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麦秀に寄す心
オークの砦
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森に入ってすぐ、グラントはオークを呼び出した。
「おまえたちの砦に案内して。この近くだよね?」
10人の小人たちは飛び跳ねるように木の間を進む。
「お任せください、グラント」
「道は分かっております」
「おケガは?」
「担ぎましょうか」
わあわあと、夜道がにぎやかになった。
「フットマン、明かりをつけて」
3人の男の子が出てきて手にランプを持って歩く。
「エコー」
音の精霊はグラントの隣に現れた。
「誰かが話しかけてきたら、返事をして。
姿が見える前に敵かどうか判断したい」
「承知しました」
いつの間に、妖精の首には小さな巾着袋が下がっている。
船旅でもらった駄賃のようで、金属の音がした。
オークたちは少し内陸寄りに走る。
あたりが明るくなってくる頃に、大きな川に出た。
大きな川、と言っても、増水するのは春先のことだけである。
夏の今は網状流路になっていた。
草の道よりはと、そこを遡る。
エコーが先を見やって顎を上げた。
「そちらは何者か」
相手の言葉を繰り返す。
「旅人ならば引き返せ。この先は戦場になっている。
鉢合わせたら攻撃するぞ」
「わたしはリケから来た」
グラントはエコーを通じて返事をした。
「隣国の軍人に侵入され、リケの方は鎮圧した。
そちらはまだ戦っていますか」
まだずっと先の森で、鳥の一団が騒ぐ。
鷹や鳶など、大きいものもいれば、ひばりなどの小さいものも一緒に飛んでいた。
「エコー、声はあの辺りから?」
「はい」
あの木の下あたりを誰かが進んでくるのだろうか。
鳥たちはあっという間に近づいてきた。
グラントは立ち止まる。杖を構えて鳥の群れを観察した。
「みんな、わたしの足元へ集まっていて」
精霊たちを呼び集める。
いつでも攻撃できる態勢で待っていた。
木の間から真っ黒い物体が飛び出して来る。
「全隊、止まれ!」
大きな鳥だ。それが、グラントの姿を見るなり人の姿に変わる。
軍人が上官に報告する時のように、背筋を正して目の前に立つ。
「援軍でしたか」
狩人のような格好は、普段見ている人間の真似か。
墨色の髪をまとめている。
目全体が黒ぐろしていて、彼は魔物なのだと示していた。
「お役に立てるかは分からないけれど」
グラントは首を傾けて苦笑する。
「私はラーポと申します。
我々は、まさにリケへ向かう途中でございました。
領地は敵に侵入されて数日の間堪えておりましたが、もうもちそうにありません。
領民は全て城に入り、籠城しております。
それももう破られそうです」
「領民? 人が残っていたの?」
グラントの問いに、ラーポは大きく頷いた。
「我らの領地は、ずっと昔から魔物の血を引く者のさとです。
数十年前に領主が絶えてからも、領民どうしで支え合って暮らしてきました。
王都へは幾度も嘆願致しておりますが、適任者なしとの回答で。
此度このような非常事態にはやむなしと、書状も持たずに飛び出してきました。
思いがけず援軍に出会えるとは。幸運なことでございます」
期待値が、べらぼうに高い。
「リケでは昨日大将をとらえたところなんだ。
現在船を直していて、そちらに着くのは二日後かな。
海に怪物が出るということで警戒している」
「ご安心を。それは領民の一人でございます。
今は港を離れております」
ラーポは小鳥数羽に指示を出した。
高い声で鳴きながら、東の方へと飛び立っていく。
「お名前をお聞かせください。我らの領地へ案内いたします」
ラーポの背後の森には夥しい数の鳥たちがとまっていた。
これが全て魔物なのか。グラントは呆気に取られてしまう。
「わたしは、グラント・ルース。今は王都に暮らしている。
