはは、と笑ってやった。
ヒルは据わった目でジャックを睨む。
サラは申し訳なさそうにしていた。
「ごめんなさい。
ダナは私と話しているつもりで…」
「俺はその話が記憶にないのでとても残念なんです」
ジャックや、チコまで知ってるのに。
「サラさんが世話してくれるなら、ヒルは療養所を出ていいぞ。
彼女は弱った人間の世話を心得ている」
どうする?とジャックがヒルを覗き込む。
それは、即帰りたいに決まっていた。
ここで動けないままジャックにおちょくられるのはちょっと嫌である。
「サラさん、ヒルを頼める?
その間、ここには無理して来なくていいよ。
チコは明日戦場に向かう予定だ。
必要なものは彼が自分で用意すればいい」
逡巡するヒルから離れてサラに問うた。
サラは快諾する。
「次に新しい患者が運ばれてくるまでまだ時間がありますね。
ジャックがジョエルさんの所に時々顔を出してくれれば。
そうすれば私も不安が減ります」
よし、と言ってジャックはヒルの肩を叩いた。
「退所」
馬車にするか?牛にひかせるか?とジャックとチコが話していると、表が騒がしくなった。
降りてきたのは中隊長で、農繁期だけこちらに戻ると言う。
すかさずジャックが捕まえてきてヒルの前に連れ出した。
「中隊長、ここでヒルの除隊を認めてください」
口調は丁寧だったが顔がものすごく怖い。
「ヒルは大けがしてもう二度と戦場に立てません。
ねえ、そうだよね、チコ」
同意を求められたチコはひょろっと頷いた。
「この人は今後クソの役にも立たないです。
騎士としての日給を支払うのは損ですよ」
ひどい言いようにヒルはチコを凝視する。
この人に悪いことしたっけ?
ほとんど接点なんかなかったよ?
「ヒルは兵役を5年以上納めているし、組合にも入ってますよね。
年金対象者だ。
手続きよろしく。こっちいる間にやってください」
「早く除隊にしないと、この役立たずに給料が発生してるんです。
領主のためにもとっととお願いします」
ジャックとチコが畳みかけた。
帰って早々事務作業ができた中隊長はげんなりしながら「わかった」と言う。
「あ、そうだ。
ついでにあの馬車、貸してください。
ヒルを家に送るので」
ジャックがまだその首根っこを掴みながらお願いした。
館の主はどうぞどうぞと言ってから、自分の家族の元へ逃げていく。
「足が手に入った。ヒル、帰れるぞ」
ジャックがにっこりと笑い、チコがヒルを持ち上げた。
放り込まれた馬車から日が落ちるのを見た。
サラとジャックは向かいで話が弾んでいて、ヒルは無表情なチコに支えられながら家に着いた。
店の前にはトビアスが伏せている。
ダナが飛び出してきた。
ジョエルがバイオリンを止めて店の外に出てくる。
少し話した後、チコに持ち上げられて2階に上った。
ジャックがチコに馬車を持って帰れと命じているのが聞こえる。
私はダナと約束したからここで休憩する、と主張していた。
自分の方が今日はよく働いた、と反論される。
チコはごねて残ったようだ。
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