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第四章

115話 闇の天使

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 オーリックの姿は衝撃的だった。
 首と両の手足が切り落とされている。
 不謹慎だが組み立てる前のプラモデルを思い出した。それぐらい現実味が無かった。

「これ、クロノがやったのよ。一瞬だったわ」

 息を呑む俺に傍らのミアンが説明してくれる。
 俺は最早動くことの無いオーリックを凝視する。魔物の姿のまま息絶えた彼を。
 今いる場所はキルケーの魔力と俺たちの夢で作られた精神世界だ。
 だから今目の前にあるオーリックの死体は現実の肉体ではない。
 それでも。 

「今この場で精神が死んだなら肉体があったところで無意味でしょうね」

 魂が複数あったり死の淵から戻ってこられたなら話は別ですが。
 そう声をかけてきたのはクロノだった。青年の姿の方だ。

「その姿……」

 俺が驚いて出した声にクロノは苦笑いで答えた。
 今の彼は背後の景色が透けて見えるぐらいに幽かな存在となっている。
 きっと姿を保持する為の魔力が足りていないのだ。

「気にしないで。どの道僕が消えるのは当たり前のことなのだから」
「でも……」
「彼だって、役目を終えて消えたのでしょう?」

 彼とは、あのアルヴァのことを言っているのだろう。俺は無言で頷いた。

「あの人の場合、役目というよりやりたいことをやったという感じでしょうけど……忘れないであげてくださいね」
「忘れられないよ、忘れられない」
「羨ましいです」

 そう消え入りそうな笑みを浮かべて黒髪の青年は言った。

「クロノ……」
「御覧の通り貴男が死にかけていた間にオーリックの脅威は消えました。そしてキルケーの姿も消えた」

 代わりに問題が一つ生じました。空気を切り替えるようにクロノは言う。

「本物の方のクロノは自身に限界まで強化を行い、オーリックを屠った。そして返す刀でキルケーに襲い掛かりました」 
「凄い気迫とスピードだったわよ。私の目では追えない位に」

 ミアンの捕捉に自己強化をしたクロノならそうだろうなと俺は納得する。 

「貴男が致命傷を受けたことで激高した彼女は実力以上の強さでした。だから魔族とはいえキルケーが押されていてもおかしくないと感じた」

 それが間違いだった。青年の方のクロノが後悔を浮かべる。

「キルケーの表情には本物の焦りが合った。クロノが想定外の強さだったのでしょう。だがあの女魔族はどこまでも狡猾だった」
「私もね、絶対あの魔族はクロノに倒されたって思ったのよ。凄い叫び声あげて消えたし……大した女優ぶりよね」

 ミアンの悔しそうな言葉に嫌な予感がどんどんと増してくる。
  
「キルケー自身は剣で貫かれあっさり消失しました、しかし最後の最後に……」

 半透明の青年が後ろを振り返る。彼が何か唱えた途端に何もなかった地面にそれは現れた。

「え……」
 
 呆けた声を俺は上げる。一瞬、クロノだと気づけないぐらい彼女は変貌していた。
 短く切り揃えられていた黒髪は地面につく程長くなっていた。まるで漆黒のマントのようだ。
 そして身に着けていた衣服はボロキレのようになっていて髪の間から白い肌が見えていた。
 けれど、それだけではない。

 頭には山羊の角のようなものが生え、額の中心には禍々しく赤い紋章が浮かんでいる。
 そしてクロノの背中からは黒い羽根が何枚も生えていた。蝙蝠と鳥の羽が奇妙に混ざり合っている。
 変わり果てた彼女は抜き身の剣を大事そうに抱えて地面へ座り込んでいた。それは俺が与えた剣だ。
 その瞳は固く閉じられていたが、血のような涙が止まることはなく流れ続けていた。

「クロノ……!」

 そのままにしておくことなど出来ず俺は彼女に駆け寄ろうとする。
 しかしそれは女炎術師によって止められた。

「駄目っ!」
「離してくれ、ミアン!」
「今クロノに近づいたら呪われちゃうのよ!」
「呪い?」

 俺は単語に反応し抵抗を止めた。
 
「クロノのいる場所、凄い瘴気が渦巻いているの。あの娘の膨大な魔力が呪詛として暴走しているのよ」

 そう言われて目を凝らすが、魔力を持たない俺にそれは感知できなかった。
 ただ魔族のような姿になったクロノを視界に映していると、どんどん目がぼやけていく。そして痛みが生じ始めた。
 悪化しまくったドライアイのようだ。

「彼女を見続けるのははやめて、その内その目や口から血が噴き出す羽目になるわよ」
「それは先に言ってくれ……!」


 ミアンの言葉に慌てて視線を逸らす。彼女の額には汗が浮かんでいた。
 今のクロノにこの距離で近づくこと自体が魔力の多い者は辛いのかもしれない。


「ミアン、苦しいならここから離れた方が」
「あんたがオーリックに殺されかけた後、クロノの魔力が一気に膨れ上がった。あっという間にオーリックがバラバラになっていた」

 俺の言葉を無視するように彼女は声を発した。感情を押し殺したような声だった。

「そしてすぐクロノは女魔族と戦っていた。二人とも凄かったわ。でもクロノは女魔族に対し常に優勢に見えた」

 そこに希望を見出してクロノを応援しだす冒険者たちも居た程だ。
 ミアンの言葉に俺は彼らの姿を探した。だが容易に視認できる場所にはいなかった。
 嫌な予感がする。

「魔族の姿はどんどん醜く、そして猛獣のようになっていった。爪は鋏のように尖り長い牙は口の中に収まらなくなり……そのどちらもクロノの体を傷つけていた」

 けれどクロノは近接戦を止めることなく、最終的に魔族の胸を剣で貫いて戦いは終わった。
 女炎術師は締めくくるように語り、けれど「だったら良かったのに」と小声で付け足す。
 ふらりとよろめいたのを慌てて支えた。

「魔族が塵になった後、クロノは剣を握りしめたままボロボロと泣き始めた。私は彼女に声をかけようと近づいたの。……そして気づいた」

 透明な涙が、どんどん赤黒くなっていくことに。
 そしてクロノの肌に魔族の爪がつけた傷が全て魔術文字の形をしていることに。
 けれど気づいた時には遅かった。

「やばいと思って、距離を取ろうとした瞬間酷い寒気と虚脱感がした。……そう、少し前に魔力封印を受けた時みたいに」
「魔力封印……」

 俺がミアンの呆然と言葉を繰り返すと半透明の青年が詳しく説明してきた。

「封印とは少し違いますけどね、今の彼女が行っているのは魔力吸収。ただ……」
「ただ?」
「現状優先されてるのは魔力ですが、それが無くなれば生命力が吸われると思います」

 だから他の冒険者たちは魔族化したクロノの視界に入らないようなるべく距離を置いて息を殺しているのです。
 青年の言葉に俺は自分から遠く離れた暗がりを振り向いた。
 確かに人の気配がするかもしれない。

「でも、それも意味ないかも。この距離でさえ吸われている感覚がするもの。少し前まではそうじゃなかった」

 あの娘、範囲を広げているのよ。
 ミアンの言葉に俺は唾を飲み込んだ。
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