こちらの騎士の小人は知っている? かつてこの辺りの砦で出会った。
ランプを持っているのはフットマン。そしてこの子はエコー」
ラーポは一人一人に挨拶した。
ついでなのでスイートもバレルも出して紹介する。
アリアは名前だけ。そして、最後にモスを呼んだ。
「苔の精霊だ。彼も王都までの森の中で出会った」
黙ってラーポを見やる青年を、一番喜ばしそうに見る。
「森で一番気まぐれで、美しいのが苔でございます。
グラントはすごい精霊をお持ちですね」
初めて初対面で褒められた。
「わたしもモスは好きだ。静かに本を読みたい時に呼んでいた」
陰気な顔つきのモスが隣にいると、なぜか周りはグラントもそっとしておいてくれる。
「これで一緒に来た仲間の紹介は終わり。
さあ、移動しよう」
ラーポは鳥たちに先に戻っているように指令した。
人の姿のままグラントを案内する。
「砦には何か御用がございますか」
「特にはないけど、とりあえず立ち寄ったことがある場所へと思って。
領民が城にいるなら、そちらへ向かった方がいいかな?」
「いえ。砦は崩れておりますが、今も定期的に手紙運搬の馬が入っております。
ここからすぐですし、そちらへ参りましょう」
グラントがこの土地のことを知っているという点に、ラーポは意識を留めていた。
「家の名前はルースでございましたね。
魔物の御一家でありましたか?」
「そう。祖父は溶岩を操る。祖母は花の化身で、母は霧の魔物。
おそらく、もっと山のずっと向こうに家があった。
正確なことは覚えていないんだけれど」
「その紋章は、家紋ですか」
森の中を歩くグラントの右手を取って尋ねる。
「うん。家の旗は動物のツノの形の紋章だった」
はたと、ラーポは立ち止まった。
グラントの手を握ったまま、その場に膝をつく。
「私は大ガラスの魔物です。
魔物の鳥ばかりでなく、概ねの鳥を意のままにできます。
人間の世界においてもきっとお役に立てるでしょう。
魔物の子グラント。あなたの家のことを存じております。
従者に召し抱えてくださいますか」
魔物の距離感にまた轢かれている。
先代同士のやり取りは全く覚えがない。
それにグラントはほぼ人間なのだ。
ラーポはきっと、うんと力のある魔物である。
釣り合わないのでは?
「今は、先に、領地の安全を確保しようよ」
保留にした。
「では、必ず。後ほど召し抱えてもらいます」
足元からオークが走り出す。
「グラント。こちらです。ここが我らの根城」
「ああ」
記憶のままの姿にグラントが笑った。
元は大きな砦だったはずなのだが、すっかり崩れてしまっている。
ここを通った時はグラントの背よりは高かった。
今見ると腰ほどまでしか壁が残っていない。
「ここだね」
シュトラールに到着してからは、ほとんど思い出すこともなかった。
ここにはきっとゲートハウスがあったのだろう。
ちょうど家のように石が取り囲んでいた。
土が剥き出しの床には麦が生えている。
まるで畑のように青々と。
苔むした石かべに触れる。
小さな自分に時間が巻き戻るような心地がした。
オークたちを従えて、知らない森を進んだ幼い自分。
魔物が暴れていると間違われて調べに来たジェロディに見つかった。
重くて仕方なかった杖は今も手に握っている。
「厩舎はこちらです」
ラーポが少し木立の間隔が広い方へと進んでいった。
馬が1頭、屋根の下で草を食む。
軒先には古い鞍が無造作に吊ってあった。
「ここはかつて防衛の拠点であったのですが。
随分前に魔物同士で激突がございました。
その時に壊れてそれきりです」
「おかげでわたしはここを通れたんだね」
「その時通さずにおけば、此度のような事はなかったのやも」
笑うグラントに、カラスは口惜しそうな顔をする。
獲物か。
「馬には乗れますか、グラント」
「乗ったことない。トナカイなら乗れるんだけど」
「さして変わりはないかと存じますが、おケガをされても困ります。
一緒に乗りましょう」
「道はあるの?」
