端木 子恭

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往生

あのとき

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 結局、真面目は損であっただろうか。

 誉は死んでからそんなことを感じていた。
 自分を制していれば、家族は安寧を手に入れられる。
 それは間違いだっただろうか。

 延井家とは、同じ村の商家として付き合いがあった。
 延井の長男、高泰は13歳上で、気が付けばなんでも話せる兄だった。

「誉は背が高いな。将来頼れる人になりそうだ」

 小学校に通い出したばかりの誉は、仕入れに行く高泰によく送られた。
 高泰に背を褒められると、その時だけは人より目線の高いのが好きになった。

 気の優しい誉はふだん、背が高いことで損ばかりしている。

 かけっこなど外遊びは嫌いで、座学を好んでする。
 喧嘩を吹っ掛けられても乗らない。
 誰に躾けられたわけでもないのに姉よりお辞儀のきれいな誉。

 同級生からも教師からも、もっと男らしく元気よくと言われた。

 中学に上がり、姉と高泰との縁談話が持ち上がった。
 誉は嬉しかった。

 実藤家では知り合いの廃業の際に工場の経営を任されて忙しい時期であった。
 高泰は嫁の実家もよく手伝ってくれた。

「誉、誉はどう思う?」

 ある日、学校帰りに行き会った高泰は実藤家までの道のりに問うてきた。

「工場のことだ。
 外国へ向けた生糸の生産は今はもうかっているが。
 ここらで機械工場に移していった方がより儲かるぞ」
「機械とは、どのようなものを生産するのですか」

 誉ももうこの頃には実家を手伝っていて、商売の話などについていくようになっていた。

「飛行機や、銃などの部品だ」

 高泰は目を輝かせて話した。

「軍を相手に商売すれば、貸し倒れの心配もせずに済むだろう。
 これから日本はもっと戦争に行く。
 作れば作るだけ売れるんだぞ」

 誉はにこにこしながら聞いていた。
 聞いているだけで何も言わなかった。
 戦争で儲ける、という発想が怖かった。

「誉は何も言わないときは反対なんだろう」

 高泰は憮然となって言った。

「意気地がないんだよな、誉は」

 高泰に言われると、どうしようもなく悲しかった。
 けれど誉は自分の意見を曲げることはなかった。

「俺が先にやってやるよ。
 誉はそれを見て俺の味方に付く気になったら、一緒にやろう」
「そうですね」

 誉は一言答えた。

 高泰はよく「俺が」という。
 親のいないときだけだが、「俺が」やってやる。

 けれどこの頃には誉は気づいていた。
 高泰は己で何事も成していない。

 親の店を手伝い、舅の工場を手伝っている。
 俺がやる権利など有していないのに。

 けれどそれは誉だってそうだから何も言わなかった。
 
 それ以外は相変わらず良い兄で、誉を仕入れに伴ったりしてくれた。

 いつの間にか誉は高泰の背を追い抜いていた。
 それまで和装のおさがりをもらっていたが、誉は洋装を身に着けるようになっていた。



「誉は二重廻しがよく似合うな」

 二十歳の時、高泰にそう言われた。
 冬の日は好んで着用していたコートを褒められた。
 仕入れのために駅まで向かっているところだった。

「高泰さんも駅まで?」

 そう尋ねると、和装の兄は頷いた。

「幼馴染が帰ってくるというので、迎えに行くんだよ」
「そうですか」

 誉の勘がざわめいた。

「なあ、誉」

 駅まで歩く間、高泰は言った。

「やっぱり機械工場に転換して軍の発注を受けられるようにお前からも話してくれないかな」

 先の戦争で儲け損ねたと、高泰はひどく悔しがっている。

「親にですか?」

 いまだ店の経営を任されない兄を、誉は静かに見た。
 誉の方はもう乾物屋の店主として店を取り仕切っていた。
 親は工場の運営に注力している。

 誉の親も高泰の親も、工場への設備投資や機械への転換には慎重だった。
 資金に余裕があるとはいえない。
 製造の実績もない。
 軍を相手に確実に取引が継続されるという保証もない。
 
 高泰がなぜそんなに楽観できるのか理解しかねていた。

 答えない誉に、高泰は相変わらずむっとした顔を見せた。
 それを見下ろして、誉は小首を傾げた。

「わたしはね、兄さん」

 駅舎の中の暖かい空気を浴びながら言う。

「戦争の最中にもうけるというのが、怖いのです。
 何せ意気地なしです。

 生糸だっていいじゃありませんか。
 外国のご婦人方が手に取って喜んでくれるなら。

 ひとを殺すのに手を貸してもうけるのは怖いんです」

 それを聞いた高泰は鼻を鳴らした。

「そんな清いことばかり言って、世の中渡っていけないよ」
「けれど今は、渡っておりますよ。
 わたしは十分です」

 誉は身をひるがえすとホームへ入っていった。



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