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若き騎士エルヴィンには愛する女性が居た。
ジーン伯爵家の一人娘レオノーラ。金色の髪と緑の瞳が美しいと評判の令嬢だ。
彼女の乳母はエルヴィンの母でもあった。
その為か、ある程度の年齢になるまで二人は仲良く遊ぶことを許された。
清楚で儚い見た目とは裏腹に快活な彼女はよく木の棒を剣代わりにエルヴィンに挑んできた。
仕えている家の令嬢に怪我をさせる訳にはいかない。
けれど灰色の髪の少年が無抵抗な理由はそれだけではなかった。
金色の髪をふわふわと太陽に煌かせ戦いを挑んでくる小さな女の子が可愛くて仕方が無かった。
時が経ちレオノーラは木の棒を持つことも外で遊ぶこともしなくなった。
二人は友人から伯爵令嬢とその護衛騎士の関係になった。
けれどエルヴィンが彼女に捧げる愛に変わりは無かった。
告げることを決してしないという決意も揺らぐことは無かった。
エルヴィンは寡黙で不器用な騎士だった。
捧げる愛に見返りは求めなかった。だから彼を知る誰もがそれを忠誠だと疑いもしなかった。
レオノーラが十六歳になった頃、彼女の婚約が決まった。
アルグ伯爵家の長男アーサーがその相手だった。
親の決めた結婚だがレオノーラは彼に恋をした。
そしてアーサーもレオノーラの愛したようだった。
だからエルヴィンはその婚約を心から祝福した。
武骨な騎士は仕える令嬢の幸せ以外望むものが無かった。
薔薇の咲き乱れる季節にレオノーラは美しい花嫁となった。
その輿入れ先にエルヴィンを連れて行くことを望んだのは彼女の我儘だった。
しかし誰も反対しなかった。彼女の夫であるアーサーさえも。
灰色の騎士の秘めた恋心を知る者は誰も居なかったのだ。
レオノーラ・アルグが亡くなったのはそれから二年後だった。
出産時の出血が原因で赤子の命と引き換えるように彼女は儚くなった。
その日はエルヴィンの二十三回目の誕生日だった。
レオノーラが事前に手配した祝いの花束は、そのまま彼女への献花へと使われた。
目が痛くなる程真っ白な百合だった。
赤ん坊はリオンと名付けられた。
金の髪に緑色の瞳をした男児だった。
エルヴィンはその存在を受け入れた。
愛する人を亡くした絶望には蓋をした。
これからはこの子にも永遠の忠誠を誓おう。
それをレオノーラも望むと彼は信じた。
けれど彼女の夫だったアーサーはそのように割り切れなかった。
リオンに一切構う事無く、赤子は親の愛情を知らぬまま育った。
貴族が我が子の世話をしないことは当たり前だったが、アーサーの態度はそれでも異常だった。
リオンはやがて赤ん坊から幼児になった。
周囲の大人たちの言葉を理解するようになっても父の顔を知ることは無かった。
リオンが初めて口にした単語は「エル」だった。
遠い昔、彼の母にその愛称で呼ばれたことを灰色の騎士は思い出し少しだけ泣いた。
父親代わりになろうなどと不遜なことをエルヴィンは全く考えていなかった。
けれどリオンの実父であるアーサーがその役目を担おうとしない。
リオンが己の傍に居る武骨な騎士に父性を求めるのは仕方がないことだった。
立場を弁えながらもこの不憫な幼子をエルヴィンは慈しんだ。
親からのものではない愛でもリオンは確かに愛されて育った。
アーサーはレオノーラを深く愛していたから再婚もしなかった。
唯一の後継である彼女の子供は親からの愛以外は恵まれていた。
エルヴィンや使用人たちに見守られリオンは十歳になった。
輝く様な金色の髪に、深い緑の瞳。繊細で美しい顔立ちは母親譲りだった。
幼少時代のレオノーラを知る灰色の騎士は彼があの少女の生き写しに見えた。
けれどリオンは自分が秘かに愛を捧げた伯爵令嬢ではない。
そのことを不器用で寡黙で孤独な騎士は理解していた。
理解していないのはリオンの父親だった。
その日はエルヴィンの三十九回目の誕生日だった。
そしてレオノーラの命日でありリオンの誕生日でもあった。
十五歳になった少年の誕生日を朝一番で祝った騎士は、その後愛した令嬢の墓参りへと向かった。
白百合を捧げた墓標に無言で語り掛けた騎士は、日が暮れる前に自身の部屋へと戻った。