グラントは、東の方の木立を向いた。
あるような、ないような。
草の勢いが激しいが、合間に石畳のようなものが見える。
「ございますよ」
鞍を取り付けたラーポは当然のようにそう答えた。
グラントを促して乗せる。
精霊たちが足を伝って登ろうとするのを呆れて見た。
「おまえたちは従者であろう? 自らついてこい。
主によじ登る奴らがあるものだ」
「グラントはいつもこうさせてくれます」
オークは精霊を代表して言い返す。
「馬は一頭しかないんだから、みんないったん消えようか?」
オークは、嫌だ、という顔をした。
他のものは応となる。モスに至っては早く消えたがっていた。
「では、オーク以外解散」
小人を腕に10人抱えてグラントが命じる。
「行きます」
ラーポが後ろに乗って馬を進めた。
この馬も魔物の血が混じっている。
通常の馬より足が速かった。
トナカイと魔獣を交配したいという、じじいの目的がちょっと分かる。
リケでの戦いの様子を話しているうちに大きな城が見えてきた。
黒樫と白っぽい石でできた城である。
地面の上にあるだけで3階の高さだ。
ぼろぼろにはがれた幕壁は、背の低い山をほぼ全て取り囲んでいる。
かつては中に城下町があったのだ。
畑や商店街の跡地が見える。
グラントの目には、その昔に生き生きと暮らした領主の面影が見えるような気がした。
戦の声が聞こえてくる。
正面の城門に、火矢が何本か刺さっていた。
先ほど初めて射かけられた様子である。
ラーポは沈鬱な顔になった。
兵士たちは大きな丸太を打ち込もうとしていた。
門自体にまだ損傷はない。
「魔物が一人、この城を守っておりました。
彼は手ひどくやられたのです。
いまここにいないということは、もう戦えないのでしょう」
鳥の姿に戻りかけていた。
「私が先に行って城門前の敵を追い払います。
グラントはその隙に通用門から飛び込んでください」
ラーポは手綱を渡して飛び立とうとする。
「待って。ラーポが先に城へ行って」
グラントがカラスを制止した。
「オークたち。行こう。勇敢なところを見せるんだ。
ラーポは敵の近くにわたしを下ろして」
魔物は戸惑う。
しかし言われた通りに城門を叩く兵士たちの近くにグラントを下ろした。
「オーク、あの兵器、ウーシーが欲しがるぞ。奪おう」
グラントに片手で放られた小人たちが破城槌を操る兵士に飛びかかる。
突然現れた小人に、工兵たちは驚いた。
「ラーポ、中へ」
「……はい」
通用門を開けてもらう。人の姿のラーポは素早く中へ入った。
ちらりと見えた人間たちが、ひどく汚れた身なりなのが見える。
グラントは左手で紋章を覆った。
すると、魔王が姿を変えて、指ぬきの革の手袋になる。
ありがとう、と小さく呟いた。
グラントの手が鋭い爪に変わった。
甲殻を持つ手から溶岩が溢れる。
「これ以上の攻撃はやめてください」
初め、人間たちはグラントが何を持っているのか分からなかった。
「今日はもう退いてください。でなければ溶岩に巻き込まれます」
グラントの手から川のように流れてくる。
草を燃やし、石を溶かして、軍勢の方へ這ってきた。
「あいつも魔物だっ」
誰かが叫ぶ。
50人ほどの部隊は城門から離れ始めた。
「昨日、大将は捕らえました。副官だった方はこの中にいらっしゃいますか。
ここへは何の目的で攻めてきたんです?」
燃える川に追われ、兵士たちの逃げ足は速くなっていく。
熱い、と悲鳴が上がった。
「停戦を交渉できる者を! 明日中に連れてきてください!」
溶岩の中から大きな手が出てくる。
指だけで人の背丈ほどある右手、左手がそれぞれ地面に踏ん張った。
その間が盛り上がって、何か巨大な魔物でも現れそうになる。
兵士たちは武器を捨てて森の中へと走り去った。
「グラントー」
破城槌を手に入れたオークたちがのん気な声で呼ぶ。
「手に入れました」
「我々は勇敢でしたか?」
にこにこ笑って問いかけた。
「とても勇敢だったよ。よくやった、オーク」
