端木 子恭

文字の大きさ
上 下
15 / 26
往生

あのとき

しおりを挟む
 結局、真面目は損であっただろうか。

 誉は死んでからそんなことを感じていた。
 自分を制していれば、家族は安寧を手に入れられる。
 それは間違いだっただろうか。

 延井家とは、同じ村の商家として付き合いがあった。
 延井の長男、高泰は13歳上で、気が付けばなんでも話せる兄だった。

「誉は背が高いな。将来頼れる人になりそうだ」

 小学校に通い出したばかりの誉は、仕入れに行く高泰によく送られた。
 高泰に背を褒められると、その時だけは人より目線の高いのが好きになった。

 気の優しい誉はふだん、背が高いことで損ばかりしている。

 かけっこなど外遊びは嫌いで、座学を好んでする。
 喧嘩を吹っ掛けられても乗らない。
 誰に躾けられたわけでもないのに姉よりお辞儀のきれいな誉。

 同級生からも教師からも、もっと男らしく元気よくと言われた。

 中学に上がり、姉と高泰との縁談話が持ち上がった。
 誉は嬉しかった。

 実藤家では知り合いの廃業の際に工場の経営を任されて忙しい時期であった。
 高泰は嫁の実家もよく手伝ってくれた。

「誉、誉はどう思う?」

 ある日、学校帰りに行き会った高泰は実藤家までの道のりに問うてきた。

「工場のことだ。
 外国へ向けた生糸の生産は今はもうかっているが。
 ここらで機械工場に移していった方がより儲かるぞ」
「機械とは、どのようなものを生産するのですか」

 誉ももうこの頃には実家を手伝っていて、商売の話などについていくようになっていた。

「飛行機や、銃などの部品だ」

 高泰は目を輝かせて話した。

「軍を相手に商売すれば、貸し倒れの心配もせずに済むだろう。
 これから日本はもっと戦争に行く。
 作れば作るだけ売れるんだぞ」

 誉はにこにこしながら聞いていた。
 聞いているだけで何も言わなかった。
 戦争で儲ける、という発想が怖かった。

「誉は何も言わないときは反対なんだろう」

 高泰は憮然となって言った。

「意気地がないんだよな、誉は」

 高泰に言われると、どうしようもなく悲しかった。
 けれど誉は自分の意見を曲げることはなかった。

「俺が先にやってやるよ。
 誉はそれを見て俺の味方に付く気になったら、一緒にやろう」
「そうですね」

 誉は一言答えた。

 高泰はよく「俺が」という。
 親のいないときだけだが、「俺が」やってやる。

 けれどこの頃には誉は気づいていた。
 高泰は己で何事も成していない。

 親の店を手伝い、舅の工場を手伝っている。
 俺がやる権利など有していないのに。

 けれどそれは誉だってそうだから何も言わなかった。
 
 それ以外は相変わらず良い兄で、誉を仕入れに伴ったりしてくれた。

 いつの間にか誉は高泰の背を追い抜いていた。
 それまで和装のおさがりをもらっていたが、誉は洋装を身に着けるようになっていた。



「誉は二重廻しがよく似合うな」

 二十歳の時、高泰にそう言われた。
 冬の日は好んで着用していたコートを褒められた。
 仕入れのために駅まで向かっているところだった。

「高泰さんも駅まで?」

 そう尋ねると、和装の兄は頷いた。

「幼馴染が帰ってくるというので、迎えに行くんだよ」
「そうですか」

 誉の勘がざわめいた。

「なあ、誉」

 駅まで歩く間、高泰は言った。

「やっぱり機械工場に転換して軍の発注を受けられるようにお前からも話してくれないかな」

 先の戦争で儲け損ねたと、高泰はひどく悔しがっている。

「親にですか?」

 いまだ店の経営を任されない兄を、誉は静かに見た。
 誉の方はもう乾物屋の店主として店を取り仕切っていた。
 親は工場の運営に注力している。

 誉の親も高泰の親も、工場への設備投資や機械への転換には慎重だった。
 資金に余裕があるとはいえない。
 製造の実績もない。
 軍を相手に確実に取引が継続されるという保証もない。
 
 高泰がなぜそんなに楽観できるのか理解しかねていた。

 答えない誉に、高泰は相変わらずむっとした顔を見せた。
 それを見下ろして、誉は小首を傾げた。

「わたしはね、兄さん」

 駅舎の中の暖かい空気を浴びながら言う。

「戦争の最中にもうけるというのが、怖いのです。
 何せ意気地なしです。

 生糸だっていいじゃありませんか。
 外国のご婦人方が手に取って喜んでくれるなら。

 ひとを殺すのに手を貸してもうけるのは怖いんです」

 それを聞いた高泰は鼻を鳴らした。

「そんな清いことばかり言って、世の中渡っていけないよ」
「けれど今は、渡っておりますよ。
 わたしは十分です」

 誉は身をひるがえすとホームへ入っていった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

婚約破棄からの断罪カウンター

F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。 理論ではなく力押しのカウンター攻撃 効果は抜群か…? (すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】平民聖女の愛と夢

ここ
ファンタジー
ソフィは小さな村で暮らしていた。特技は治癒魔法。ところが、村人のマークの命を救えなかったことにより、村全体から、無視されるようになった。食料もない、お金もない、ソフィは仕方なく旅立った。冒険の旅に。

処理中です...