夕方にはリオンが己の誕生会を抜け出し自分を祝いに来る。
それは十年前から続いていた習慣だった。
彼が伯爵になるまで、いやなったとしても続きそうだ。
苦笑いしながら白髪交じりの灰色の髪を騎士は掻き上げた。
それを贔屓だと妬み陰口を叩く使用人は居なかった。
皆騎士エルヴインの献身を知り、親の愛を知らないリオンの不憫を憐れんでいた。
それでも金の髪の伯爵令息は太陽のように快活に笑う。
彼の母に仕え、そして現在その息子に仕えている騎士が無償の愛を注いだからだと古参の人間は知っていたからだ。
けれど、約束の時刻が過ぎても金色の髪の少年が訪れることは無かった。
こんなことは初めてだ、エルヴィンは部屋から出る。
伯爵邸の広間では盛大な誕生会が開催されていた筈だった。
けれど去年よりも随分早く撤収の準備がされている。
片付けをしていた顔なじみの使用人にリオンの行動を確認する。
「少し前、旦那様と共に」
その言葉を聞いた途端、エルヴィンは広間から駆け出していた。
アーサーとは数える程しか話したことはない。
レオノーラに護衛騎士として紹介された時が初めての会話だった。
そしてリオンを息子として少しでも受け入れて欲しいと嘆願した時が最後だ。
間違っては居ないが余計な事をした。当時のことを思い出しエルヴィンは顔を歪める。
まだ青年だったアーサーがエルヴィンの言葉に浮かべたのは怒りだけではない。
あれは、確かに絶望だった。
彼はきっと愛する妻に仕えていた騎士に共感を求めていた。
けれどエルヴィンはリオンを憎まなかった。寧ろレオノーラの遺児を愛した。
そしてアーサーにも父として愛することを求めた。
結果エルヴィンは伯爵に何度も殴られ蹴られ、そして犯された。
初めての痛みは死の恐怖を想起させる程だった。殺されかけたと言ってもいい。
アーサーは泣いていた。泣きながら妻を愛していた騎士を犯し続けた。
彼がエルヴィンのレオノーラに向けていた思いを知っていたかはわからない。
ただそれでもアーサーが灰色の騎士を裏切り者と罵ったのは事実だった。
そのことを責めるつもりはない。
ただアーサーが負の激情を抱え続けていること、そして男を無理やり犯せるということ。
その息子であるリオンが彼の愛した妻の面影を色濃く宿すこと、全てが不安でしかなかった。
■■■■
伯爵家当主の寝室には強い香りが撒き散らされていた。
原因は絨毯の上で踏み潰されている白百合だろう。
傍らで割れている花瓶はレオノーラが気に入って実家から持って来たものだった。
もう、二十年以上前になるのか。
そんな呑気なことを考えるのは目にしたものから思考を逸らしたいからだ。
現実逃避だった。
砕けたのは花瓶だけでは無い。
不健康だがそれでも整った顔を恐怖に歪めた男の頭は柘榴のように割れていた。
「アーサー……伯、爵」
口にした名前に返事は無かった。
即死かはわからないが既に息をしていないことは理解できる。
「父様が悪いんだ」
ベッドの上で金の髪を赤く汚した少年が言う。
エルヴィンはその顔を見て、初めて父親にも似てるなと思った。
「僕を母様の代わりにするだけなら我慢しても良かったんだ」
一度だけならね。
そう悲し気に微笑むリオンのシャツは無残にも引き千切られていた。
恐れていた事態を止められなかったこととその結果に灰色の騎士は唇を噛みしめる。
鉄錆の味が百合の甘い香りを遠ざけることをどこかで願っていた。
エルヴィンは自身の上着を脱ぎリオンへと羽織らせようとする。
その手を少年は掴み、大柄な騎士に抱き着いた。
「大丈夫だよ、父様の匂いなんてどこからもしていないでしょう?」
僕は大丈夫、そうにっこりと笑うリオンに事態を忘れて騎士は安堵する。
しかしそれはすぐ絶望に上書きされた。
「でもエルヴィンは違うよね、父様が言ってた」
無理やり犯したから下半身が血塗れになって、それでも抵抗しなかったって笑ってたよ。
十五歳の少年の口から出るおぞましい言葉に灰色の騎士の体は震える。
それを優しく抱きしめてリオンは再び大丈夫と繰り返した。
「僕の事も同じように犯してやるって言って、だから花瓶で殴ったんだ。仕方ないよね」
「そんな、ことが……」
「あの人、僕たちが思っているよりずっと狂っていた。エルヴィンにも僕にも嫉妬していたんだ」
