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春めく日
杖ともだち
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「去年より悪くなった箇所はないよ」
コーマックの傷を診たジェロディはそう判断した。
「どうする? 何個か破片を取ることもできそうだよ」
「今はいい」
「じいさん何日いるつもりだ」
いつも1泊して取り出せる破片をいくつかとって帰る。
今年の滞在日数は長めにとったようだ。
「今日は散歩したい。取ったら1日歩けないだろう」
「言うことがじいさんぽくなってきたんだな」
「じいさんだ」
朝風呂帰りのウーシーが顔を出す。
「じいちゃん、ちょっと俺んち来てよ。
見てもらいたいものがあるんだ」
ウーシーは今、川の近く、城壁の辺りに家を建築中だ。
最初に納屋だけを建てている。
そこでは早速思いついたものを作り出していた。
コーマックは応じて立ち上がる。
「……今日中に薬草を買い足しますね。
血止めと、痛み止め? 取れそうなのはいくつくらいですか」
薬箱を確かめてグラントが聞いた。
「3個か、4個かな。もうほんとに背骨に近いところだからね。
自然に外側に押し出されない限り、今後取れるものはないかもしれない」
ジェロディは簡単な手術を施せる。
魔法で皮膚や血管、筋肉の修復はその場でできた。神経は難しい。
骨はずれない程度までは修復した。
すぐに完全にはくっつかない。
戦で人体の解剖を理解したから、どこをどう治せばいいのか分かるのだ。
それはジェロディにしかできない魔法だった。
グラントも似たようなことはできるが、そんなに高度ではない。
以前絵に描いて教えるよう頼んだことがあった。
ジェロディには絵心も欠けているので無理だった。
本来、彼の得意なのは精霊の使役術で、特に道具も用いず呼び出す。
木の精霊と仲が良かった。
三日の間ずっと出し続けたことがあるという。
エニを三日と言われたら、グラントは断る。
兵舎のホールにレイがいた。
女中長さんに捕まって話し込んでいる。
「レイと出かけます。今日は家に帰してあげて」
笑ってお願いする。
食料を仕入れに市場へ行きたいというのでポーターに任せた。
「新しい殿下はいかがされますか」
女中長が聞くのに、グラントは耳の後ろへ手をやる。
「今日は来ないのではないかなあ。
疲れているだろうし、昼間ちょっと出かけたら帰宅させたいです」
「左様ですか」
女中長はあっさりと引き下がった。
兵舎を出てウーシーの家の方へ向かう。
レイはほっと息をついていた。
「女中長さんの言うことを素直に聞いたりしたら、義理の息子にされるよ」
「もうすでになっているようだった」
レイが苦笑する。
「さっきね、エコーから連絡が来た。
シェリーが中央にある市場に行きたいって。
レイは? 一度帰る?」
「一緒に行く」
「目立つなあ……」
新たに現れた王族と、顰め顔の騎士と、顔面防衛線じじい。
「嫌ならグラントが外れろ」
「薬草を買うっていう用事がある」
共同作業所を過ぎるとすぐウーシーの家が見えてくる。
「レイは、シェリーの家との交通って、どんなこと思いついたの?」
「機関車」
その一言に目を丸くした。
原理は知っている。作り方も分かる。
ただ、資源の少ないシュッツフォルトでは、実用が難しい代物だった。
「せめて軌道車」
「ああ、それなら昔、ウーシーと小さいの作ったことがあるよ。
仲の悪い魔物を捕まえてきて、一人が抱えて車に乗り込んでね。
もう一人は振り子のようにくっついたり離れたり。
そしたら威嚇しあって車がひとりでに進むんだよ」
「……」
レイに信じられない、残酷っていう顔をされる。
子どもの頃の遊びの話なのに。
「魔物はすぐ放した」
一応報告した。
「グラントの溶岩はずっとそこに置いておくことはできるのか?」
「できるけど、温度の調節はできないし、普通の人間が触ると危険だよ。
ランプに使ったらどうかと考えたことがあるんだけどね。
