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堪忍袋の緒が切れました

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「エリス・アタラシア。アスナに対する嫌がらせの罪でお前を婚約破棄及び死刑にする!!」

「歯ァ食いしばれこのマゾ豚!!!!」


 魔法学園での卒業記念の舞踏会。

 腰に着飾ったヒロインを巻き付かせた男を私は渾身の力でぶん殴った。


「ふぎゃむンッ!」


 まるで尻尾を横綱に踏まれた猫のような悲鳴を上げて、顔と地位だけは良い青年は吹っ飛んでいく。

 可能ならそのまま壁を突き破って空で汚い花火にでもなって欲しいぐらいだ。

 だが彼は少し先の床に尻もちを突いた程度だった。


 もし私が悪役令嬢ではなくヒロインだったら育成でステータスをフィジカルに振り切っていたのに。

 人を殴り慣れていないせいでズキズキする拳をパーティーグローブ越しに撫でる。


 エリス・アタラシア、これは私の今の名前。

 そして前世は乙女ゲームを嗜む日本人女性だった。

 ある日残業帰りに歩道橋から足を踏み外し、気づいたら金髪のお嬢様に生まれ変わっていたのだ。

 そして成長していくにつれて気づいた。

 この世界は生前最もプレイしていた乙女ゲーム「白薔薇と星のロマンツェ」の世界と雰囲気も地域名も、何なら人物もそっくりだったのだ。 


 このゲームのヒロインは平民で孤児だが稀有な光魔法を使えた。

 その為王侯貴族の通う魔法学園に特待生として入学することが出来た。それが物語の始まり。


『ここで三年間頑張って学んで、魔法教師の資格を得たら孤児院に恩返しをするんだ!』

 
 これがゲームのチュートリアル時に聞けるヒロインの意思表明。

 そしてこの宣言通りに学業に邁進して入れば関わることのない相手、それがエリス・アタラシアだ。


 何故なら彼女は公爵家の長女。貴族の中でも最上級の立場の令嬢なのだから。

 エリスはゲーム内でヒロインが王太子アレンの攻略ルートに入った際に出てくる彼の婚約者だ。

 金髪碧眼の高貴な美少女だが嫉妬深いサディストで、格差と礼節に拘る。つまり本来なら平民のヒロインに貴族の彼女から関わることなどない。


 けれどその平民が自身の婚約者にちょっかいをかけたなら話は別である。


 攻略ルート序盤では嫌味や足を引っかける程度だが、ヒロインがアレンとの仲を深めていくと嫌がらせはかなり激化する。

 取り巻きを使いヒロインの制服を盗み裏庭に捨てさせたり、魔法実験中に顔に怪我をさせようとする。

 だがそれは全部アレンによってギリギリで阻止され二人の距離は益々近づいていくのだ。 


 逆にエリスはその陰湿さから王太子に心から嫌悪される。

 更に嫉妬を募らせたエリスはとうとうヒロインの殺害を企てるが阻止される。

 その際にヒロインを庇ったアレンに怪我をさせてしまいその罪で死刑となるのだ。
 

 その結末を知っている私は、当然嫌がらせなんてしなかった。

 大体アレン自体がぶっちゃけ好みではないのだ。まず俺様系の性格が苦手。

 そして婚約者がいるのに平気で他の女性の手料理を食べたり二人で出かけたりするところが生理的に無理過ぎる。

 別れてからやれと言いたい。幻滅要素は他にも色々あるが一番許せないのはそれだ。

 実際自分の転生に気づいてから今日まで百回はそう思った。


 乙女ゲームの世界にリアリティなんて求めていない。だが向こうから勝手に現実になってきたのだ。

 強制的に登場人物の、しかも破滅が決まっている悪役にされた私に心休まる時なんて無かった。


 アレン。エリスの婚約者でこの国の王太子。

 アスナ。攻略成功エンドでは必ず聖女の力に目覚めるヒロイン。


 二人とも人間としてどうかしている。

 婚約者がいる王太子に馴れ馴れしく接し手作り弁当や週末デートの誘いをかける平民の少女。

 そんな相手に心安らいで学園内で平気でいちゃいちゃする王太子。

 馬鹿じゃないの、頭おかしいよ。そう罵ってやりたいと何度ハンカチを噛みしめ引き裂いたか。 


 それだけ仲睦まじさを隠さないのに、入学から三年間待っても待っても婚約解消の話は向こうから来なかった。

 焦れて父である公爵にアレンが他の女生徒と親密であることを告げ婚約解消したいと頼んだところ、鞭が飛んできた。
 

 父は政略結婚の道具でしかない私が自分の意見を持ったことが許せないらしい。

 彼と娘であるエリスはとてもよく似ている。その冷たい美貌も見下した相手へ容赦のないところも。

 私は婚約解消したいという発言を撤回し詫びるまで自室に監禁されろくに食事も与えられなかった。


 だから私は婚約者と浮気相手のヒロインに嫌がらせも抗議もせず耐え続けるしかなかった。

 王太子やヒロインに直接抗議しなかったのは何が「嫌がらせ」と受け取られるかわからないからだ。


 そして今日、答えが分かった。

 何もしなくても、同じなのだと。


 婚約者である王太子と浮気相手が私を陥れたいと思ったなら、大嘘をでっちあげればいいだけだった。


 ギロチンの幻が手を振っている。そう感じた時、私も思い切り手を振り上げた。

 顔と身分以外まともな要素のない元婚約者の顔面に。


 結果彼は豚よりも間抜けな悲鳴を上げた。


「いやああっ、王太子様っ!」


 ヒロインも甲高い悲鳴を上げる。そういえばこの娘が彼を名前で呼んでいる所を見たことがない。