振り返ってそう言ったグラントは、彼にしては珍しく、楽しそうに笑っていた。
「おまえたちの砦に案内して。この近くだよね?」
10人の小人たちは飛び跳ねるように木の間を進む。
「お任せください、グラント」
「道は分かっております」
「おケガは?」
「担ぎましょうか」
わあわあと、夜道がにぎやかになった。
「フットマン、明かりをつけて」
3人の男の子が出てきて手にランプを持って歩く。
「エコー」
音の精霊はグラントの隣に現れた。
「誰かが話しかけてきたら、返事をして。
姿が見える前に敵かどうか判断したい」
「承知しました」
いつの間に、妖精の首には小さな巾着袋が下がっている。
船旅でもらった駄賃のようで、金属の音がした。
オークたちは少し内陸寄りに走る。
あたりが明るくなってくる頃に、大きな川に出た。
大きな川、と言っても、増水するのは春先のことだけである。
夏の今は網状流路になっていた。
草の道よりはと、そこを遡る。
エコーが先を見やって顎を上げた。
「そちらは何者か」
相手の言葉を繰り返す。
「旅人ならば引き返せ。この先は戦場になっている。
鉢合わせたら攻撃するぞ」
「わたしはリケから来た」
グラントはエコーを通じて返事をした。
「隣国の軍人に侵入され、リケの方は鎮圧した。
そちらはまだ戦っていますか」
まだずっと先の森で、鳥の一団が騒ぐ。
鷹や鳶など、大きいものもいれば、ひばりなどの小さいものも一緒に飛んでいた。
「エコー、声はあの辺りから?」
「はい」
あの木の下あたりを誰かが進んでくるのだろうか。
鳥たちはあっという間に近づいてきた。
グラントは立ち止まる。杖を構えて鳥の群れを観察した。
「みんな、わたしの足元へ集まっていて」
精霊たちを呼び集める。
いつでも攻撃できる態勢で待っていた。
木の間から真っ黒い物体が飛び出して来る。
「全隊、止まれ!」
大きな鳥だ。それが、グラントの姿を見るなり人の姿に変わる。
軍人が上官に報告する時のように、背筋を正して目の前に立つ。
「援軍でしたか」
狩人のような格好は、普段見ている人間の真似か。
墨色の髪をまとめている。
目全体が黒ぐろしていて、彼は魔物なのだと示していた。
「お役に立てるかは分からないけれど」
グラントは首を傾けて苦笑する。
「私はラーポと申します。
我々は、まさにリケへ向かう途中でございました。
領地は敵に侵入されて数日の間堪えておりましたが、もうもちそうにありません。
領民は全て城に入り、籠城しております。
それももう破られそうです」
「領民? 人が残っていたの?」
グラントの問いに、ラーポは大きく頷いた。
「我らの領地は、ずっと昔から魔物の血を引く者のさとです。
数十年前に領主が絶えてからも、領民どうしで支え合って暮らしてきました。
王都へは幾度も嘆願致しておりますが、適任者なしとの回答で。
此度このような非常事態にはやむなしと、書状も持たずに飛び出してきました。
思いがけず援軍に出会えるとは。幸運なことでございます」
期待値が、べらぼうに高い。
「リケでは昨日大将をとらえたところなんだ。
現在船を直していて、そちらに着くのは二日後かな。
海に怪物が出るということで警戒している」
「ご安心を。それは領民の一人でございます。
今は港を離れております」
ラーポは小鳥数羽に指示を出した。
高い声で鳴きながら、東の方へと飛び立っていく。
「お名前をお聞かせください。我らの領地へ案内いたします」
ラーポの背後の森には夥しい数の鳥たちがとまっていた。
これが全て魔物なのか。グラントは呆気に取られてしまう。
「わたしは、グラント・ルース。今は王都に暮らしている。
こちらの騎士の小人は知っている? かつてこの辺りの砦で出会った。
ランプを持っているのはフットマン。そしてこの子はエコー」
ラーポは一人一人に挨拶した。
ついでなのでスイートもバレルも出して紹介する。
