端木 子恭

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居候

探しもの

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 2、3日雨が降り続いた。

 山が煙り、木々の色は深く深く落ちていく。
 こんな雨の中でも枝の間には栗鼠のような小さい獣の気配があった。
 
 どんよりとした空はいつまでも開けない。
 勇与ゆうやは言われた通り火を焚いてゆっくり過ごすほかなかった。

 あれからほまれは姿を見せていない。
 おかげで酒は尽きかけ、体力は余していた。
 
 寺から戻った日の夜に一度、夢の中で誉に会っている。
 またあの美しい所作で深々と礼をしていた。
 朝になって握っておいた飯がなくなっていたので本当に会ったのかもしれない。
 あるいは勇与が休めなくてはいけないからと夢に現れたのか。

 しばらく落ち着いて過ごす彼を見て、世話人はほっとしているようだった。
 幽霊に関わって祟られたら怖い。
 勇与がまた何か閃かないうちに素早く責務を終えて帰っていった。
 
「誉さん、雨の日は出られないのか?」

 小さく問う。

 日が暮れていよいよ雨はひどくなってくる。
 雨戸を閉めているので縁側はしばらく出ていなかった。

 縁側?

 勇与はふと思い至って雨戸を一寸開けてみる。

「誉さん?」

 透けているが、雨の中縁側に座って空を見つめている誉がいた。
 勇与と目が合うとにっこりと笑う。

「何してるんですか。
 まさかこの3日ばかりそうしてたのか?」

 若干戸惑いながら勇与は確認した。

「そうかもしれない」

 とんでもないことを何でもないように言う。

「自分の家でしょう。堂々と上がってください」

 水を取りに土間へ向かいながら勇与が言った。
 ついでに竹の水筒も手に持って行く。
 1杯ずつ酒を取りに行くのが面倒だったので水筒に汲んでくることにしていた。

「遠慮していたわけではないよ」

 そう言いながら、誉は囲炉裏の傍にやって来る。

 勇与は今日食べ損ねていた団子の入った櫃を脇に挟んだ。
 酒の入った竹筒と、誉のためのコップを持つとなかなか大荷物である。

「考え事ですか?」

 荷を囲炉裏の脇に下ろして尋ねた。
 誉はそうだと答える。

「一緒に考えますよ。
 何か思い出したりしましたか」

 誉はその質問には答えなかった。
 代わりに幼げな印象を与えるその目を向けて笑う。

 雨戸を閉め直し、勇与は誉のそばに座った。

「…これ」

 袴の帯に挟んでいた早道から小箱を取り出す。

「まだお見せしておりませんでしたよね。
 探していたのはこれに間違いありませんか」

 床の上に置かれたそれを、誉はじっと見た。
 透ける指が輪郭をなぞる。

「そう。これを探していた。
 ありがとう、勇与」

 夢とは異なり、誉は顔を上げて微笑むと礼を述べた。

「どこに隠しておけばいいか、誉さんに聞こうと思っていた」

 勇与の言葉に誉は少し考えるように頭を傾げる。

「この数日のように、君の早道に入れて持って歩いてくれないか」
「分かりました」

 そう答えておいて、勇与ははたと気づいた。

「おれが持ち歩いていたこと、知ってるんですね」

 誉は気まずそうに頬を赤くする。

「実は今、この匣に封印されているのはわたしでね」
「はい?」

 小箱を手に取っていた勇与はその言葉に眉をしかめた。
 その気がかりをこの3日考え続けていたのか。

「どうも、よく分からないがそうなんだ。
 中にいた妖怪と入れ替わっている」
「その妖怪は、ではどうなったんです?」

 見たところ割れも欠けもない。
 この小さな箱に人がいる?