「嫉妬……?」
アーサーが我が子を犯そうとしたのは妻に似ているからだけではないのか。
そう口に出さず問いかける騎士の金の髪の少年は違うよと首を振る。
「自分には出来ないこと、憎しみを捨てて愛した人の子供を守り続けられる君の正しさに嫉妬してた」
「アーサー様……」
「そしてそんな彼に護られる僕に嫉妬していた、エルヴィンの宝物の僕を壊したかったんだ」
「そんな……理由で……」
「ねえ、知ってる? 父様が愛していたのは母様だけじゃなかったんだよ」
混乱する騎士にリオンはくちづける。けれどそれは子供が親にするような親愛の証ではない。
舌に舌を絡ませ毒を口移しするような魔性の接吻だった。
「リオン、様……?」
「大丈夫、全部僕がするから。父様の事も気にしなくていいよ……もう誰にも奪わせない」
奪おうとする人間を決して許さない。
鮮やかだった緑の瞳に暗く燃え盛る炎を宿しリオンはエルヴィンを押し倒す。
父の寝室で、その亡骸を床に放置したまま。
「僕を愛して、僕だけのものになって。僕も君だけを愛するから」
「それは……」
リオンの父親が、その妻となる少女に向けてした愛の告白と全く同じものだ。
まだ伯爵夫人になる前の彼の母が、青年になりかけのエルヴィンに嬉しそうに語ったものと同じだった。
あの日に帰りたい、そう老いた騎士は胸が張り裂ける程思った。
それでも奪うように縋るように伸ばされる腕を拒むことは出来ない。
愛した人の子供だからそれだけではない、きっと。
エルヴィンは願うように思う。
「僕だけの騎士でいて、死んでも離さない。君は僕だけのもの」
「リオン様……」
「そうでしょう、エルヴィン」
ああ、似ている。
この子は父と母どちらにも似ているのだ。
白い百合は血に染まりながらも芳醇な香りを放ち続ける。
灰色の騎士は諦めたように瞼を閉じる。
「……はい、私は貴方を愛します」
「僕も愛しているよ、ずっと愛していたよ。僕だけの君を男として愛したかった」
そして少年は自分を父親の代わりに慈しみ続けた男を抱いた。
母を愛し父に抱かれた騎士をその子供は二人よりも強く愛し激しく抱いたのだった。
ジーン伯爵家の一人娘レオノーラ。金色の髪と緑の瞳が美しいと評判の令嬢だ。
彼女の乳母はエルヴィンの母でもあった。
その為か、ある程度の年齢になるまで二人は仲良く遊ぶことを許された。
清楚で儚い見た目とは裏腹に快活な彼女はよく木の棒を剣代わりにエルヴィンに挑んできた。
仕えている家の令嬢に怪我をさせる訳にはいかない。
けれど灰色の髪の少年が無抵抗な理由はそれだけではなかった。
金色の髪をふわふわと太陽に煌かせ戦いを挑んでくる小さな女の子が可愛くて仕方が無かった。
時が経ちレオノーラは木の棒を持つことも外で遊ぶこともしなくなった。
二人は友人から伯爵令嬢とその護衛騎士の関係になった。
けれどエルヴィンが彼女に捧げる愛に変わりは無かった。
告げることを決してしないという決意も揺らぐことは無かった。
エルヴィンは寡黙で不器用な騎士だった。
捧げる愛に見返りは求めなかった。だから彼を知る誰もがそれを忠誠だと疑いもしなかった。
レオノーラが十六歳になった頃、彼女の婚約が決まった。
アルグ伯爵家の長男アーサーがその相手だった。
親の決めた結婚だがレオノーラは彼に恋をした。
そしてアーサーもレオノーラの愛したようだった。
だからエルヴィンはその婚約を心から祝福した。
武骨な騎士は仕える令嬢の幸せ以外望むものが無かった。
薔薇の咲き乱れる季節にレオノーラは美しい花嫁となった。
その輿入れ先にエルヴィンを連れて行くことを望んだのは彼女の我儘だった。
しかし誰も反対しなかった。彼女の夫であるアーサーさえも。
灰色の騎士の秘めた恋心を知る者は誰も居なかったのだ。
レオノーラ・アルグが亡くなったのはそれから二年後だった。
出産時の出血が原因で赤子の命と引き換えるように彼女は儚くなった。
その日はエルヴィンの二十三回目の誕生日だった。
レオノーラが事前に手配した祝いの花束は、そのまま彼女への献花へと使われた。
目が痛くなる程真っ白な百合だった。
赤ん坊はリオンと名付けられた。
金の髪に緑色の瞳をした男児だった。
エルヴィンはその存在を受け入れた。