金属が溶けてしまったら大惨事になる」
「グラントがいる間は、使えるんだな」
「まあ、そうだね」
何か、嫌な予感がする。その言い方。
「わたしはシェリーの所領では溶岩は使わない。
じじいの領地に近い。何かあったら嫌だ。
機関車なら、要はピストンを押す力があればいいんだろう?」
「だからって魔物を年中くくりつけて働かせるのは気が滅入る」
「そういうの好きな魔物もいるかもよ」
「会ったことがあるのか?」
「ないけど」
そこで思いついてグラントは苔の精霊を呼び出した。
近くに黙って座っている。おとなしい青年の姿の精霊だ。
「モス、もしかしてすごく力持ちで、単純作業が好きだったりする?」
「単純作業は好きですが、力はないです」
苔の化身に何を言うのか。
モスは怪訝そうに主人を見る。
「そういう精霊に心当たりはない?」
「苔……?」
なんでそんなものを従者にした。
レイはそちらの方が気になるようだった。
「わたしのお気に入りの精霊なんだ。
小さい頃はモスを隣に置いて本を読んだ。
誰にも邪魔されず、静かに読めたんだ」
「だろうな」
陰気な顔の青年が隣にいる子どもは、あまりからかわれない。
「古いガレー船を探してみてはどうでしょうか?」
微妙な悪口も気にしていないような雰囲気でモスが提案した。
「心当たりの場所は二つ。
ひとつはノルトエーデ領のさらに北方。
打ち捨てられた国の海岸にある白い肌のガレー船です。
もうひとつはこのシュッツフォルトの森の中。
大きな目が描かれた古いガレー船です。
ともに櫂の精霊で、力持ちです。漕ぐような動作が好きですよ」
ほら、モスは結構役に立つんだから。
物知りか。
グラントとレイはそんな目線を交わした。
モスはあたりを見回して、ウーシーの家の近くだと知ると姿を消してしまう。
彼はウーシーが苦手だった。
機関車の構想は置いておいて、グラントは親友とじじいを誘いに行った。
シェリーは同じように杖をつくコーマックの隣を歩いていた。
目が見えないって危険だな、とグラントはそれをうかがう。
隣にいるのは大柄な偏屈じじいなのに、シェリーはにこにこ話しかける。
交易の仕方など詳しく聞いていた。
今でも他の国に赴いてコーマックは商売をする。
そして燃料などを仕入れて帰るのだ。
グラントは時々シェリーに市場の様子を見せる。
実際の動作とは時間の差ができてしまう。
見えているようには体験させられなかった。
市場を抜けると商店街になっている。
位の高い貴族の屋敷に通じるその道は、個人の工房が多かった。
ひとつひとつ、どんな店なのか見せていく。
その中の小さな店で、シェリーは商品に手を伸ばした。
店の中では同じ年くらいの女性が湯煎にかけた容器の中身を練っている。
ウーシーが精油を取り出す装置を楽しそうに眺めていた。
自分はもっと大きいものを扱っている。
「綺麗なラベルですね」
ケリーもそばで商品を眺めながら言った。
店の中から女性が出てくる。
彼女はシェリーを見て最初に「えっ」と息を呑んだ。
コーマックを見て、グラントを見たところで「あっ」と声を出した。
それからレイを見ると店の奥に「父さん」と呼びかける。
「こないだ王の前にいた殿下がいる。
シュトラールの兵団長とユーリー様の若君も来てる」
出てきた父親にそう教えた。
父親の方はコーマックに目を止めて仰天している。
「何用ですか」
尤もな質問がきた。
ここは化粧水などの店で、じじいが来るところではない。
散歩中です、とグラントが小さな声で教えた。
店主は娘の方で、エリンといった。
父はロニーといって、兵団に所属している。
「私、先日王宮に行ったんです。お庭まででしたけど、父のお供で。
馬車に乗ってるの見ました」
エリンは嬉しそうに話した。
「殿下、うちの商品使ってみますか?
今手に取られているのは体に使う保湿剤です。
どうぞ腕に。そちらのお嬢さんもどうぞ」
ケリーにも試させる。
「これは日持ちがしないので安価なんです。
爪用の保湿剤もありますが、試しますか?