アリアは名前だけ。そして、最後にモスを呼んだ。
「苔の精霊だ。彼も王都までの森の中で出会った」
黙ってラーポを見やる青年を、一番喜ばしそうに見る。
「森で一番気まぐれで、美しいのが苔でございます。
グラントはすごい精霊をお持ちですね」
初めて初対面で褒められた。
「わたしもモスは好きだ。静かに本を読みたい時に呼んでいた」
陰気な顔つきのモスが隣にいると、なぜか周りはグラントもそっとしておいてくれる。
「これで一緒に来た仲間の紹介は終わり。
さあ、移動しよう」
ラーポは鳥たちに先に戻っているように指令した。
人の姿のままグラントを案内する。
「砦には何か御用がございますか」
「特にはないけど、とりあえず立ち寄ったことがある場所へと思って。
領民が城にいるなら、そちらへ向かった方がいいかな?」
「いえ。砦は崩れておりますが、今も定期的に手紙運搬の馬が入っております。
ここからすぐですし、そちらへ参りましょう」
グラントがこの土地のことを知っているという点に、ラーポは意識を留めていた。
「家の名前はルースでございましたね。
魔物の御一家でありましたか?」
「そう。祖父は溶岩を操る。祖母は花の化身で、母は霧の魔物。
おそらく、もっと山のずっと向こうに家があった。
正確なことは覚えていないんだけれど」
「その紋章は、家紋ですか」
森の中を歩くグラントの右手を取って尋ねる。
「うん。家の旗は動物のツノの形の紋章だった」
はたと、ラーポは立ち止まった。
グラントの手を握ったまま、その場に膝をつく。
「私は大ガラスの魔物です。
魔物の鳥ばかりでなく、概ねの鳥を意のままにできます。
人間の世界においてもきっとお役に立てるでしょう。
魔物の子グラント。あなたの家のことを存じております。
従者に召し抱えてくださいますか」
魔物の距離感にまた轢かれている。
先代同士のやり取りは全く覚えがない。
それにグラントはほぼ人間なのだ。
ラーポはきっと、うんと力のある魔物である。
釣り合わないのでは?
「今は、先に、領地の安全を確保しようよ」
保留にした。
「では、必ず。後ほど召し抱えてもらいます」
足元からオークが走り出す。
「グラント。こちらです。ここが我らの根城」
「ああ」
記憶のままの姿にグラントが笑った。
元は大きな砦だったはずなのだが、すっかり崩れてしまっている。
ここを通った時はグラントの背よりは高かった。
今見ると腰ほどまでしか壁が残っていない。
「ここだね」
シュトラールに到着してからは、ほとんど思い出すこともなかった。
ここにはきっとゲートハウスがあったのだろう。
ちょうど家のように石が取り囲んでいた。
土が剥き出しの床には麦が生えている。
まるで畑のように青々と。
苔むした石かべに触れる。
小さな自分に時間が巻き戻るような心地がした。
オークたちを従えて、知らない森を進んだ幼い自分。
魔物が暴れていると間違われて調べに来たジェロディに見つかった。
重くて仕方なかった杖は今も手に握っている。
「厩舎はこちらです」
ラーポが少し木立の間隔が広い方へと進んでいった。
馬が1頭、屋根の下で草を食む。
軒先には古い鞍が無造作に吊ってあった。
「ここはかつて防衛の拠点であったのですが。
随分前に魔物同士で激突がございました。
その時に壊れてそれきりです」
「おかげでわたしはここを通れたんだね」
「その時通さずにおけば、此度のような事はなかったのやも」
笑うグラントに、カラスは口惜しそうな顔をする。
獲物か。
「馬には乗れますか、グラント」
「乗ったことない。トナカイなら乗れるんだけど」
「さして変わりはないかと存じますが、おケガをされても困ります。
一緒に乗りましょう」
「道はあるの?」
グラントは、東の方の木立を向いた。
あるような、ないような。
草の勢いが激しいが、合間に石畳のようなものが見える。
「ございますよ」
鞍を取り付けたラーポは当然のようにそう答えた。
グラントを促して乗せる。
