ただの魔法使いです

端木 子恭

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麦秀に寄す心

人間の土地を守る魔物

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 もしかして、人間にとって一番嬉しいのは、スイート?

 城壁内の泉で一斉にミルク缶が洗われた。
 そういう競技会でもあったかと思うほどの勢いで。

 ラーポが領内の鳥に命じて、生き残っている牛の親子を引き連れてきた。
 
 同時に開催された競技会は、酒樽探し。

 300人ほどの領民が争うように貯蔵庫をあらためた。
 蒸留酒と、古いワイン樽がいくつか発見される。
 
 それがホールに運び込まれた。
 そして今、引っ張りだこなのがバレルとスイートである。
 無限に出てくる牛乳と、うまくなった酒。
 
 精霊たちは、最近よくあるこんな光景に再び巻き込まれていた。
 人間たちが大喜びしている。
 
 オークやフットマンには、山の地面に隠れている兵舎を整えさせている。
 100人は寝られそうな空間だった。
 蒸し風呂ではなく、コーマックのところのような湯殿の跡がある。
 井戸は出してみたら問題なく働いた。

「大きな城だね」

 ラーポに案内されながら、グラントは廊下をぐるりと見回す。
 使用人の棟への連絡路なのだが、広い。

「土地が広いので、大きさの感覚がどうしても……」

 彼は羽のように両腕を広げた。
 確かに、じじいのところもひとつひとつが広め。

 大きな扉の前に立って、ラーポは中に声をかけた。

「意識はある? 入っていいか」

 上の立場の使用人の部屋のようだ。中から返事がある。
 開けてみると、古びて埃をかぶった部屋の中に誰か横たわっていた。
 何か変なにおいがして、祖父のところへやってきた魔物の王様を思い出す。

「においが気になりますでしょう? 彼は深いケガをしているものですから」
「ケガのにおいなの?」

 けろっとしていたが、もしかしたらあの人も深手を負っていたのか。
 
 グラントは杖を握って部屋の中へ進んだ。
 ラーポが燭台に灯りを点ける。
 暖炉にも火を入れた。最初だけ埃の焼けるにおいがする。

「魔物なの?」

 傷の多い体を晒して横になっていたのは、背の高い青年だった。
 刃を無理に引き抜いて傷が酷くなっている。
 寝台がわりに使っているソファの下に、呪符が何枚か捨ててあった。

 乱暴に縫いとめた深い傷がいくつもある。
 余計に痛むはずだ。


「傷、ひどいね」
 
 身を起こすと褐色がかった長い髪が体にかかる。
 さっきみんなで発見した蒸留酒のような、透き通った琥珀色の瞳を持っていた。
 グラントをまっすぐ観察している。

「彼はエルネスト。城を守っている魔物です。
 こちらはグラントだ。援軍に来てくれた」
「ラーポが出たのは明け方だろう。なぜこんなに早い」

 動けないほど弱っているとは思えない、はっきりした口調だ。

「今来たのはわたしだけ。後から船で仲間が来るよ。
 先にリケで大将と戦った。そこからこの辺りの火が見えたので向かっていたんだ。
 人がいるのかもしれないと思って」
「攻めてきたのは隣の国の人間だ。軍人らしい。
 領土侵攻か移住か、目的が明らかになっていない」

 声の響きに、グラントは部屋の中を見る。
 これは何かの化身だ。硬いもの。武器かな。

「鋼鉄の魔物?」

 ソファのそばに屈んで呪符を拾った。

「重くてまっすぐ響いてくる。防衛を任されて……」

 彼の目を見る。幻術にかけたわけではなかったが、領主の執務室が浮かんだ。
 誇らしげに壁に飾られている、大きな盾。
 およそ人が持って戦えるとは思えない重そうな盾が見える。

「エルネストは古い盾の精霊なんだね」

 言い当てられて相手は固まった。

「封印符を無理に剥がしたんだ。もう力が入らないのか」
「城門を守らなければならなかった。
 いまこの土地に軍隊と戦える魔物はいない」

 呪符が剥がれた箇所に効力が残っている。
 貼っている時より激しく攻撃していた。

 血のように魔物の力を排出している。
 符の役割は、制御盤か。

「この状態で戦っていたの? 消えてしまうかもしれないのに」

 魔物の力を発揮できはしたが、同時にひどく消耗したのだ。
 グラントがあの時剥がしていたらどうなっていたのだろうとちょっと思い出す。

「守ると約束したんだ」

 頑なな声に、かつての領主への思いがのぞいた。

「わたしでも治せそうだよ。ちょっと待っていて」

 グラントは呪術師を呼び出した。

「封印符の効果を剥がし落とせ」

 黒い石から出た人影が魔物の体に残った符の効力を消す。

「僧侶、傷を手当てして」

 呪術師と入れ替わって神官服の人影が現れた。
 大きな刺し傷を塞いでいく。

「傷は勝手に治る。その技は私より人間に使ってくれ」
「こうした方が楽に治るでしょ。今は無理しないで」

 手に負えない大きな傷はないか、グラントはそばに屈んでよく見た。
 傷の中に呪符が食いこんだあとがある。

「敵の弓隊は強かったの?」

 エルネストは否定した。

「弱くはないが、敵わないというほどでもない。
 傷を負ったのは不覚だ」
「ダルコが話しかけたから」

 ラーポが補足する。

「ここはエルネストと私の他に、あと2人の頭領がいます。
 その2人が言い争いを始めたんですよ。敵の司令官の前で。
 その間にエルネストが一斉射撃され、呪符が刺さった」
「何を言い争ったの?」
「説得か、攻撃か」
「軍人相手は厄介だ。攻めてきたからって妄りに攻撃できない。
 国同士で何か協定や約定がある場合もあるんだろう?
 向こうの人間はその辺を何も答えてくれなかった。
 ここに領主がいないせいで確認も取れない」

