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往生
匣
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自分はまた失敗した。
誉はすぐにそう思った。
「匣は遣れません」
そう言うと、高泰は誉の方へ膝を詰めた。
「あの匣は俺の願いをかなえてくれる妖怪が入っている。
そうなんだろう?
誉は昔から欲がまるでない。
誉が持っているより俺が持っている方がいいよな。
第一が、おまえは元来怖がりだし」
高泰は言葉を重ねて、誉の左腕を掴んだ。
誉は振りほどこうと腕を揺すった。
「あれは実藤の当主が継いでいくものです。
壊れるまで、誰にも渡してはならぬものです」
離れない高泰の手に苛立った。
「ましてや使おうなどと考えてはいけないものですよ」
振りほどくのを諦めて、まずは兄の目を覗き込んだ。
「願いならば、自力で叶えるべきです」
あと数年で四十になる高泰に、それはつらい言葉だったようだ。
「俺はもう自力でやる時間はないよ」
眦がへなへなと下がる。
「若いころから年長の者は誰も俺の話に乗ってくれなかった。
そうしているうちにもうこの年だ。
やっと話を聞いてくれる信義が帰ってきたが、味方を得た時には年を食いすぎていた」
味方?
誉の心臓が大きく跳ね上がった。
何なのか自分でも分からないままぐっと胸を掴んだ。
「それはね、高泰さん」
眉を歪めて兄を見下ろした。
「あなたが人の拵えた土俵でばかり戦っているからです。
自分で稼ぎ出した資金で、自分の商売を一つでもやって見せていたら、話を聞きました」
「それは誉だって同じだろう」
高泰が声を大きくした。
円明がはらはらとそれを見た。
「違いますよ」
右手で高泰の手首をつかみ、誉は言った。
「わたしは乾物屋を任されるとき、両親から店を買いました。
きちんと、土地の売買に詳しいものを間に入れて、他人のように。
駅近くに土地や空き家が出たら買う手筈で。
ゆくゆくはこの家と切り離すつもりでした」
高泰さんは、と言った時の誉の顔は笑っていた。
「高泰さんはどのようにか考えておられましたか?
自分で事業をやる算段を若いうちから練られておりましたか?」
その引き攣れた顔は、受け取りようによっては馬鹿にされたと取られても仕方なかった。
なぜそのような態度をとったのか。
普段の誉は決してしないことだった。
怒っていたのだ。
後から考えればそうだ。
その時誉は怒っていた。
「どこから匣の中身を聞いたのですか?」
誉が聞くと、お前の父だ、と高泰は答えた。
「和佳の嫁入りの時、代々伝わる匣の話をした。
恐ろしい妖怪が封印されていると話した。
そういうものを嫁ぎ先に持ち込まなくて済んでよかったと言ってた。
しかし俺は、話を聞いた時、得たいと思った」
「自分の孫の代には家がつぶれるのですよ」
「俺の代は栄えるんだろう?」
高泰の目に狂気じみたものを見て、誉は息を呑んだ。
ここまで思い込むほど気がつかないでいた自分を呪った。
「姉を不幸にするようなことはできません」
顔をそらして拒んだ。
なおも何か言い募ろうとする高泰を、信義が止めた。
「匣の在り処だけ聞きだせよ。
俺は触ればわかるから」
酒を注ごうとしたのか、徳利の首を掴んだ。
その爪の際が妙に青く汚れているのに誉は目を留めた。
それが一瞬長すぎたのだろう。
信義と目が合った。
「…誉は勘が良いんだな、本当に」
そう言うと、手にした徳利で誉のこめかみを打った。
高泰に腕を掴まれたまま倒れる。
「信義っ、誉は味方にしておいた方がいいんだ」
慌てて高泰が叫んだ。
「もう知られた。遅い」
信義は怒鳴り返すと高泰を押しのけた。
誉の胸の上に膝を立てて乗ると、鼻を押さえて徳利を口の中へ押し込んだ。
「こいつ酒に弱いって言ってたな。
どのくらいの下戸なんだ」
息を吸おうとする毎に酒が流れ込んできて、誉は暴れた。
「明則、足を押さえろ」
誉に高泰が蹴飛ばされるのを見て叫ぶ。
そう言う自らも横に薙ぎ払われて転がった。
逃げようと身を起しかけた誉を潰したのは高泰だった。
円明もすぐに足を取り押さえた。
「誉、匣はどこだ」
急ぎ高泰が聞いた。
誉は首を横に振った。
「あの人が、毒をわざと…」
言いかけた誉はまた鼻を塞がれた。
容れ物の中の酒がなくなるまで、信義は許さなかった。
「誉は一口で倒れる。そんなにしたら死んでしまう」
高泰はそうは言うものの誉を捕まえたままだった。
「誉、早く匣の隠し場所を教えてくれ」
落ちた意識を呼び戻そうと頬をはたいた。
誉は浅く息をしながらその襟元を掴んだ。
「匣は、やれません」
信義がどこかを探す荒い音が聞こえた。
「家を壊すな。何かあったと知られる」
高泰が注意した。
誉は指に何かが引っかかったのを感じた。
目は開かず、頭はどんどん重くなっていった。
誉はすぐにそう思った。
「匣は遣れません」
そう言うと、高泰は誉の方へ膝を詰めた。
「あの匣は俺の願いをかなえてくれる妖怪が入っている。
そうなんだろう?
