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40.灰色の未来
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準備が出来たと言われ足を運んだ浴室。
一人用の湯船には湯がたっぷりと張られていた。
服を脱ぎ軽く体を洗う。エストに言われた通り内側から鍵をかけるのを忘れない。
浴槽に片足を入れると盛大に水が溢れる。そう、水だ。
先程はお湯と称したがどちらかと言えば温い水の方が正しい。
エストがこの場に居たならどんな表情をしたか想像しつつ俺は肩まで体を沈めた。
嫌がらせだとは思いたくない。何故なら面倒臭いからだ。
もしこれが凍える程冷たい水か、触れたら火傷する程の熱湯だったら流石に文句は言うが。
そもそも今のマレーナは正常な状態ではない。命じたことを正しく出来なくても仕方ないのだ。
どちらかというとそんな彼女に用意させた湯の状態を確認しなかったエストの方が気になっていた。
細やかな彼らしくない。しかしそれも仕方がない、多忙すぎるのだ。
エストは俺を浴室に案内した後、慌ただしく出て行った。
マレーナを屋敷の外へ見送る為にだ。
アリオスに今から風呂に入ると宣言した為、俺はそれについて行かなかった。
湯舟の中で膝を抱える。
エストにはすぐに戻ると言われたが、急がなくていいと返している。
髪も体も一人で洗える。着替えだって面倒な衣装で無ければ一人で出来る。
成人済みの男が自慢することではないが。
ただ幼い子供の頃はエストに何から何まで手伝って貰った。
言葉が理解出来るようになった時分から俺は周囲におっとりした子だと良く言われた。
悪く言えば愚鈍だ。
双子のセシリアが闊達だったのを差し引いても、随分とのろまな子供だったと思う。
言葉を話せるようになるのも遅かった。
褒められる所は余り泣かなかったことぐらいか。
赤ん坊の時から感情表現がはっきりし、お喋りが得意なセシリアを大人たちは構った。
でもエストだけは何故かセシリアよりも俺を優先してくれた。
きっと俺を抱き上げた回数が一番多いのは彼だ。
まるでエストが本当の親のようだとメイドたちがこっそり噂していたのを聞いたことがある。
流石に歳がそこまで離れていない彼を親だと思ったことは無い。
兄とも又違う。でもただの使用人では決してない。
彼が居なければ俺の人生はもっと息苦しかったと思う。
きっと不満を口に出すことさえ出来なかった。
エストがセシリアよりも俺を優先してくれなかったら、完全に妹の陰になり遠慮ばかりして気配を消して生きていたかもしれない。
長兄や姉たちのことは嫌いじゃない。敵対もしていない。
セシリアだって大切な双子だ。そしてただ一人の妹だ。
でも俺が一番素でいられるのはあの口の悪い従者の前だった。
エストに頼り切っている自覚はある。現に今だって親の命令とはいえリスクの高い行為に巻き込んでいる。
そして、冗談とは言え逃げようと言わせてしまった。
お湯を両手で掬う。そこには歪んだ自分の顔が映っていた。
無理をさせたくないと彼は言っていたが、俺だってそうだ。
でもエストに「自分一人でどうにか出来るから帰って良い」なんて絶対言えない。
彼が居ないと、支えて貰わないと俺はまともに行動さえできない。
恥ずかしいぐらいエストに依存している。
だから成人しているのに養うと言われてしまうのだ。
少し前にアリオスのことを子供扱いしてしまったが俺だって十分頼りない人間だ。
寧ろ公爵家当主として働いている分だけアリオスの方が立派だろう。
あの様子でどうやって業務をこなしているのかは疑問だが。
俺はセシリアに成りすますこの仕事が終わったら、どうなるのだろう。
きっとアイリーンとの婚約は解消される。
リード家に都合のいい結婚相手を親にあてがわれるかしもれない。
でもそんな縁談が残っているとも思えない。
伯爵家の仕事を手伝わせて貰える気もしなかった。
