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第三章

63話 漆黒の剣士様と恋する乙女たちと狂犬

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 街は火猪が暴れていたことが嘘のように穏やかだった。
 火事もボヤ程度で消し止められたし死人も出ていないならそんな物だろうか。
 大抵の店もいつも通り営業しているようだ。
 さて、どこで食事を調達するか。可能なら今日と明日の分を纏めて入手しておきたい。
 すぐ食べられる調理済みの総菜と、肉や野菜辺りが妥当だろうか。
 それとガチガチに固くないパン、これも必須だ。調味料は買わなくてもいいだろう。
 いや、一応確認した方がいいか。
 傍らを歩く男装の少女に俺は話しかけた。

「帰ったらすぐ食う奴と、肉野菜以外で買いたい物はあるのか?」

 買い物用の籠を手にしたクロノは少し考えた後答える。

「小麦粉を補充したいんですけど、挽いてもらう為の麦を忘れてきちゃいました……」

 今度買い物行く時忘れないようにと思っていたのに。若干落ち込みながら言う少女に俺は少し慌てる。
 実はこの世界の小麦粉の入手方法はあまりわかっていない。
 すぐ使える状態できっちり包装された小麦粉が売られている訳ではなさそうだ。
 米のように殻つきのまま買っておいて使いたいときに都度挽くという感じだろうか。

 農家をやっている親戚から籾米をお裾分けで送られる度に精米に行くのが面倒だと母が怒っていたことを思い出す。
 小学校に上がる頃には精米は俺の仕事になっていた。今は誰がやっているのだろう。
 前世を若干懐かしみながら俺はクロノに言葉を返した。

「別に、麦ぐらい売ってるのを買えばいいだろ。というか買ってその場で挽いて貰えばいいんじゃないのか?」
「古い方から使わないといけないので……。明日ボクが行ってくるので大丈夫です」

 焼き立てのパンを朝食にお出ししますね。
 そう笑顔で言う姿に彼女の家がクロノを淑女として育てたがった理由が少しだけわかる気がした。
 クロノは元々家事が好きだと言う。料理も掃除も洗濯もやった分だけ目に見えるから楽しいらしい。
 いいお嫁さんになると口が軽ければ言っていたかもしれない。

 良く考えれば誰かの妻にならなくても家事が好きで得意なのは良いことだ。
 というかある程度の年齢なら性別など関係なく家事は出来た方が良いに決まっている。
 一人暮らしでも、集団生活でもだ。
 今回だってクロノが怪我をして家事が出来ない状態なら俺がやるしかなかったのだ。
 自分が台所での火の使い方を知らない事を思い出し俺は頭を掻いた。これについては早めに覚えておく必要がある。


「そうだクロノ。俺も台所で火を使えるようになりたいんだが」
「えっ、食事ならボクが作りますよ?」
「いや、いつもお前を頼るわけには……」
「大丈夫です。お夜食が必要な時もいつもみたく蹴って起こしてくれればすぐ……」

 とんでもないことを街中で言い出され俺は大いに慌てた。通行中の老婆に睨まれるのを愛想笑いで返す。
 過去のアルヴァの所業は今でも彼女の中に根付いている。
 クロノ自身は児童虐待を受けていた自覚など全く無さそうなのが救いであり逆に気鬱でもあった。

「いやお前はもう個室があるし。気軽に起こせないというか」
「なら台所に戻った方がいいですよね、お役に立てませんし」

 おかしい。説得すればする程事態が悪化していく気がする。

「そういうことじゃなくて、たとえばお前が怪我した時に俺が飯作れた方がいいだろ」
「大丈夫です、怪我してもご飯はちゃんと作ります。アルヴァさんのお役に立てます!」

 もし今日みたく寝ていて起きない場合は頬を張り飛ばしてください。
 そう元気に宣言され俺は顔を覆いたくなった。
 クロノをここまで調教したアルヴァ・グレイブラッドという男を寧ろ張り飛ばしたい。
 そのクズリーダーは前世の人格を取り戻す前の俺なのだが。
 巨大スライムや火猪は少女の代わりに俺を制裁してくれたのかもしれない。

 クロノの溌溂とした声と重苦しい発言内容により通行人たちの目が俺たちへ突き刺さる。
 きっと益々街中でのアルヴァの悪評は増えるだろう。
 いや既に「あの屑ならあんなことする」と受け入れられているだろうか。
 別に擦れ違う人間全員に尊敬の目で見られたい訳ではないが、堂々と軽蔑対象として扱われるのは嫌に決まっている。
 巨大スライムや火猪の件でそれなりに街に貢献したつもりだが、それがすぐ評判に反映される訳でも無いだろう。
 寧ろ今のクロノの悪気無しの発言の方が拡散力は高いのではないだろうか。
 別に彼女が俺の役に立たなくても捨てたりはしないのに。
 独り立ちできるようになるまで子供は子供なのだから。
 俺はクロノが一人前の冒険者としてやっていけるようになるまで見守っていくつもりだった。
 実際は俺の方が火もろくに使えず家事は彼女におんぶにだっこなのだが。戦いでも俺がお荷物になる日は近いだろう。
 クロノはノアと同じ魔法剣士の素質がある。一人で完結できる万能型だ。戦力格差のある仲間は寧ろ足手纏いになる可能性がある。
 そうならないように俺も研鑽するつもりだが、どうにもならなければ潔く離れることも考えている。
 ノアに鍛えられた彼女が英雄や勇者と人々に称えられちやほやされるのも遠い未来ではない。
 
「あっ、漆黒の剣士様よ!」

 そう、こんな風に。
 甲高い声に俺はその方角を見た。
 そこには十代と思われる少女たちが数人固まっていた。皆興奮に頬を赤くしている。

「本当だわ!彼、あんなに華奢なのに簡単に魔物の首を落としたんですって」
「素敵よね、きっと剣技の天才なのよ!それにしても綺麗な黒髪とお顔……」

 成程。先程アジトに押し掛けた少女と同じ類か。
 火猪を一撃で倒したクロノを英雄視して憧れる乙女たち。彼女は将来性のある美形冒険者である「彼」に近づきたいと思っている。
 しかし恋にぎらついたその瞳は俺を視界に入れた途端敵対心をあらわにした。

「げっ、狂犬アルヴァまでいるわ」 
「なんであの二人が一緒にいるのかしら。あいつはクロノ様を嫉妬で虐めているって噂なのに」

 あんな子供たちにまで俺の悪評は聞こえているのか。
 内心でうんざりしながら、俺はクロノの腕を引いて適当な店に入ろうとした。彼女たちの姦しさに付き合いたくなかったのだ。
 しかし掴んだ少女の細い腕は俺の力にびくともしなかった。

 
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