いい香りがして気分がいいですよ」
「こちらのラベルは手作りですか?」
なすがままになっているシェリーが聞いた。
「私が描いています」
爪のつやを確かめながらエリンは答える。
「子どもの頃から絵が好きでして。
一番気の入ったラベルはこれです」
シェリーの手に小さな広口の瓶を乗せた。
ガラスに直接描いている。
「綺麗」
グラントに見せてもらったシェリーは呟いた。
エリンはケリーの爪を世話している。
彼女は物おじしない性格なのだろう。
加えて、ただ付き添って来ただけのケリーにも惜しまず商品を試させている。
その大らかさがシェリーには好ましかった。
「私が何か売るときは、あなたにラベルを作って欲しいです。
そのときは依頼しても構いませんか」
「え? もちろんですが。……え? 殿下がですか?」
驚いて「え」を連発した。
グラントもびっくりしてシェリーを見ている。
「エリンさんの絵がとても気に入ってしまって。
部屋に飾る絵も描いてほしいくらいです」
「え? お屋敷にですか?
私、大きいのは描いたことないです。どうしよう」
王族の申し出にエリンは慌てた。
お屋敷に飾る絵、と言うのは、この商店街にはない。
もっと王宮に近いエリア、勢力のある貴族の領地に近い商店街に画廊はあった。
「化粧品の類でしたらお届けできますけど。
でも、うちはそんなに流行ってないですよ。
品物としては並ですし、お客さんに貴族の方はいらっしゃいません」
それは謙遜ではなくそうなのだろう。
シェリーは、貴族が買いにこないという言葉に気を止めた。
「私は、自分で何か商品を作るなら、みんなが買えるものにしたいのです。
余計にエリンさんにお願いしたくなりました」
「それはもう嬉しいことです。
私でよければお手伝いします。絵で協力できるなんてこの上ない。
殿下は何をお売りになりたいのでしょう?」
エリンの問いにシェリーはちょっと困った顔になる。
まだ決めていない。
「この店で作れるものを殿下の商品として委託販売してはどうですか。
計画が頓挫している商品などあれば、殿下の協力で叶うかもしれません。
そういう物を一緒に商品化すればよろしい」
素早く提案したのはコーマックだった。
エリンに事情を説明している。
ロニーから何か補足された彼女は飛び上がるように立った。
「えーっと、そうですね。
うちでできるもので、材料が揃わなくて作ってないものがあります。
口紅、保湿クリーム、香水なんかです。
父は兵団の運営に関わっているので店は一人でやっています。
顔料を集めたり、採集に出る時間がありません」
グラントがちょっと城壁の方を見やる。
「ハンドクリームは、比較的簡単で大量に作れますよね。
春先は放棄された巣もたくさん残っているし……」
「確かに。ハンドクリームは難易度が低めです。
けど本当に蜜蝋をたくさん使うんです。
あと希釈用の油もその何倍も必要です。
その二つを確保してくだされば作れるかな、というところです。
殿下の商品として売り出すってのはもちろん喜んでします」
店の商品を手作りしているエリンは手早く説明する。
「必要量はどのくらいですか」
グラントが聞いた。
「蜜蝋はですね」
エリンは店の奥の金属の缶を抱えてくる。
「これに1つあれば数も作れるのではないかと思います。
うちはそんなに流行っている店ではないのでこれくらいかな」
「借りても?」
「どうぞ」
空の容器をエリンはグラントに預けた。
「大量に巣が要るね」
「すぐ集めてこい」
後頭部から来た指令にグラントはげんなりした顔で振り返る。
「は? 今?」
「今だ」
じじい。
「殿下はそろそろ昼食のお時間だ。レイと帰られるのがいいでしょう。
グラントはその間に採集に行け」
「その間って」
どの間だ。
「油は市場で簡単に手に入る。蜜蝋は数が揃わない。
森へ行ってこい」
「一晩はかかるよ」
「そうだろうな。だから明日、ここに納品するんだ」
無茶な指令にレイがヒいている。
ほら、油断すると出てくる暴君コーマック。
「殿下に協力しないのか」
卑怯者。
