端木 子恭

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不可思議

夕涼み

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 7月に入っていきなり暑い日になった。

「いい水辺知らない?」

 夜になって現れた誉にそう尋ねる海月がひとつ。
 
 床の上に転がっている勇与は汗が引かない頭を難儀そうに拭いている。

「今からかい? 暗くて足元が見えないのじゃないかな」
「今日は満月だから本だって読めますよ。
 蒸しててこのままじゃ死ぬ」
「…幽霊になんてこと言うのかな」

 呆れた顔を作ったが、誉はよしと言って庭へ下りた。

「川べりへ行こう」

 勇与が嬉しそうにぴょんと起き上がる。
 たらいのスイカと、水筒を二つ持った。

「誉さん、これ持って」

 スイカを差し出すと誉は受け取って両手に抱える。

「勇与は給金がこれなのかい?」
「そうです」

 ふふっと笑いあって表へ出た。

 細い土の道を少し歩く。
 勇与の杖を気にしながら誉は何度も振り返った。
 
「おぶろうか?」

 丸い石が転がる水辺へ出たところで誉が聞く。

「無用です。おれは小器用だし、腕の力も強いんです」

 冗談のように勇与は言った。

 誉は細身で、とても己を担げるとは思えない。
 実際勇与は丸い石の転がる足場を器用に歩いた。
 石の間に水筒を挟んで置く。
 自分は裸足になって川の中へ入っていった。

「わあ、やっぱり冷たい。山の水だ」

 気持ちよさそうに声を上げる。
 もとから裸足であった誉はスイカを水筒の近くに置いて川面を見つめた。

「誉さんは暑いとか冷たいとかの感覚はないのか?」

 水をすくい上げながら勇与が尋ねる。

「ないね」

 足先をそっと水に差しいれて誉は答えた。

「こうしていると、生き返ったみたいなのに」
「おれは生き返った」

 あはは、と笑う勇与につられて誉が笑う。
 勇与はスイカの所へ行くと、石の上に打ちつけて割った。
 誉に大きな塊を差し出す。
 自分は皮のない所を掴んでかじった。

「勇与はどうして軍に入ろうと思ったんだ?」

 スイカを手に持って、誉が聞く。

「冒険に出たくて」

 勇与はまた子どものようなことを言った。

「おれはね、小さいころから大英帝国のクック船長の話が好きで。
 …ご存じですか?誉さん」
「いいや」

 誉は首を横にふる。

「百年少々前に海軍にいた人です。
 新しい島をたくさん見つけて。
 ハワイ島を見つけたのもその人です」

 話して聞かせることが嬉しそうに勇与は言った。
 
「彼のように自ら海図を作りながら、まだ知らない島を見つけて海を行く。
 そんなことがしてみたくて。
 
 この国にはそんな余裕はねえんだという事は、学校に入ってから知りました。
 けど、長くいればいつかそんな命令も下るかもしれないでしょう?」
 
 ずいぶんのん気な理由でこの人は軍に入ったらしい。

「楽しそうだ」

 誉は言った。

「勇与の性分に合っていそうだね。
 言葉も通じない人たちとでもすぐ友達になれそうだ。
 何せ幽霊と何日もつるんでいる」
「誉さんは言葉の通じる幽霊でしょう」

 そうして笑った後、勇与は付け加える。

「機械が得意ってのも少しはありますよ」
「戦争に行ったことは?」
「まだありません。
 もう行かないかもしれませんね」
「それがいいよ」

 明治の頃の人とは思えないことを誉は言った。

「よその人が住んでる土地が良さそうだからって奪って何になる」
「おれも本当はそう思います。
 だからおれに怪我させた者を恨む気になれない」

 勇与は内緒ですけどね、と小声になる。

「新しい島を見つけて、そこにさっさと名前を付ける。
 誰も住んでいない島に勝手に町を開く分には構わないでしょう。
 おれはそういう任務なら進んでやりたい」

 勇与には敵はいないらしい。

「勇与は考えの筋が明快だね」

 いつのまにか誉の手に持っているスイカは赤い部分がなくなっていた。
 勇与がそれを見て「あ」と言う。

「誉さんの食べているところ、本当に分からねえ」
「幽霊なのでね」

 白くなった皮を藪の中へ放った。

「…わたしは、冒険ではないのだが、この土地を出たいものだと思っていたな」

 水際に近づく。

「本当は姉さんが家を継いでくれたらいいなと思っていた。
 なぜ女子は家督を継がないんだ?
 
 恐ろしくて言えなかったけれど、外国へ行ってみたかった。
 これからの商売が欧風になるなら、学んでみたいと思ったんだ」
「なぜ言うのが恐ろしかったんだ?」

 勇与がそばに来て聞いた。

「親の知らないことをしたいと言い出したら、間違いなく気が触れたと思われる。
 わたしの親はいい人だが、知らないことには恐怖するたちでね。
 家業を継いでくれると期待している長男が出て行くと言い出したらきっと狂乱したよ」
「大げさだなあ。
 誉さんはちょっとまじめすぎないか?」

 勇与が笑うのに寸の間ふくれ面を見せた後、誉は「そうかもね」と言う。

「そんなこんなで真面目に過ごしているうちに姉さんは嫁いでしまった。
 反抗する機会を失ったんだな」
「今からでも遅くない。
 もし外国に行きたかったら俺が小箱を船に乗せますよ」

 勇与は頭を水に潜らせてずぶぬれにしながら提案した。

「君はわたしがこのままで過ごしてほしいのかい?」

 誉は苦笑する。
 勇与は気づいたようにそうだな、と言った。

「早く成仏するか」

 にこにことして頷く。
 
 勇与のように明快に生きられたら。

 誉はちょっとうらやましいような心持で相手を見た。
 

 

 
 
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