愛する人を亡くした絶望には蓋をした。
これからはこの子にも永遠の忠誠を誓おう。
それをレオノーラも望むと彼は信じた。
けれど彼女の夫だったアーサーはそのように割り切れなかった。
リオンに一切構う事無く、赤子は親の愛情を知らぬまま育った。
貴族が我が子の世話をしないことは当たり前だったが、アーサーの態度はそれでも異常だった。
リオンはやがて赤ん坊から幼児になった。
周囲の大人たちの言葉を理解するようになっても父の顔を知ることは無かった。
リオンが初めて口にした単語は「エル」だった。
遠い昔、彼の母にその愛称で呼ばれたことを灰色の騎士は思い出し少しだけ泣いた。
父親代わりになろうなどと不遜なことをエルヴィンは全く考えていなかった。
けれどリオンの実父であるアーサーがその役目を担おうとしない。
リオンが己の傍に居る武骨な騎士に父性を求めるのは仕方がないことだった。
立場を弁えながらもこの不憫な幼子をエルヴィンは慈しんだ。
親からのものではない愛でもリオンは確かに愛されて育った。
アーサーはレオノーラを深く愛していたから再婚もしなかった。
唯一の後継である彼女の子供は親からの愛以外は恵まれていた。
エルヴィンや使用人たちに見守られリオンは十歳になった。
輝く様な金色の髪に、深い緑の瞳。繊細で美しい顔立ちは母親譲りだった。
幼少時代のレオノーラを知る灰色の騎士は彼があの少女の生き写しに見えた。
けれどリオンは自分が秘かに愛を捧げた伯爵令嬢ではない。
そのことを不器用で寡黙で孤独な騎士は理解していた。
理解していないのはリオンの父親だった。
その日はエルヴィンの三十九回目の誕生日だった。
そしてレオノーラの命日でありリオンの誕生日でもあった。
十五歳になった少年の誕生日を朝一番で祝った騎士は、その後愛した令嬢の墓参りへと向かった。
白百合を捧げた墓標に無言で語り掛けた騎士は、日が暮れる前に自身の部屋へと戻った。
夕方にはリオンが己の誕生会を抜け出し自分を祝いに来る。
それは十年前から続いていた習慣だった。
彼が伯爵になるまで、いやなったとしても続きそうだ。
苦笑いしながら白髪交じりの灰色の髪を騎士は掻き上げた。
それを贔屓だと妬み陰口を叩く使用人は居なかった。
皆騎士エルヴインの献身を知り、親の愛を知らないリオンの不憫を憐れんでいた。
それでも金の髪の伯爵令息は太陽のように快活に笑う。
彼の母に仕え、そして現在その息子に仕えている騎士が無償の愛を注いだからだと古参の人間は知っていたからだ。
けれど、約束の時刻が過ぎても金色の髪の少年が訪れることは無かった。
こんなことは初めてだ、エルヴィンは部屋から出る。
伯爵邸の広間では盛大な誕生会が開催されていた筈だった。
けれど去年よりも随分早く撤収の準備がされている。
片付けをしていた顔なじみの使用人にリオンの行動を確認する。
「少し前、旦那様と共に」
その言葉を聞いた途端、エルヴィンは広間から駆け出していた。
アーサーとは数える程しか話したことはない。
レオノーラに護衛騎士として紹介された時が初めての会話だった。
そしてリオンを息子として少しでも受け入れて欲しいと嘆願した時が最後だ。
間違っては居ないが余計な事をした。当時のことを思い出しエルヴィンは顔を歪める。
まだ青年だったアーサーがエルヴィンの言葉に浮かべたのは怒りだけではない。
あれは、確かに絶望だった。
彼はきっと愛する妻に仕えていた騎士に共感を求めていた。
けれどエルヴィンはリオンを憎まなかった。寧ろレオノーラの遺児を愛した。
そしてアーサーにも父として愛することを求めた。
結果エルヴィンは伯爵に何度も殴られ蹴られ、そして犯された。
初めての痛みは死の恐怖を想起させる程だった。殺されかけたと言ってもいい。
アーサーは泣いていた。泣きながら妻を愛していた騎士を犯し続けた。
彼がエルヴィンのレオノーラに向けていた思いを知っていたかはわからない。
ただそれでもアーサーが灰色の騎士を裏切り者と罵ったのは事実だった。
そのことを責めるつもりはない。
ただアーサーが負の激情を抱え続けていること、そして男を無理やり犯せるということ。
その息子であるリオンが彼の愛した妻の面影を色濃く宿すこと、全てが不安でしかなかった。