「恐らくだが、延井家にいるだろう。
 家の娘にとりつく妖怪だと伝わっている。
 取りつかれた人のいる家は、しばらくは急激に繁栄する」
「では取りついても害はないのか?」
「しばらく後、その妖怪が出て行く時、家は滅ぶ。

 わたしの先祖は、そういうものを嫁にもらってしまったんだ。
 話を聞いてくれた霊媒師に頼んで、この匣に封じてもらった。

 そのまま匣を壊すはずが、木の箱は割れなかった。
 それで代々守られてきた」
「箱を壊せたらどうなったんだ?」

 勇与が聞くと、誉はふふっと笑った。

「中に入っている者は消滅する」

 急に責任が増してくる。

「そんな大変なものを俺が持ち歩いていいのか。
 ならこれは今、誉さんの生命線だろう」

 いやあ、と誉は微妙な顔をした。

「この世にいても何もできないからねえ。
 消えてしまった方がさっぱりするのかもしれないよ。

 差し当たり、勇与の食糧を取って食うくらいしか遊びはないし」

「冗談を言ってますよね?」

 勇与の眉がちょっとだけ寄る。

 自分なら、己の不可解な死など受け入れられない。
 妖怪の封じられていた匣に今自分が入っていたとしたら。
 それは誰かが押し込めたということだ。
 
 ところが目の前の人は目を伏せている。
 何かを頭から消し去ろうとしているようだ。
 
 けれど時折、その栗色の瞳の裏に痛みが走る。 

「些か本気」

 誉は本音を隠すような笑い方をした。
 勇与の指がすっと上がる。

「ほら。ひとりで考えつくことなんかろくでもねえよ」

 ぴしりと誉の鼻先を捉えた。

「生来、気楽はおれの特技だ。
 誉さんがこれからどうするか、一緒に考えよう」

 誉は笑みをしまって囲炉裏に視線をそらす。
 
「誉さんの覚えている限りじゃ、延井家とはうまく付き合えてたんですか?」
「そう思う」
 
 勇与の質問に誉は頷いた。

「同じ商売をやっている家同士だったので親の代から長く付き合っていた。

 長男の高泰さんとわたしは13才 年が離れていてね。
 ずうっと村の兄さんだったよ。
 わたしが家を手伝うようになってからは何かと世話してくれたな」

 ただ、と言った誉の瞳に影が差す。

「わたしと高泰さんは運営に関して意見が逆だった。
 高泰さんはなんというか…、自信家のような一面もあったんだ。
 
 それも、村というより自分、自分を大きくしたいという…。
 普段はそんな顔は微塵も見せないのだが。
 子ども同士で話しているときなどはそういう態度をとることがあった。

 姉さんが嫁いでからすぐだったかな。
 工場のことでも紡績はもうやめ時だと言い出したことがあった。
 モーターとか、軍で使う部品を作ろうとしていてね。

 それは父が嫌がって断った」

 団子が割合に早くなくなっていった。
 勇与はそれを見て、この人ほんとによく食べるな、と思う。

 それは誉も似たようなことを思っていた。
 勇与は本当によく飲むな、と手元を見る。

「高泰さんの父上も工場の刷新には慎重だった。
 工場を大きくすれば、村によそ者が増えるからね。
 いざこざが面倒だったんだろう。
 だからそのことでうちと仲が悪くなるということでもなかったよ」

 勇与の手が小箱の彫り模様をなぞった。
 亀甲紋が描かれている。

「匣の使い方は、誰が知っていたんです?」
「父とわたしだけだ。姉は詳しく知らないはず」
「おれが聞いても構わない?」

 その問いに誉はしばし逡巡した。
 
 ある時期に高泰がやたらと興味を示したことを思い出す。
 いつも人相の悪い友人と一緒に話を聞きにきた。
 誉はいつの間にか彼らと顔を合わさないように気を付けて過ごした。

「秘密なら秘密と言えばいい」

 視線を落としていた誉の前に勇与の顔が現れる。
 そんなに深刻な様子だったろうか。
 初め心配そうだった勇与の表情は、次に上目のまま笑った。

「誉さんの心残りとは関わりないことだしな」

 背を戻して自分も団子をかじる。
 誉は申し訳なさそうに息を吐いた。

「高泰さんに箱の使い方を聞かれたことがあったと思いだしていたんだ。 
 彼というより、その居候の人かな。
 明かせぬし遣れぬというのをしつこく聞いてきた。
 高泰さんの同級で、信義という人だ。
 子どもの頃に不祥事を起こして村を出たんだが、戻ってきて延井家に居ついた」

 寺の住職と同じ頃か、と考えた勇与に、誉は続けた。

「中学の時に無量寺から金を盗んだそうだ。
 賽銭でなく、布施などのまとまったものを」

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