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居候
おじゃまします
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ふわり、ふわり。
気の早い蛍が舞っている。
勇与は杖をつきながら、案内人の背を追っていた。
示されたのは山際の大きな屋敷である。
いまだ誰かが世話しているようだ。
外から見た限り、傷んだ様子はない。
隣には田んぼが広がっている。
カエルの声がものすごかった。
案内人は通用口の前で勇与に弁当を渡すと、そそくさと帰っていく。
幽霊の噂はすっかり定着していた。
家の中には電球の灯りが見える。
「おじゃまいたします」
中に声をかけて門をくぐった。
どうせ幽霊が出るのは夜だからと、勇与はのんびりやってきている。
水がめの水はきれいなのに替えた。
薪も新しいものを運んである。
囲炉裏も確認済みだ。
寒い日もあるから、ふとんは多めにして敷いてある。
土間に酒の樽を運んでおいた。
今日はたらいに梨を入れてある。
案内人から受けた説明通り、家の中は整えられていた。
おれは、いったい何日いる予定を組まれている。
大きな水がめと酒樽に苦笑した。
商家だったようで、番台が脇にあった。
土間は広い。
商品棚などが陳列されていたのだろう。
左手に進むと縁側であった。
梨を二つ手に取って、勇与は囲炉裏の縁に置く。
洋服を脱いで袴に替えた。
囲炉裏に小さく火をいれる。
弁当箱に入っていた団子と梨を取り替えた。
縁側に梨を入れた弁当箱を置いておいて、土間に戻る。
竹のコップがあったので、それに樽から酒をもらった。
縁側に持って行こうと振り返った勇与は足を止める。
人の気配があった。
土間を探してもうひとつコップを見つけると、水がめの水を汲む。
器用に右手に2つ持ち、杖をついてゆっくり縁側に辿り着いた。
「おじゃましております」
そう声をかけると、弁当箱の傍らに座って空を見ていたその人は勇与を向く。
「お互いにどちら様ですね」
幽霊には見えない相手に勇与は笑いかけた。
もっとおどろおどろしい登場をされるかと思っていたが。
「梨、よかったら一緒にいかがですか。
ひと様の家で勝手しておいてなんですが、こちらもお好きな方をどうぞ」
コップを縁側に置く。
洋装のその人は、水の入った方を指して笑った。
穏やかそうな顔をしている。
どんぐりみたいな色の目だな。
勇与はそんな風に思った。
二重の大きな目で勇与を見上げている。
木原から聞いていた通り、年は近そうだが、たぶん勇与より若い。
杖を外し腰を下ろそうとして態勢を崩した。
大きな音を立てて板の上に落ちた勇与は、その人の手が自分の腹にささっているのを見た。
「本当に幽霊だ」
勇与は無遠慮にじろじろ見つめる。
幽霊の方が恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「おれはここの幽霊さんと話をしてくれと頼まれてきました。
徳地勇与と申します。
しばらく暮らして構いませんか」
縁側から、幽霊と同じように足を投げ出して聞く。
「…わたしは」
静かな声で幽霊が話した。
「この家の者でした。
実藤誉です。
君が幽霊つきで気に障らないのであれば、どうぞ暮らしてください」
ふふふ、と、お互いに含みあって笑う。
いい人そうだ。
ちゃんと口もきける。
お互いにそんなことを考えた。
いつどうやって飲んだのか、コップから水が減っている。
「君は足をどうしたんだ?