 アレンとべたべたと体を触りあったりべちゃべちゃと顔をくっつけ有ったりする所は見たくもないのに見てきたというのに。


「彼に何をするの!この暴力女!!」

「うるさいですわね、あばずれ女」

「あ、あばずれですって!あんたなんてさっさと死刑になればいいのに!」


 もう死刑だと思うと何でも言える。私は目の前の冤罪捏造女を睨みつけた。

 父が人間的に屑で良かったと今では思う。彼を私の罰に巻き込むことに罪悪感が無いからだ。

 皆地獄に落ちればいい。


「安心して、貴女も死にたくなるだろうから」


 私はそう言うと蹲る王太子を蹴り上げた。


「ちょっと!」


 ヒロインが抗議の声を上げる。しかしそれよりも一際大きい鳴き声が場に響き渡った。


「きひぃんっ!!」


 これは悲鳴ではない。喜びの声だ。 

 つまり、アレンはそういうことなのだ。


「お、王太子様……?」

「皆様ご覧になってくださいな。アレン様はこのように度し難い変態なのです」


 こんな風に、そう言いながら私はヒールを彼の背中に思い切り振り下ろす。


「あひいっ!!な、なぜ俺が……・」

「こんなことに快楽を感じているかですか、変態だからですよ……この浮気豚が!」

「きゃんっっ」


 私が踵に力を入れて踏みつけると自分の身に何が起きているかわからないという表情をしながらも王太子の唇から涎が流れていく。

 女性に足蹴にされるなんて初めての経験だろう。でも確かに強い快楽を感じている筈だ。

 何故なら彼は「隠れマゾ」という設定があるのだから。

 
『白薔薇と星のロマンツェ』は私が死ぬ前にやりこんでいた乙女ゲームだ。

 攻略本もイラスト集もサウンドトラックも買ったしウェブでの公式情報も追い続けていた。

 だからアレンの秘密を知ることが出来た。推しではないので特に知りたくもなかったが。


 ゲーム公式のエイプリルフールのお遊び企画。

 それは攻略対象たちの秘密を暴露するというものだった。

 少女のように可憐な少年キャラはクシャミがおっさんのようだという秘密。

 筋骨たくましい体育会系キャラの趣味はウサギのぬいぐるみ集めという秘密。

 そして俺様王子キャラなアレンの秘密は隠れマゾ性癖だったのだ。


 公式イラストレーターがアップした鞭と蝋燭に喜ぶ彼のイラストにアレン推しに対する憐れみを感じた。

 当時SNSで話題になり公式が炎上したことを今でも思い出せる。

 その時の「やっぱりアレンは無理だな」と感じた気持ちが再び私の胸に蘇っている。

 どうせ死刑になるのだ。私はそれを隠しもせず口にした。


「本当に、心の底から気持ちの悪い男」

「エ、エリス……」

「貴男と結婚なんて最初から嫌だったのよ。だからその女と番うならそれでいいと思ってみっともなく盛り合うのを黙っていたのに」


 私の発言にパーティーに参加していた魔法学園の生徒たちが思い思いにざわめき始める。


「公爵令嬢、王太子と平民女の火遊びについて黙っていたのはそういうことだったのね……」

「確かに、こんな殿方を夫と呼ぶのは……」

「あんな変態に俺たちは頭を下げ続けなきゃいけないのか……」


 貴族というのは程度の差はあれプライドが高い。人に頭を下げる機会だって滅多にない。

 だがアレンは王族だ。ここまでみっともなくて変態でも彼は王太子、いずれ王になる立場の人間。

 でもこんな浮気マゾ豚を王と崇め忠誠を誓える貴族たちがどれだけいるのだろうか。


 流石に王家も口封じにここにいる貴族の子弟たちを皆殺しには出来ないだろう。

 つまりアレンの性癖は上流階級たちの間に瞬く間に広まり長く噂され続けることになる。私は笑った。


「この豚が死刑だとか頭おかしいこと言いださなければ、私もこんな暴露したくなかったのですけれどね」 


 整った顔に醜い表情を浮かべたアレンの前に膝をついて頬を平手打ちする。


「……っ、エリス、もっとぉ……」

「喧しい」


 図々しくおねだりしてきた相手に拳を見舞おうとして、私はあることを思いつく。

 彼を殴る代わりにその頬を撫でて優しく語りかけてみた。


「欲しいものがあるならわかるわよね、私の質問に答えなさい王室豚」

「は、はい……」

「私に虐められていると貴男に嘘を吹き込んだのは誰?」


 嘘という単語に再び観客たちがざわめく。それも気にならないのかアレンは私をうっとりと見つめ口を開いた。


「それは……アスナだ。彼女が君に虐められていると……羨ましい」

「では私を死刑にするように言ったのは?」

「それも……アスナ、」

「嘘よっ!!」


 アレンの言葉を遮るように性悪ヒロインが叫ぶ。その態度こそが自白になっていることにも気づかずに。

 まるで下手糞な舞台女優のように彼女は観客たちに向かい大仰に叫ぶ。


「皆、こんな変態キモ豚の言う事なんて信じないで!私、そんな女じゃな……」

「はい、貴女も死刑決定ね」

「えっ?」


 にっこりと微笑む私にヒロインが口をぽっかり空ける。


「平民の立場で王太子をそこまで侮辱したなら良くて絞首台送りに決まっているでしょう?」


 ギロチンは貴族以上の立場の人物用の処刑道具だから彼女には使われない。

 そして親馬鹿を通り越して馬鹿親の域に達している国王夫妻は息子への侮辱を許さない。アスナは絶対楽に死ねないだろう。

 それは私も同じことだろうけれど。

 ただ、もしかしたら。

 私は俺様設定など見る影もない婚約者を見下ろした。

 
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