 辺境領の難しさを、エルネストはよく知っているようだ。
 ここで領主と政務を行っていたのか。 

「そのニ人は、今は?」
「取り残された領民がいないか、別の砦を捜索に行っています」

 ラーポは頭をゆらゆらと振る。
 普段からそのニ人は言い争いになっていそうだ。


「エルネストはどんな目的で戦った?」

 グラントの瞼にじじいが浮かぶ。
 あれは目的がはっきりしすぎている。

「この城には入れない」
「それだけ?」
「そうだ。他の者も大して変わらない。
 ラーポだって、自分の砦を守ろうと考えていただけだろう?」

 目線を向けられたラーポは頷いた。

「こちらから積極的に攻撃しようとは考えなかった。
 諦めて去ってくれるのが一番いい」
「私は門を破った人間は生きては城へ辿り着けないようにしようと考えていた」

 うん。この二人の間だけでも方向が違う。

「もう一人は居住希望者か無頼者か迷って攻撃しきれず。
 いま一人はやり方が気に入らないので全員沈めてやると」

 皆、力のある魔物に違いない。
 けれど、頭にあるのは自分の砦の範囲だけだ。

 きっと、そのように言われて今まで過ごしてきた。

「ここは辺境領だ」

 エルネストの傷が塞がったのを確かめて、グラントは立つ。

「武器をかざして入ってくる者には、怖い顔して出ていけって言わなきゃいけないところ」



 まずは船から使いをよこせ。

 じじいはそう怒鳴っていた。
 話さえ通じれば、逃走を助けたり、領地を通したりもした。

 北の荒地で海からの敵の上陸をゆるすのを見たことがない。
 山からの侵攻も国境地帯で食い止めた。
 
 コーマックには人生を貫いている信念がある。

 辺境領とは。



「他に治療の必要な人はどこ?」

 ラーポに尋ねた。

 ここに逃げ込む際にケガをした者がいるというので、使用人棟のさらに奥へ向かう。

 意識がないほど大ケガをしたものはいなかった。
 魔物の血が混ざっている人間が多い。

 ここはすでに暖炉に火が入っていて暖かかった。
 使用人が使うホールにワラを敷いてやすんでいる。
 僧侶が傷を診ると、手を握って感謝した。

 明日戦える領民はほとんどいない。

 後で水とミルクを届けさせることにして、ラーポと引き返した。
 先ほどの立派な扉の部屋の前には着替えたエルネストが立っている。
 まだ戦うまでの力は回復していなそうなのに。

「領民は普段、どんな生活をしていたの?」

 メインのホールに向かいながら尋ねた。

「各砦に分かれて、守備につく魔物の目が届く範囲で暮らしている」

 エルネストが説明する。

「魔物が守る場所はいくつかあって、例えば私は主城だ。
 この中には60人ほどの領民が生活していた。
 主な仕事は畑と、各所への手紙の運搬だな。
 領民と協力して、人間と同じく作業する。かつてここの領主に頼まれた通り」

 ホールの明かりが見えた。

「きっとよその人間が知っているのはダルコだ。
 巨大なイカで、海砦を守ってる。
 森砦のラーポ。湖の主トーニャ。
 もうひとつ、隣の伯爵領に近い場所に砦があるんだが。
 そこを守っていた魔物は少し前に消えた。
 花の化身シチ。宿っていた花が枯れた。
 各所5~60人の領民と生活している」

 総人口は300人。
 ……本当に、ここにいるのが領地にいるすべての人間だった。

 人間に協力的な魔物が守っていたのだ。
 ひどい生活はしていなかったろう。だが。

「心細い思いもしてただろうね。
 領主がいなくなってからは国からも守られずに」

 ホールに入る直前にグラントは二人の魔物の腕を引く。

「ありがとう。シュッツフォルトを守っていてくれて。
 英雄に会えて嬉しい」

 グラントの感謝なんて腹の足しにもならない。
 けれど、二人はなんとも言えないような幸せな表情をした。

 ホールに入ると、領民たちが近寄ってきた。
 グラントのことを詳しく尋ねてくる。
 新しい領主なのかと思っているようだった。否定した。

 フットマンが兵舎の準備ができたと報告に来る。
 仕事が多過ぎて逆に今まで見たことないくらい生き生きした顔をしていた。
 そういえばシェリーの館でも元気だったなと思い出す。

 人間たちをそちらに流した。
 オークも混じってついていく。自由に遊ばせておくことにした。

「スイート、おいで」

 ミルク缶に取り付いて、疲れたような顔をしている精霊を呼ぶ。

「お疲れ様。よく働いてくれたね。ありがとう」

 そばに寄ってきた精霊の頭を撫でた。

「スイートも人間たちと一緒に行く?」

 いやかと思いきや、酪農婦の格好をした女の子は笑う。
 オークを追って行かせた。
 一人でも酒を飲んでしまう中年の精霊もそちらへやった。
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