動かないようだけれど」
無遠慮を返すように誉は尋ねた。
「任務で。…おれは先だってまで海軍におりました。
暴動から住民を退避させようとしていたおり、暴徒に捕まりまして」
勇与の瞳の裏に、襟首をつかんで陸地に引き戻された感触がよみがえる。
あっという間に取り囲まれた。
10人ほどいたか。
えものの間からタラップが引き上げられていくのが見えた。
必死に掴んでよじ登ったが、その時には右足が動かなくなっていたのである。
「怖い思いをしたのだね」
今度は梨が減っている。
「足以外の傷は治りました。幸いです」
自分も梨をもらった。
「誉さんはいつからこうして幽霊をしてるんです?」
おかしな質問に自分で少し笑ってしまう。
勇与はがりがりと梨を食べた。
「さあ、いつだろうね」
彼はまた曇り空を見上げると首を傾げる。
「死んだときのことが思い出せなくて。
姉さんが一人いたんだ。彼女が生きていれば話を聞けると思ったんだが。
…何せここに来る人来る人話ができない者ばかりだ」
来訪者の歴々を思い返し、誉は苦笑した。
勇与が肩を揺らして笑う。
「最初の人は、死体のように倒れてる誉さんを見たって聞いたが。
何だってそんな怖い出方をしたんですか」
「…わからないが、具合が悪かったんだ」
真面目に答える幽霊に、勇与は腹を押さえた。
あまり笑ってはいけないと思いつつ、幽霊がどうして具合を悪くするのかとおかしくてたまらない。
誉はむっと口を尖らせていた。
「人っぽいんですね。誉さん」
自分の分のコップを手に取り、飲みながら質問する。
「お祓いは効かなかったんですか?
…お祓いってなんなんですかね。
あれで消えちまう感じがしました?」
「なかったねえ」
誉は思い出すように右手を頬にあてる。
「供養は?成仏したくなるはずじゃないんですか?」
そのために世俗の者は結構な額を払っているのだ。
「元から透けていたようだし、とくには変化なかったねえ」
もう布施を出すのはやめるよう親に進言すると決める。
「では誉さんはなぜ化けて出ているんです」
勇与は早くも一杯目を飲み尽くしながら聞いた。
それを驚いたような表情で見ながら誉はさあ、と応じる。
そしてこちらも不思議そうに尋ねた。
「君はなぜここに頼まれたんだ?」
「予備役で何もすることがないので目を付けられました。
誉さんの話を聞いて成仏を手伝えと」
あけすけな物言いに誉は吹き出す。
勇与も笑った。
「思いがけず誉さんも受け入れてくださったのでこの上ないです。
おっかねえ幽霊ならちょっと困ったが」
困るだけか。
元から勇与は幽霊がいなくなるまでいるつもりで来たのだ。
ここに来た軍人の中でこの人が一番真摯かもしれない。
誉は、自分よりいくつか年上に見える相手を見つめた。
気の早い蛍が舞っている。
勇与は杖をつきながら、案内人の背を追っていた。
示されたのは山際の大きな屋敷である。
いまだ誰かが世話しているようだ。
外から見た限り、傷んだ様子はない。
隣には田んぼが広がっている。
カエルの声がものすごかった。
案内人は通用口の前で勇与に弁当を渡すと、そそくさと帰っていく。
幽霊の噂はすっかり定着していた。
家の中には電球の灯りが見える。
「おじゃまいたします」
中に声をかけて門をくぐった。
どうせ幽霊が出るのは夜だからと、勇与はのんびりやってきている。
水がめの水はきれいなのに替えた。
薪も新しいものを運んである。
囲炉裏も確認済みだ。
寒い日もあるから、ふとんは多めにして敷いてある。
土間に酒の樽を運んでおいた。
今日はたらいに梨を入れてある。
案内人から受けた説明通り、家の中は整えられていた。
おれは、いったい何日いる予定を組まれている。
大きな水がめと酒樽に苦笑した。
商家だったようで、番台が脇にあった。
土間は広い。
商品棚などが陳列されていたのだろう。
左手に進むと縁側であった。
梨を二つ手に取って、勇与は囲炉裏の縁に置く。
洋服を脱いで袴に替えた。
囲炉裏に小さく火をいれる。
弁当箱に入っていた団子と梨を取り替えた。
縁側に梨を入れた弁当箱を置いておいて、土間に戻る。
竹のコップがあったので、それに樽から酒をもらった。
縁側に持って行こうと振り返った勇与は足を止める。
人の気配があった。
土間を探してもうひとつコップを見つけると、水がめの水を汲む。
器用に右手に2つ持ち、杖をついてゆっくり縁側に辿り着いた。
「おじゃましております」