「じじいは何かするの」
「これからポーターに相談する」
「……」
ウーシーが後ろで大笑いしている。
「先生、大丈夫です。私も一緒に行きますよ」
ケリーが駆け寄ってきた。
「昨晩はシェリー様のところで歓待を受けました。
体調ばっちりです。出かけましょうか」
「では、また明日」
コーマックの一言で解散になった。
コーマックの傷を診たジェロディはそう判断した。
「どうする? 何個か破片を取ることもできそうだよ」
「今はいい」
「じいさん何日いるつもりだ」
いつも1泊して取り出せる破片をいくつかとって帰る。
今年の滞在日数は長めにとったようだ。
「今日は散歩したい。取ったら1日歩けないだろう」
「言うことがじいさんぽくなってきたんだな」
「じいさんだ」
朝風呂帰りのウーシーが顔を出す。
「じいちゃん、ちょっと俺んち来てよ。
見てもらいたいものがあるんだ」
ウーシーは今、川の近く、城壁の辺りに家を建築中だ。
最初に納屋だけを建てている。
そこでは早速思いついたものを作り出していた。
コーマックは応じて立ち上がる。
「……今日中に薬草を買い足しますね。
血止めと、痛み止め? 取れそうなのはいくつくらいですか」
薬箱を確かめてグラントが聞いた。
「3個か、4個かな。もうほんとに背骨に近いところだからね。
自然に外側に押し出されない限り、今後取れるものはないかもしれない」
ジェロディは簡単な手術を施せる。
魔法で皮膚や血管、筋肉の修復はその場でできた。神経は難しい。
骨はずれない程度までは修復した。
すぐに完全にはくっつかない。
戦で人体の解剖を理解したから、どこをどう治せばいいのか分かるのだ。
それはジェロディにしかできない魔法だった。
グラントも似たようなことはできるが、そんなに高度ではない。
以前絵に描いて教えるよう頼んだことがあった。
ジェロディには絵心も欠けているので無理だった。
本来、彼の得意なのは精霊の使役術で、特に道具も用いず呼び出す。
木の精霊と仲が良かった。
三日の間ずっと出し続けたことがあるという。
エニを三日と言われたら、グラントは断る。
兵舎のホールにレイがいた。
女中長さんに捕まって話し込んでいる。
「レイと出かけます。今日は家に帰してあげて」
笑ってお願いする。
食料を仕入れに市場へ行きたいというのでポーターに任せた。
「新しい殿下はいかがされますか」
女中長が聞くのに、グラントは耳の後ろへ手をやる。
「今日は来ないのではないかなあ。
疲れているだろうし、昼間ちょっと出かけたら帰宅させたいです」
「左様ですか」
女中長はあっさりと引き下がった。
兵舎を出てウーシーの家の方へ向かう。
レイはほっと息をついていた。
「女中長さんの言うことを素直に聞いたりしたら、義理の息子にされるよ」
「もうすでになっているようだった」
レイが苦笑する。
「さっきね、エコーから連絡が来た。
シェリーが中央にある市場に行きたいって。
レイは? 一度帰る?」
「一緒に行く」
「目立つなあ……」
新たに現れた王族と、顰め顔の騎士と、顔面防衛線じじい。
「嫌ならグラントが外れろ」
「薬草を買うっていう用事がある」
共同作業所を過ぎるとすぐウーシーの家が見えてくる。
「レイは、シェリーの家との交通って、どんなこと思いついたの?」
「機関車」
その一言に目を丸くした。
原理は知っている。作り方も分かる。
ただ、資源の少ないシュッツフォルトでは、実用が難しい代物だった。
「せめて軌道車」
「ああ、それなら昔、ウーシーと小さいの作ったことがあるよ。
仲の悪い魔物を捕まえてきて、一人が抱えて車に乗り込んでね。
もう一人は振り子のようにくっついたり離れたり。
そしたら威嚇しあって車がひとりでに進むんだよ」
「……」
レイに信じられない、残酷っていう顔をされる。
子どもの頃の遊びの話なのに。
「魔物はすぐ放した」
一応報告した。
「グラントの溶岩はずっとそこに置いておくことはできるのか?」
「できるけど、温度の調節はできないし、普通の人間が触ると危険だよ。