誉は昔から欲がまるでない。
誉が持っているより俺が持っている方がいいよな。
第一が、おまえは元来怖がりだし」
高泰は言葉を重ねて、誉の左腕を掴んだ。
誉は振りほどこうと腕を揺すった。
「あれは実藤の当主が継いでいくものです。
壊れるまで、誰にも渡してはならぬものです」
離れない高泰の手に苛立った。
「ましてや使おうなどと考えてはいけないものですよ」
振りほどくのを諦めて、まずは兄の目を覗き込んだ。
「願いならば、自力で叶えるべきです」
あと数年で四十になる高泰に、それはつらい言葉だったようだ。
「俺はもう自力でやる時間はないよ」
眦がへなへなと下がる。
「若いころから年長の者は誰も俺の話に乗ってくれなかった。
そうしているうちにもうこの年だ。
やっと話を聞いてくれる信義が帰ってきたが、味方を得た時には年を食いすぎていた」
味方?
誉の心臓が大きく跳ね上がった。
何なのか自分でも分からないままぐっと胸を掴んだ。
「それはね、高泰さん」
眉を歪めて兄を見下ろした。
「あなたが人の拵えた土俵でばかり戦っているからです。
自分で稼ぎ出した資金で、自分の商売を一つでもやって見せていたら、話を聞きました」
「それは誉だって同じだろう」
高泰が声を大きくした。
円明がはらはらとそれを見た。
「違いますよ」
右手で高泰の手首をつかみ、誉は言った。
「わたしは乾物屋を任されるとき、両親から店を買いました。
きちんと、土地の売買に詳しいものを間に入れて、他人のように。
駅近くに土地や空き家が出たら買う手筈で。
ゆくゆくはこの家と切り離すつもりでした」
高泰さんは、と言った時の誉の顔は笑っていた。
「高泰さんはどのようにか考えておられましたか?
自分で事業をやる算段を若いうちから練られておりましたか?」
その引き攣れた顔は、受け取りようによっては馬鹿にされたと取られても仕方なかった。
なぜそのような態度をとったのか。
普段の誉は決してしないことだった。
怒っていたのだ。
後から考えればそうだ。
その時誉は怒っていた。
「どこから匣の中身を聞いたのですか?」
誉が聞くと、お前の父だ、と高泰は答えた。
「和佳の嫁入りの時、代々伝わる匣の話をした。
恐ろしい妖怪が封印されていると話した。
そういうものを嫁ぎ先に持ち込まなくて済んでよかったと言ってた。
しかし俺は、話を聞いた時、得たいと思った」
「自分の孫の代には家がつぶれるのですよ」
「俺の代は栄えるんだろう?」
高泰の目に狂気じみたものを見て、誉は息を呑んだ。
ここまで思い込むほど気がつかないでいた自分を呪った。
「姉を不幸にするようなことはできません」
顔をそらして拒んだ。
なおも何か言い募ろうとする高泰を、信義が止めた。
「匣の在り処だけ聞きだせよ。
俺は触ればわかるから」
酒を注ごうとしたのか、徳利の首を掴んだ。
その爪の際が妙に青く汚れているのに誉は目を留めた。
それが一瞬長すぎたのだろう。
信義と目が合った。
「…誉は勘が良いんだな、本当に」
そう言うと、手にした徳利で誉のこめかみを打った。
高泰に腕を掴まれたまま倒れる。
「信義っ、誉は味方にしておいた方がいいんだ」
慌てて高泰が叫んだ。
「もう知られた。遅い」
信義は怒鳴り返すと高泰を押しのけた。
誉の胸の上に膝を立てて乗ると、鼻を押さえて徳利を口の中へ押し込んだ。
「こいつ酒に弱いって言ってたな。
どのくらいの下戸なんだ」
息を吸おうとする毎に酒が流れ込んできて、誉は暴れた。
「明則、足を押さえろ」
誉に高泰が蹴飛ばされるのを見て叫ぶ。
そう言う自らも横に薙ぎ払われて転がった。
逃げようと身を起しかけた誉を潰したのは高泰だった。
円明もすぐに足を取り押さえた。
「誉、匣はどこだ」
急ぎ高泰が聞いた。
誉は首を横に振った。
「あの人が、毒をわざと…」
言いかけた誉はまた鼻を塞がれた。
容れ物の中の酒がなくなるまで、信義は許さなかった。
「誉は一口で倒れる。そんなにしたら死んでしまう」
高泰はそうは言うものの誉を捕まえたままだった。
「誉、早く匣の隠し場所を教えてくれ」
落ちた意識を呼び戻そうと頬をはたいた。
誉は浅く息をしながらその襟元を掴んだ。
「匣は、やれません」
信義がどこかを探す荒い音が聞こえた。
「家を壊すな。何かあったと知られる」
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