上 下
92 / 131
第四章

86話 屠殺予定の家畜に懐かれた場合

しおりを挟む
 キルケーが洞窟の壁に指先で文字のようなものを書く。
 すると土色の壁の一部が赤く輝き出し、数秒後には大柄な男が余裕で通れるぐらいの空洞が出来ていた。
 女魔族は俺を手招くと微笑みながら言った。

「魔王様、こちらをお使いくださいませ」

 地下湖への直通になっております。
 エレベーターへの乗降を勧めるような口ぶりだが穴の向こうにそんなものはない。階段すらもなかった。
 オフィスビルの上階でたまに見かける謎の扉を思い出した。
 階段の踊り場でもなんでもなく、開けて外へと踏み込んだら真っ逆さまという罠みたいな扉だ。
 使えと言われて当然戸惑う。

「それをか……」
「はい」

 キルケーはなんでもないことのように首肯した。
 この時点で考えられることはいくつかある。
 彼女の知っている魔王は空を飛べる、或いは空中浮揚ができる。
 もしくはそのまま最下層に飛び降りても平気な程の頑強さを持っている。
 それならばショートカット感覚でどうぞと言ってきても理解は出来る。
 ただその場合、その通りにしたら俺は墜落して死ぬ。

「……他の方法はないのか」
「他の方法、でございますか?」

 キルケーの整った顔に浮かんだのが不審ではなく戸惑いだったことに内心安堵する。 
 正直今の問いかけは賭けだった。
 
「他の通路なら、そこの大穴がございますが……」

 人間を放り捨てる時に使用するものなので魔王様にはあまり適さないかと。
 そう地下湖の真上に開いた穴の用途について語られ服の下で冷や汗をかいた。

「お前たちはいつも下への移動方法は飛び降りるだけなのか?」
「はい、私は浮遊魔術が使えますしウィアードはスライムなのでそのまま落ちて平気でした」

 つまりここに隠しエレベーターとかワープゾーンとかは存在してないらしい。
 だが人間が自分の意志で地下に出入りすることを想定していなければ当然かもしれない。 
 俺は悩みに悩んだ。長考は怪しまれるので短時間で頭をフル回転させた。
 そしてあることに気づく。
 
 このままでは俺も下に行けないが、地下湖から救い出した冒険者だって地上に戻れない。 
 問題点が更に増えてしまった。頭を抱えるしかない。
 そんな俺をおろおろと不安げに見つめていたキルケーが突然ハッとしたような表情を浮かべる。 
  
「そういえば、人間どもを地上に戻す方法を私まだ考えておりませんでした……!」

 今のままでは湖から取り出しても低体温で死んでしまうでしょう。
 蒼白な顔で言う彼女に「それは絶対駄目だ」と無意識に叫んでしまう。
 直後幾つもの意味でそれを後悔したがキルケーは怯えたように詫びるだけだった。

「申し訳ございません魔王様!私の考えがいたらないばかりに……お許しください!」

 正直、彼女が人類の敵である魔族だという立場を考えればそこまで謝るようなことではない。
 きっとキルケーは魔王という存在を崇拝しきっている。だからここまでへりくだるのだ。
 今はそれにつけこむしかない。俺は出来るだけ優しそうに笑った。 

「大丈夫だキルケー、いい方法がある」
「魔王様……」

 その白い顔が魔王に励まされた喜びで薔薇色に染まる。
 しかし次の瞬間宝石のような瞳に宿るのは絶望だった。

「お前が人間たちを浮遊魔術を使ってここまで運べばいい」
「えっ……でも私の浮遊魔術は大勢を一気には……」
「安心しろ、一人一人でいい。それならば出来るな?」

 質問の体裁を取っているが当然否定を求めてはいない。
 蟻を踏み潰す象のような傲慢さを装っているが内心は頼むから頷いてくれと祈っていた。
 キルケーを気の毒だと思う気持ちはある。けれどそれ以上に捕らわれた仲間たちの方が大事だった。

「待っていてやる。今すぐやれ」
「はい……かしこまりました」

 心からの同意ではないことはわかっている。やりたくない仕事なのだろう、当然だ。
 魔族幹部である彼女にとって人間は見下し利用するだけの存在。
 それを自らの浮遊魔術で救出しなければいけない。それが魔王の命令だからだ。
 元々攫ってきたのはキルケーなのだから自業自得とも言える。
 それでも同情する気持ちを少しでも抱くのは自分が従わされる立場に長年居たせいだからか。

「お前には期待している」
「はっ、はい……!」

 俺の適当な台詞に簡単に喜ぶ姿に、冒険者として対峙した時の妖艶で毒のある女魔族の面影はない。
 そして本来俺たちの関係性は敵同士。魔族であるキルケーにとって人間であるアルヴァは虫けら程度の存在でしかない。

 だから決して絆されてはいけない。
 騙されているから従順なのだ。俺が魔王だと信じ込んでいるから尽くそうとするのだ。
 そして人類の敵である彼女は俺を主だと認識している内に倒すのが一番いいのだ。

 地下で捕らわれている人間たちを全員洞窟から解放した後、俺はキルケーを殺さなければいけない。
 そうしなければ騙されていたことに気づいた彼女はいずれ必ず俺に復讐しに来るだろう。
 キルケーを騙し続けることは出来ない。俺が魔王として生きることが出来ないからだ。 
 そして魔王への忠誠が高ければ高いほど、その存在を騙った俺を彼女は許すことは出来ない筈だ。
 俺だけでなく、団の仲間たちも巻き添えにして惨殺しかねない。もしかしたら街単位かもしれない。