精霊たちが足を伝って登ろうとするのを呆れて見た。
「おまえたちは従者であろう? 自らついてこい。
主によじ登る奴らがあるものだ」
「グラントはいつもこうさせてくれます」
オークは精霊を代表して言い返す。
「馬は一頭しかないんだから、みんないったん消えようか?」
オークは、嫌だ、という顔をした。
他のものは応となる。モスに至っては早く消えたがっていた。
「では、オーク以外解散」
小人を腕に10人抱えてグラントが命じる。
「行きます」
ラーポが後ろに乗って馬を進めた。
この馬も魔物の血が混じっている。
通常の馬より足が速かった。
トナカイと魔獣を交配したいという、じじいの目的がちょっと分かる。
リケでの戦いの様子を話しているうちに大きな城が見えてきた。
黒樫と白っぽい石でできた城である。
地面の上にあるだけで3階の高さだ。
ぼろぼろにはがれた幕壁は、背の低い山をほぼ全て取り囲んでいる。
かつては中に城下町があったのだ。
畑や商店街の跡地が見える。
グラントの目には、その昔に生き生きと暮らした領主の面影が見えるような気がした。
戦の声が聞こえてくる。
正面の城門に、火矢が何本か刺さっていた。
先ほど初めて射かけられた様子である。
ラーポは沈鬱な顔になった。
兵士たちは大きな丸太を打ち込もうとしていた。
門自体にまだ損傷はない。
「魔物が一人、この城を守っておりました。
彼は手ひどくやられたのです。
いまここにいないということは、もう戦えないのでしょう」
鳥の姿に戻りかけていた。
「私が先に行って城門前の敵を追い払います。
グラントはその隙に通用門から飛び込んでください」
ラーポは手綱を渡して飛び立とうとする。
「待って。ラーポが先に城へ行って」
グラントがカラスを制止した。
「オークたち。行こう。勇敢なところを見せるんだ。
ラーポは敵の近くにわたしを下ろして」
魔物は戸惑う。
しかし言われた通りに城門を叩く兵士たちの近くにグラントを下ろした。
「オーク、あの兵器、ウーシーが欲しがるぞ。奪おう」
グラントに片手で放られた小人たちが破城槌を操る兵士に飛びかかる。
突然現れた小人に、工兵たちは驚いた。
「ラーポ、中へ」
「……はい」
通用門を開けてもらう。人の姿のラーポは素早く中へ入った。
ちらりと見えた人間たちが、ひどく汚れた身なりなのが見える。
グラントは左手で紋章を覆った。
すると、魔王が姿を変えて、指ぬきの革の手袋になる。
ありがとう、と小さく呟いた。
グラントの手が鋭い爪に変わった。
甲殻を持つ手から溶岩が溢れる。
「これ以上の攻撃はやめてください」
初め、人間たちはグラントが何を持っているのか分からなかった。
「今日はもう退いてください。でなければ溶岩に巻き込まれます」
グラントの手から川のように流れてくる。
草を燃やし、石を溶かして、軍勢の方へ這ってきた。
「あいつも魔物だっ」
誰かが叫ぶ。
50人ほどの部隊は城門から離れ始めた。
「昨日、大将は捕らえました。副官だった方はこの中にいらっしゃいますか。
ここへは何の目的で攻めてきたんです?」
燃える川に追われ、兵士たちの逃げ足は速くなっていく。
熱い、と悲鳴が上がった。
「停戦を交渉できる者を! 明日中に連れてきてください!」
溶岩の中から大きな手が出てくる。
指だけで人の背丈ほどある右手、左手がそれぞれ地面に踏ん張った。
その間が盛り上がって、何か巨大な魔物でも現れそうになる。
兵士たちは武器を捨てて森の中へと走り去った。
「グラントー」
破城槌を手に入れたオークたちがのん気な声で呼ぶ。
「手に入れました」
「我々は勇敢でしたか?」
にこにこ笑って問いかけた。
「とても勇敢だったよ。よくやった、オーク」
振り返ってそう言ったグラントは、彼にしては珍しく、楽しそうに笑っていた。
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