勇者の帰りを待つだけだった私は居ても居なくても同じですか? ~負けヒロインの筈なのに歪んだ執着をされています~

砂礫レキ

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第一章

十二話

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「桐野君、見ないのかね?君は」 

 子供のような顔をして見つめてくる老人に桐野孫四郎は口元にゆがんだ笑みを浮かべた。それまでの無表情から老人の顔に笑顔が突発的に浮かぶ。

「神前誠ほどの有名人がこんなところで買い物とは……なんなら君が彼の首を挙げてもいいんじゃないかね?」 

 老人、ルドルフ・カーンはホテルの4階から見える神前誠とカウラ・ベルガー、二人の司法局の隊員を見下ろしながらコーヒーをすすっていた。

「それは俺の意思だけでできることじゃない」 

「君の飼い主の許可がいることなんだね。なるほど、太子もそれだけあの青年を買っているということか」 

 そう言うとカーンはそのまま桐野が座っているソファーに向かって歩いてくる。それを不愉快に思っているのか、桐野は手にしたグラスに注がれた日本酒を一気に煽る。

「それよりあなたのほうが心配だな。東和に入国してもう一月あまり。嵯峨の糞野郎の情報網でもあなたの存在はつかめているはずだ」 

 静かに座っている桐野孫四郎の隣に立つと軽蔑するような冷酷な表情がカーンに浮かぶ。

「糞というのは止めたまえ、品が無い」 

 カーンは桐野の言葉をとがめると静かにソファーに座り冷めたコーヒーをまずそうに飲む。

「確かに遼南王家のラスバ帝が仕組んだ情報網を掌握している嵯峨君だ。私の行動の一部は漏れているだろうし、それによって私の宿泊場所も数箇所に限定されていることだろう」 

 余裕のあるカーンの表情に桐野はいまひとつその真意が読めないと言うような顔をする。

「だが、彼は自分の情報網でつかんだと言うことで踏み込むことはしない」 

 その老人の余裕をいぶかしげに眺めながら桐野は四合瓶に入った大吟醸を惜しげもなくグラスに注いだ。

「もし私の身になにかあれば遼州ばかりでなく地球にも投下した私の手にある資産が消えてなくなるんだ。そうなれば地球人の入植したすべての星系の経済がある程度の打撃を受ける。彼も経済学の博士号を持っているんだからそれからの経済や社会情勢のシミュレーションくらいできているはずだ」 

 そう言ってカーンは不味いコーヒーの入ったグラスをテーブルに置いた。そしてにやりと笑う。

「それに今わずかでも経済のバランスが崩れれば発足間もない同盟がどうなるか……それを知らないほどおろかな男ではないよ、嵯峨君は」 

 そんな御託など桐野には興味がなかった。左手に支えている関の孫六に力が入る。

 突然ノックも無く部屋の扉が開いた。入ってきたのは革ジャンを着たサングラスの男、桐野の腰ぎんちゃくとして知られた北川公平、そしてそれに続いて長い黒髪に黒いスーツを身にまとった女性が続いて入ってきた。桐野の視線は表情を殺している女性に向かう。

「ノックぐらいはするものだな」 

 そう言って桐野はダンビラから手を離す。革ジャンにサングラスの男はそれを見て大きく深呼吸をした。

「なあに気取ってるんですか?」 

 北川はにやりと笑うとそのまま老人の隣にどっかと腰を下ろす。そしてそのまま入り口で立ち尽くしている女性に顔を向けた。

「こういう時はビールぐらいサービスするもんだぜ」 

 その言葉に女性はぶらぶらと下がっていた手を水平の高さまで上げた。

 次の瞬間、その手に黒い霧が立ち込める。そしてその霧が晴れると彼女の手にはビールが握られていた。その一連の出来事に北川は思わず頭を抱える。

「なんでこんなところで力を使うかなあ……」 

「ビールを出せと言ったのは貴様だ。どんな出し方をしようが私の勝手だ」 

 抑揚の無い言葉。仕方なく彼女が差し出すビールを受け取った北川は勢いよくプルタブを引くとそのまま缶ビールを飲み始めた。

「洗脳もやりすぎると日常生活も送れなくなってリハビリが必要になると言うことだろうな」 

 桐野の一言にカーンは静かにうなづいた。

「所詮、養殖ものは駄目なんすよ。あいつなんてましなほうだ。他の二人にいたっては隣の部屋から怖くて出せませんよ」 

 ひとごこちついたと言うように北川は缶をテーブルに置く。視線は自然とカーンに向かった。

「むしろ私としては好都合だがね。君達のような野良犬の飼い主になる自信はないよ」 

「犬って!」 

 北川が立ち上がろうとするのを桐野は日本刀で止める。黒い鞘の怪しい光を見てもカーンの表情は変わらない。

「確かにあなたから見たら……と言うかほとんどの地球人から見れば遼州原住民は忌むべき不気味な存在、いっそのこと洗脳するか根絶するかしたい存在なのはわかってますよ。それまでの地球人が思いもつかない力を持った生き物が闊歩している。どう見たってフェアーとは言えませんからねえ」 

 三人に走る緊張。だが、桐野はすぐに剣を引き、再びソファーに座りなおした。その様子を見て立ち尽くす女性の表情に一瞬浮かんだ殺気が消えた。

「君達と人道について語る必要は私には無い。あくまでも利害が一致したからここに居る。そうなんだろ?」 

 カーンはそう言うと女性に手招きした。桐野達を無視して表情が死んでいるような女性はそのままカーンからコーヒーカップを受け取った。彼女はそのまま流しのところまで行って半分ほど入っていたコーヒーを捨てる。

「こいつ等には俺等の再教育など必要無いんじゃないですか?……いっそのこと爺さんのオムツでも代える仕事が向いてるよ。なああんた!」 

 北川が声を掛けるが女性は反応を示さない。その様子を見ていた桐野の表情がこわばる。

「確かに彼女を介護士として養成するなら地球人にでも教育できそうだ。だがそれでは私が君達の飼い主に払った金が無駄になるな」 

 カーンの言葉には桐野も北川も黙り込むしかなかった。いつまでとは指示は無かった。とにかくゲルパルトのアーリア民主党残党勢力の手元にある人工法術師を一般市民に混ざってもわからない程度の常識を教え込む。それが桐野達に与えられた指示だった。

「仕事はしますよ。ただその結果飼い犬に手を噛まれないように」 

 それだけ言うと桐野は再び大げさにグラスの酒を煽った。
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