ランプに使ったらどうかと考えたことがあるんだけどね。
金属が溶けてしまったら大惨事になる」
「グラントがいる間は、使えるんだな」
「まあ、そうだね」
何か、嫌な予感がする。その言い方。
「わたしはシェリーの所領では溶岩は使わない。
じじいの領地に近い。何かあったら嫌だ。
機関車なら、要はピストンを押す力があればいいんだろう?」
「だからって魔物を年中くくりつけて働かせるのは気が滅入る」
「そういうの好きな魔物もいるかもよ」
「会ったことがあるのか?」
「ないけど」
そこで思いついてグラントは苔の精霊を呼び出した。
近くに黙って座っている。おとなしい青年の姿の精霊だ。
「モス、もしかしてすごく力持ちで、単純作業が好きだったりする?」
「単純作業は好きですが、力はないです」
苔の化身に何を言うのか。
モスは怪訝そうに主人を見る。
「そういう精霊に心当たりはない?」
「苔……?」
なんでそんなものを従者にした。
レイはそちらの方が気になるようだった。
「わたしのお気に入りの精霊なんだ。
小さい頃はモスを隣に置いて本を読んだ。
誰にも邪魔されず、静かに読めたんだ」
「だろうな」
陰気な顔の青年が隣にいる子どもは、あまりからかわれない。
「古いガレー船を探してみてはどうでしょうか?」
微妙な悪口も気にしていないような雰囲気でモスが提案した。
「心当たりの場所は二つ。
ひとつはノルトエーデ領のさらに北方。
打ち捨てられた国の海岸にある白い肌のガレー船です。
もうひとつはこのシュッツフォルトの森の中。
大きな目が描かれた古いガレー船です。
ともに櫂の精霊で、力持ちです。漕ぐような動作が好きですよ」
ほら、モスは結構役に立つんだから。
物知りか。
グラントとレイはそんな目線を交わした。
モスはあたりを見回して、ウーシーの家の近くだと知ると姿を消してしまう。
彼はウーシーが苦手だった。
機関車の構想は置いておいて、グラントは親友とじじいを誘いに行った。
シェリーは同じように杖をつくコーマックの隣を歩いていた。
目が見えないって危険だな、とグラントはそれをうかがう。
隣にいるのは大柄な偏屈じじいなのに、シェリーはにこにこ話しかける。
交易の仕方など詳しく聞いていた。
今でも他の国に赴いてコーマックは商売をする。
そして燃料などを仕入れて帰るのだ。
グラントは時々シェリーに市場の様子を見せる。
実際の動作とは時間の差ができてしまう。
見えているようには体験させられなかった。
市場を抜けると商店街になっている。
位の高い貴族の屋敷に通じるその道は、個人の工房が多かった。
ひとつひとつ、どんな店なのか見せていく。
その中の小さな店で、シェリーは商品に手を伸ばした。
店の中では同じ年くらいの女性が湯煎にかけた容器の中身を練っている。
ウーシーが精油を取り出す装置を楽しそうに眺めていた。
自分はもっと大きいものを扱っている。
「綺麗なラベルですね」
ケリーもそばで商品を眺めながら言った。
店の中から女性が出てくる。
彼女はシェリーを見て最初に「えっ」と息を呑んだ。
コーマックを見て、グラントを見たところで「あっ」と声を出した。
それからレイを見ると店の奥に「父さん」と呼びかける。
「こないだ王の前にいた殿下がいる。
シュトラールの兵団長とユーリー様の若君も来てる」
出てきた父親にそう教えた。
父親の方はコーマックに目を止めて仰天している。
「何用ですか」
尤もな質問がきた。
ここは化粧水などの店で、じじいが来るところではない。
散歩中です、とグラントが小さな声で教えた。
店主は娘の方で、エリンといった。
父はロニーといって、兵団に所属している。
「私、先日王宮に行ったんです。お庭まででしたけど、父のお供で。
馬車に乗ってるの見ました」
エリンは嬉しそうに話した。
「殿下、うちの商品使ってみますか?
今手に取られているのは体に使う保湿剤です。
どうぞ腕に。そちらのお嬢さんもどうぞ」
ケリーにも試させる。
「これは日持ちがしないので安価なんです。
爪用の保湿剤もありますが、試しますか?
