端木 子恭

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返報

憶持

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「立てるか」

 お互いにそう気遣った。
 お互いに無用であるという顔になる。

「家の方へ探しに行きましょう」

 刀を鞘にしまい、杖の代わりにしながら勇与が扉へ向かった。
 その耳に金属の音が聞こえる。

 勇与は鋭く誉をかばって岩壁に寄った。
 弾丸が勇与の胸のあたりをかすめる。

「兄さん?」

 誉が暗闇を睨んだ。
 火縄の焼けたにおいがする。

「外へ出ろ、誉さん」

 勇与は誉を肩にかけて持ち上げた。
 目は扉の方へ向けている。
 火口の灯りを探した。
 誉は勇与の肩を踏んで山の方へ上り果せる。

「勇与、掴んで」

 誉が頭上から両手を差し伸べた。
 応じようとする勇与の頭の上を弾が弾く。
 態勢を崩した勇与は岩の上に転がった。

 破れた胸のポケットから小さな箱が落ちる。

 しまった、と勇与がそちらを見た。
 箱は岩にぶつかりながら溝へ落ちていく。

 溝の先はさらに深くなっているようだった。
 匣が落ちていった先が見えない。 

「……」

 匣のその様子に、怖くて声も出なかった。
 煤が放射状についている。
 かすっただけではない。
 あれは最初の弾丸で撃たれていたのだ。

 匣が壊れる…

「勇与」

 上から声がかかり、勇与はそちらを振り仰ぐ。
 泣きだす寸前のような顔だった。

「任せる」

 誉は穏やかに笑う。
 その姿は次の瞬間に消えた。

「誉さん」

 勇与が叫ぶ。
 
 自分の間抜けさに呆然とした。
 実体があったのでいつの間にか忘れていた。

「……」

 幽霊となった誉のいのちはこの匣にあったのに。



 任せる。

 その言葉で腹に力を入れた。

「この爺ぃっ」

 跳び上がるように立つと片足とは思えない速度で扉に迫る。
 肩を打ちあてて扉を押し開いた。
 向こう側にいた高泰は背中から転げて悲鳴を上げる。

「どこまでも、誉さんに、ひでえ目見せやがって」

 飛びついてぶん殴ってやった。
 誉が一番これをしたかっただろうに。
 
 高泰は銃底で勇与の顔を張り飛ばす。
 のけぞった勇与は、しかし高泰を離さなかった。
 幾度か殴りつけるたび、高泰の胸倉は締められ、体が持ち上がっていく。

 勇与の漆色の瞳に光が走った。

「この裏切者」

 額が勢いをつけて高泰の顔を襲う。

 叫び声をあげて高泰は転がった。
 勇与から逃れると、月明りの方、実は袋小路へと入っていく。

「俺は裏切ってないぞ」

 どこにいるか分からない勇与へ銃を向けた。
 恐らく火薬は漏れ出ている。

「誉が味方になってくれなかったんだ。
 誉が俺の話に乗ってくれていれば何事もなかった」

 高泰はさまざまな方向へ言い訳した。

「誉がいればもっと儲かった。
 あんなに商売が得意な者を手放したいわけがない。
 きれいごとを並べるのをやめて俺に手を貸せば」

「殺さずに済んだかよ」

 ぬっとあらわれた勇与の手が老いた髪の毛を鷲掴む。

「ひとごろしってのは、なんだかんだやっちまうんだ。
 そうやって言い訳しっ散らかして」

 勇与は片腕で高泰を引っ立たせた。
 血みどろになったその顔をもう一ぺん殴ってやろうと拳を作る。

「殺したのは」

 銃口が勇与の腹を突いた。

「信義だ」

 翻った銃底が脇腹を砕く。
 短く唸った勇与が岩の上に倒れた。
 頭を掴んだままなので高泰も一緒に崩れる。

「離せっ。離せ」

 頭に重い手を乗せながら、高泰は半身を起こす。
 銃を振り上げ勇与の体を殴った。

「いい目は見れた?」

 静かな声に、高泰の動きが止まる。
 体の下に守刀を構えて勇与が睨み上げていた。

 いつの間にその切っ先を高泰に向けている。
 ゆっくりと左ひざを立てて起き上がった勇与は、噛みつくように高泰を見ていた。

「妖を使って、願いは叶ったか」

 村での名誉。思い通りの事業。

「まだだ」

 高泰は銃を振り上げた姿勢のまま答えた。

「まだ足りない」

「ははっ。欲をかいたら、とうとう誉さんに怒られたわけだ。
 幽霊になって現れたと知った時、本当は腰抜かしたんだろ」

 嘲るような表情に、死に際の誉を思い出す。
 ずっと自分の後ろをついてきていると思っていた子供から受けた仕打ち。
 自分のほうがずっとずっと世知にたけている筈だった。

 誉など、野望を抱くことにすら怖気づく小心者。
 
 高泰がかっと目を見開く。
 怒りの叫びと共に銃を振り下ろした。
 勇与は刀をまっすぐ打ち出す。

 大きな音と共に二人の体が弾けた。

 勇与は岩の上に落ち、高泰は岩壁へとよろめく。

 高泰の着物が血で染まっていった。
 蛟打はその腹を貫いたようである。

「幽霊には、何もできまい」

 岩に取りついて立ち、高泰が合わせた歯の間から声を絞り出す。

「誉にはもはや何もできまい」

 
 すると。

 血の気のない手が音もなく岩から出てきた。

 左手が高泰の顔を覆う。
 高泰は思わず触れて確かめた。
 
「誉…」

 右手が後ろから抱えるようにその体を掴んだ。
 肩越しに茶色の混じった髪の毛が見え、高泰は震える。

「匣の使い方をお教えいたします」

 誉の顎が肩に触れた。
 幼い子がおぶさるかのごとくに。

「からくりになっています。
 外から3つ、亀甲模様を動かしたら、中からあと1つ解いて開けるのです。
 わたしが閉じ込められた時には既に誰かが外から動かしておりました。
 何のことなく開けられます。
 匣の口はひとりでに閉じてゆきますから、その隙に」

 錯覚か。
 高泰は岩の中に己が引き込まれていくように感じた。
 誉の姿が自分の前にある。

「どうぞ。兄さん。…代わって」

 どこなのか分からない空間で、栗色の瞳が残酷に笑った。
 誉は両の手で仇の体をそっと押し込む。

 岩の下から木の裂ける音がした。
 高泰の悲鳴が聞こえる。
 ぱちん、と、岩の間で匣は完全に砕けた。



「誉さんなぁ…」

 床に転がったまま勇与は息を吐く。

 あそこで芝居するか?あんな。

 勇与に背を向けていた誉は肩越しに振り返った。
 
「すまないね」

 清清した表情をしている。

「最初から騙してやがったな。誉さんは自分で出てきてたんだろ」

 勇与はやられたと笑った。
 誉は初めて会った時のように恥ずかしそうに笑い返す。

「最初からではないよ。記憶がなかったんだから」

 束の間目を合わせていたが、その姿は不意に消えた。

 乾いた音がばらばらと降ってくる。

「…あ…っ」

 勇与は飛び起きた。

 ひとの骨が一そろいある。

「誉さん」

 横向きにうずくまる姿勢で。
 手の指には何か絡まっていた。
 誰かの手製の守り袋である。

「誉さん」

 それに手を伸ばした時、突然勇与は動きを止めた。

「……」

 夕立ちのように涙があふれる。
 実感が急に襲ってきて、勇与は動けなくなった。 

 
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