■■■■
伯爵家当主の寝室には強い香りが撒き散らされていた。
原因は絨毯の上で踏み潰されている白百合だろう。
傍らで割れている花瓶はレオノーラが気に入って実家から持って来たものだった。
もう、二十年以上前になるのか。
そんな呑気なことを考えるのは目にしたものから思考を逸らしたいからだ。
現実逃避だった。
砕けたのは花瓶だけでは無い。
不健康だがそれでも整った顔を恐怖に歪めた男の頭は柘榴のように割れていた。
「アーサー……伯、爵」
口にした名前に返事は無かった。
即死かはわからないが既に息をしていないことは理解できる。
「父様が悪いんだ」
ベッドの上で金の髪を赤く汚した少年が言う。
エルヴィンはその顔を見て、初めて父親にも似てるなと思った。
「僕を母様の代わりにするだけなら我慢しても良かったんだ」
一度だけならね。
そう悲し気に微笑むリオンのシャツは無残にも引き千切られていた。
恐れていた事態を止められなかったこととその結果に灰色の騎士は唇を噛みしめる。
鉄錆の味が百合の甘い香りを遠ざけることをどこかで願っていた。
エルヴィンは自身の上着を脱ぎリオンへと羽織らせようとする。
その手を少年は掴み、大柄な騎士に抱き着いた。
「大丈夫だよ、父様の匂いなんてどこからもしていないでしょう?」
僕は大丈夫、そうにっこりと笑うリオンに事態を忘れて騎士は安堵する。
しかしそれはすぐ絶望に上書きされた。
「でもエルヴィンは違うよね、父様が言ってた」
無理やり犯したから下半身が血塗れになって、それでも抵抗しなかったって笑ってたよ。
十五歳の少年の口から出るおぞましい言葉に灰色の騎士の体は震える。
それを優しく抱きしめてリオンは再び大丈夫と繰り返した。
「僕の事も同じように犯してやるって言って、だから花瓶で殴ったんだ。仕方ないよね」
「そんな、ことが……」
「あの人、僕たちが思っているよりずっと狂っていた。エルヴィンにも僕にも嫉妬していたんだ」
「嫉妬……?」
アーサーが我が子を犯そうとしたのは妻に似ているからだけではないのか。
そう口に出さず問いかける騎士の金の髪の少年は違うよと首を振る。
「自分には出来ないこと、憎しみを捨てて愛した人の子供を守り続けられる君の正しさに嫉妬してた」
「アーサー様……」
「そしてそんな彼に護られる僕に嫉妬していた、エルヴィンの宝物の僕を壊したかったんだ」
「そんな……理由で……」
「ねえ、知ってる? 父様が愛していたのは母様だけじゃなかったんだよ」
混乱する騎士にリオンはくちづける。けれどそれは子供が親にするような親愛の証ではない。
舌に舌を絡ませ毒を口移しするような魔性の接吻だった。
「リオン、様……?」
「大丈夫、全部僕がするから。父様の事も気にしなくていいよ……もう誰にも奪わせない」
奪おうとする人間を決して許さない。
鮮やかだった緑の瞳に暗く燃え盛る炎を宿しリオンはエルヴィンを押し倒す。
父の寝室で、その亡骸を床に放置したまま。
「僕を愛して、僕だけのものになって。僕も君だけを愛するから」
「それは……」
リオンの父親が、その妻となる少女に向けてした愛の告白と全く同じものだ。
まだ伯爵夫人になる前の彼の母が、青年になりかけのエルヴィンに嬉しそうに語ったものと同じだった。
あの日に帰りたい、そう老いた騎士は胸が張り裂ける程思った。
それでも奪うように縋るように伸ばされる腕を拒むことは出来ない。
愛した人の子供だからそれだけではない、きっと。
エルヴィンは願うように思う。
「僕だけの騎士でいて、死んでも離さない。君は僕だけのもの」
「リオン様……」
「そうでしょう、エルヴィン」
ああ、似ている。
この子は父と母どちらにも似ているのだ。
白い百合は血に染まりながらも芳醇な香りを放ち続ける。
灰色の騎士は諦めたように瞼を閉じる。
「……はい、私は貴方を愛します」
「僕も愛しているよ、ずっと愛していたよ。僕だけの君を男として愛したかった」
そして少年は自分を父親の代わりに慈しみ続けた男を抱いた。
母を愛し父に抱かれた騎士をその子供は二人よりも強く愛し激しく抱いたのだった。
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