いい香りがして気分がいいですよ」
「こちらのラベルは手作りですか?」
なすがままになっているシェリーが聞いた。
「私が描いています」
爪のつやを確かめながらエリンは答える。
「子どもの頃から絵が好きでして。
一番気の入ったラベルはこれです」
シェリーの手に小さな広口の瓶を乗せた。
ガラスに直接描いている。
「綺麗」
グラントに見せてもらったシェリーは呟いた。
エリンはケリーの爪を世話している。
彼女は物おじしない性格なのだろう。
加えて、ただ付き添って来ただけのケリーにも惜しまず商品を試させている。
その大らかさがシェリーには好ましかった。
「私が何か売るときは、あなたにラベルを作って欲しいです。
そのときは依頼しても構いませんか」
「え? もちろんですが。……え? 殿下がですか?」
驚いて「え」を連発した。
グラントもびっくりしてシェリーを見ている。
「エリンさんの絵がとても気に入ってしまって。
部屋に飾る絵も描いてほしいくらいです」
「え? お屋敷にですか?
私、大きいのは描いたことないです。どうしよう」
王族の申し出にエリンは慌てた。
お屋敷に飾る絵、と言うのは、この商店街にはない。
もっと王宮に近いエリア、勢力のある貴族の領地に近い商店街に画廊はあった。
「化粧品の類でしたらお届けできますけど。
でも、うちはそんなに流行ってないですよ。
品物としては並ですし、お客さんに貴族の方はいらっしゃいません」
それは謙遜ではなくそうなのだろう。
シェリーは、貴族が買いにこないという言葉に気を止めた。
「私は、自分で何か商品を作るなら、みんなが買えるものにしたいのです。
余計にエリンさんにお願いしたくなりました」
「それはもう嬉しいことです。
私でよければお手伝いします。絵で協力できるなんてこの上ない。
殿下は何をお売りになりたいのでしょう?」
エリンの問いにシェリーはちょっと困った顔になる。
まだ決めていない。
「この店で作れるものを殿下の商品として委託販売してはどうですか。
計画が頓挫している商品などあれば、殿下の協力で叶うかもしれません。
そういう物を一緒に商品化すればよろしい」
素早く提案したのはコーマックだった。
エリンに事情を説明している。
ロニーから何か補足された彼女は飛び上がるように立った。
「えーっと、そうですね。
うちでできるもので、材料が揃わなくて作ってないものがあります。
口紅、保湿クリーム、香水なんかです。
父は兵団の運営に関わっているので店は一人でやっています。
顔料を集めたり、採集に出る時間がありません」
グラントがちょっと城壁の方を見やる。
「ハンドクリームは、比較的簡単で大量に作れますよね。
春先は放棄された巣もたくさん残っているし……」
「確かに。ハンドクリームは難易度が低めです。
けど本当に蜜蝋をたくさん使うんです。
あと希釈用の油もその何倍も必要です。
その二つを確保してくだされば作れるかな、というところです。
殿下の商品として売り出すってのはもちろん喜んでします」
店の商品を手作りしているエリンは手早く説明する。
「必要量はどのくらいですか」
グラントが聞いた。
「蜜蝋はですね」
エリンは店の奥の金属の缶を抱えてくる。
「これに1つあれば数も作れるのではないかと思います。
うちはそんなに流行っている店ではないのでこれくらいかな」
「借りても?」
「どうぞ」
空の容器をエリンはグラントに預けた。
「大量に巣が要るね」
「すぐ集めてこい」
後頭部から来た指令にグラントはげんなりした顔で振り返る。
「は? 今?」
「今だ」
じじい。
「殿下はそろそろ昼食のお時間だ。レイと帰られるのがいいでしょう。
グラントはその間に採集に行け」
「その間って」
どの間だ。
「油は市場で簡単に手に入る。蜜蝋は数が揃わない。
森へ行ってこい」
「一晩はかかるよ」
「そうだろうな。だから明日、ここに納品するんだ」
無茶な指令にレイがヒいている。
ほら、油断すると出てくる暴君コーマック。
「殿下に協力しないのか」
卑怯者。
「じじいは何かするの」
「これからポーターに相談する」
「……」
ウーシーが後ろで大笑いしている。
「先生、大丈夫です。私も一緒に行きますよ」
ケリーが駆け寄ってきた。
「昨晩はシェリー様のところで歓待を受けました。
体調ばっちりです。出かけましょうか」
「では、また明日」
コーマックの一言で解散になった。
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ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
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