 人間を運ぶ為浮遊魔術を使い続けた後ならキルケーも弱っている筈だ。
 そこを狙って、可能なら一撃で楽にしてやりたい。
 俺は過去の自分と同じ顔をしたウィアードだって斬ることが出来た。キルケーだって同じように出来る。
 美しい女の姿をしてようと、健気にこちらの命令に従おうと本質は残忍な魔族なのだから。

「……少し外の空気を吸ってくる、人間たちを運び終えたら呼びに来い」

 俺は彼女にそう告げてその場から離れた。
 洞窟内は澱んだ土臭い空気の中にキルケーのものか、甘い香りが入り混じっていた。
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

転生チート薬師は巻き込まれやすいのか? ~スローライフと時々騒動~ 

志位斗 茂家波
ファンタジー
異世界転生という話は聞いたことがあるが、まさかそのような事を実際に経験するとは思わなかった。 けれども、よくあるチートとかで暴れるような事よりも、自由にかつのんびりと適当に過ごしたい。 そう思っていたけれども、そうはいかないのが現実である。 ‥‥‥才能はあるのに、無駄遣いが多い、苦労人が増えやすいお話です。 「小説家になろう」でも公開中。興味があればそちらの方でもどうぞ。誤字は出来るだけ無いようにしたいですが、発見次第伝えていただければ幸いです。あと、案があればそれもある程度受け付けたいと思います。

最強の職業は解体屋です! ゴミだと思っていたエクストラスキル『解体』が実は超有能でした

服田 晃和
ファンタジー
旧題:最強の職業は『解体屋』です!〜ゴミスキルだと思ってたエクストラスキル『解体』が実は最強のスキルでした〜 大学を卒業後建築会社に就職した普通の男。しかし待っていたのは設計や現場監督なんてカッコいい職業ではなく「解体作業」だった。来る日も来る日も使わなくなった廃ビルや、人が居なくなった廃屋を解体する日々。そんなある日いつものように廃屋を解体していた男は、大量のゴミに押しつぶされてしまい突然の死を迎える。  目が覚めるとそこには自称神様の金髪美少女が立っていた。その神様からは自分の世界に戻り輪廻転生を繰り返すか、できれば剣と魔法の世界に転生して欲しいとお願いされた俺。だったら、せめてサービスしてくれないとな。それと『魔法』は絶対に使えるようにしてくれよ!なんたってファンタジーの世界なんだから!  そうして俺が転生した世界は『職業』が全ての世界。それなのに俺の職業はよく分からない『解体屋』だって?貴族の子に生まれたのに、『魔導士』じゃなきゃ追放らしい。優秀な兄は勿論『魔導士』だってさ。  まぁでもそんな俺にだって、魔法が使えるんだ!えっ?神様の不手際で魔法が使えない?嘘だろ?家族に見放され悲しい人生が待っていると思った矢先。まさかの魔法も剣も極められる最強のチート職業でした!!  魔法を使えると思って転生したのに魔法を使う為にはモンスター討伐が必須!まずはスライムから行ってみよう!そんな男の楽しい冒険ファンタジー!

【完結】前世の不幸は神様のミスでした?異世界転生、条件通りなうえチート能力で幸せです

yun.
ファンタジー
~タイトル変更しました~ 旧タイトルに、もどしました。 日本に生まれ、直後に捨てられた。養護施設に暮らし、中学卒業後働く。 まともな職もなく、日雇いでしのぐ毎日。 劣悪な環境。上司にののしられ、仲のいい友人はいない。 日々の衣食住にも困る。 幸せ?生まれてこのかた一度もない。 ついに、死んだ。現場で鉄パイプの下敷きに・・・ 目覚めると、真っ白な世界。 目の前には神々しい人。 地球の神がサボった?だから幸せが1度もなかったと・・・ 短編→長編に変更しました。 R4.6.20 完結しました。 長らくお読みいただき、ありがとうございました。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

スキル【僕だけの農場】はチートでした~辺境領地を世界で一番住みやすい国にします~

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
旧題:スキル【僕だけの農場】はチートでした なのでお父様の領地を改造していきます!! 僕は異世界転生してしまう 大好きな農場ゲームで、やっと大好きな女の子と結婚まで行ったら過労で死んでしまった 仕事とゲームで過労になってしまったようだ とても可哀そうだと神様が僕だけの農場というスキル、チートを授けてくれた 転生先は貴族と恵まれていると思ったら砂漠と海の領地で作物も育たないダメな領地だった 住民はとてもいい人達で両親もいい人、僕はこの領地をチートの力で一番にしてみせる ◇ HOTランキング一位獲得! 皆さま本当にありがとうございます! 無事に書籍化となり絶賛発売中です よかったら手に取っていただけると嬉しいです これからも日々勉強していきたいと思います ◇ 僕だけの農場二巻発売ということで少しだけウィンたちが前へと進むこととなりました 毎日投稿とはいきませんが少しずつ進んでいきます

~クラス召喚~ 経験豊富な俺は1人で歩みます

無味無臭
ファンタジー
久しぶりに異世界転生を体験した。だけど周りはビギナーばかり。これでは俺が巻き込まれて死んでしまう。自称プロフェッショナルな俺はそれがイヤで他の奴と離れて生活を送る事にした。天使には魔王を討伐しろ言われたけど、それは面倒なので止めておきます。私はゆっくりのんびり異世界生活を送りたいのです。たまには自分の好きな人生をお願いします。

処理中です...