そう声をかけると、弁当箱の傍らに座って空を見ていたその人は勇与を向く。
「お互いにどちら様ですね」
幽霊には見えない相手に勇与は笑いかけた。
もっとおどろおどろしい登場をされるかと思っていたが。
「梨、よかったら一緒にいかがですか。
ひと様の家で勝手しておいてなんですが、こちらもお好きな方をどうぞ」
コップを縁側に置く。
洋装のその人は、水の入った方を指して笑った。
穏やかそうな顔をしている。
どんぐりみたいな色の目だな。
勇与はそんな風に思った。
二重の大きな目で勇与を見上げている。
木原から聞いていた通り、年は近そうだが、たぶん勇与より若い。
杖を外し腰を下ろそうとして態勢を崩した。
大きな音を立てて板の上に落ちた勇与は、その人の手が自分の腹にささっているのを見た。
「本当に幽霊だ」
勇与は無遠慮にじろじろ見つめる。
幽霊の方が恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「おれはここの幽霊さんと話をしてくれと頼まれてきました。
徳地勇与と申します。
しばらく暮らして構いませんか」
縁側から、幽霊と同じように足を投げ出して聞く。
「…わたしは」
静かな声で幽霊が話した。
「この家の者でした。
実藤誉です。
君が幽霊つきで気に障らないのであれば、どうぞ暮らしてください」
ふふふ、と、お互いに含みあって笑う。
いい人そうだ。
ちゃんと口もきける。
お互いにそんなことを考えた。
いつどうやって飲んだのか、コップから水が減っている。
「君は足をどうしたんだ?
動かないようだけれど」
無遠慮を返すように誉は尋ねた。
「任務で。…おれは先だってまで海軍におりました。
暴動から住民を退避させようとしていたおり、暴徒に捕まりまして」
勇与の瞳の裏に、襟首をつかんで陸地に引き戻された感触がよみがえる。
あっという間に取り囲まれた。
10人ほどいたか。
えものの間からタラップが引き上げられていくのが見えた。
必死に掴んでよじ登ったが、その時には右足が動かなくなっていたのである。
「怖い思いをしたのだね」
今度は梨が減っている。
「足以外の傷は治りました。幸いです」
自分も梨をもらった。
「誉さんはいつからこうして幽霊をしてるんです?」
おかしな質問に自分で少し笑ってしまう。
勇与はがりがりと梨を食べた。
「さあ、いつだろうね」
彼はまた曇り空を見上げると首を傾げる。
「死んだときのことが思い出せなくて。
姉さんが一人いたんだ。彼女が生きていれば話を聞けると思ったんだが。
…何せここに来る人来る人話ができない者ばかりだ」
来訪者の歴々を思い返し、誉は苦笑した。
勇与が肩を揺らして笑う。
「最初の人は、死体のように倒れてる誉さんを見たって聞いたが。
何だってそんな怖い出方をしたんですか」
「…わからないが、具合が悪かったんだ」
真面目に答える幽霊に、勇与は腹を押さえた。
あまり笑ってはいけないと思いつつ、幽霊がどうして具合を悪くするのかとおかしくてたまらない。
誉はむっと口を尖らせていた。
「人っぽいんですね。誉さん」
自分の分のコップを手に取り、飲みながら質問する。
「お祓いは効かなかったんですか?
…お祓いってなんなんですかね。
あれで消えちまう感じがしました?」
「なかったねえ」
誉は思い出すように右手を頬にあてる。
「供養は?成仏したくなるはずじゃないんですか?」
そのために世俗の者は結構な額を払っているのだ。
「元から透けていたようだし、とくには変化なかったねえ」
もう布施を出すのはやめるよう親に進言すると決める。
「では誉さんはなぜ化けて出ているんです」
勇与は早くも一杯目を飲み尽くしながら聞いた。
それを驚いたような表情で見ながら誉はさあ、と応じる。
そしてこちらも不思議そうに尋ねた。
「君はなぜここに頼まれたんだ?」
「予備役で何もすることがないので目を付けられました。
誉さんの話を聞いて成仏を手伝えと」
あけすけな物言いに誉は吹き出す。
勇与も笑った。
「思いがけず誉さんも受け入れてくださったのでこの上ないです。
おっかねえ幽霊ならちょっと困ったが」
困るだけか。
元から勇与は幽霊がいなくなるまでいるつもりで来たのだ。
ここに来た軍人の中でこの人が一番真摯かもしれない。
誉は、自分よりいくつか年上に見える相手を見つめた。
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