俺が他家に婿入りするという前提で家は回り続けていて、俺もそのつもりで生きて来た。
まさかそれが一日で壊れるなんて考えもしなかった。
もしアイリーンが見つかって家に連れ戻されても復縁は無理だろう。
母が許さない。一度目は俺が我儘で婚約解消を阻止した。
でもきっと二度目は無い。
俺の人生はどうなってしまうのだろう。アイリーンを前に俺は何が言えるだろう。
想像するだけで冷や汗が出る。
エストの逃げましょうという言葉を頭で繰り返した。少しだけ気持が軽くなる。
でもそれを実践するわけにはいかないことも理解している。
「俺が本当に、公爵の花嫁だったら良かったのかな……」
声にならない声で呟く。愛のない結婚。
自分が当事者なら耐えられる気がした。
アリオスに対しても当初感じた嫌悪感は大分薄れている。
でも化粧もドレスも剥いだ俺の体は男でしかなかった。
一人用の湯船には湯がたっぷりと張られていた。
服を脱ぎ軽く体を洗う。エストに言われた通り内側から鍵をかけるのを忘れない。
浴槽に片足を入れると盛大に水が溢れる。そう、水だ。
先程はお湯と称したがどちらかと言えば温い水の方が正しい。
エストがこの場に居たならどんな表情をしたか想像しつつ俺は肩まで体を沈めた。
嫌がらせだとは思いたくない。何故なら面倒臭いからだ。
もしこれが凍える程冷たい水か、触れたら火傷する程の熱湯だったら流石に文句は言うが。
そもそも今のマレーナは正常な状態ではない。命じたことを正しく出来なくても仕方ないのだ。
どちらかというとそんな彼女に用意させた湯の状態を確認しなかったエストの方が気になっていた。
細やかな彼らしくない。しかしそれも仕方がない、多忙すぎるのだ。
エストは俺を浴室に案内した後、慌ただしく出て行った。
マレーナを屋敷の外へ見送る為にだ。
アリオスに今から風呂に入ると宣言した為、俺はそれについて行かなかった。
湯舟の中で膝を抱える。
エストにはすぐに戻ると言われたが、急がなくていいと返している。
髪も体も一人で洗える。着替えだって面倒な衣装で無ければ一人で出来る。
成人済みの男が自慢することではないが。
ただ幼い子供の頃はエストに何から何まで手伝って貰った。
言葉が理解出来るようになった時分から俺は周囲におっとりした子だと良く言われた。
悪く言えば愚鈍だ。
双子のセシリアが闊達だったのを差し引いても、随分とのろまな子供だったと思う。
言葉を話せるようになるのも遅かった。
褒められる所は余り泣かなかったことぐらいか。
赤ん坊の時から感情表現がはっきりし、お喋りが得意なセシリアを大人たちは構った。
でもエストだけは何故かセシリアよりも俺を優先してくれた。
きっと俺を抱き上げた回数が一番多いのは彼だ。
まるでエストが本当の親のようだとメイドたちがこっそり噂していたのを聞いたことがある。
流石に歳がそこまで離れていない彼を親だと思ったことは無い。
兄とも又違う。でもただの使用人では決してない。
彼が居なければ俺の人生はもっと息苦しかったと思う。
きっと不満を口に出すことさえ出来なかった。
エストがセシリアよりも俺を優先してくれなかったら、完全に妹の陰になり遠慮ばかりして気配を消して生きていたかもしれない。
長兄や姉たちのことは嫌いじゃない。敵対もしていない。
セシリアだって大切な双子だ。そしてただ一人の妹だ。
でも俺が一番素でいられるのはあの口の悪い従者の前だった。
エストに頼り切っている自覚はある。現に今だって親の命令とはいえリスクの高い行為に巻き込んでいる。
そして、冗談とは言え逃げようと言わせてしまった。
お湯を両手で掬う。そこには歪んだ自分の顔が映っていた。
無理をさせたくないと彼は言っていたが、俺だってそうだ。
でもエストに「自分一人でどうにか出来るから帰って良い」なんて絶対言えない。
彼が居ないと、支えて貰わないと俺はまともに行動さえできない。
恥ずかしいぐらいエストに依存している。
だから成人しているのに養うと言われてしまうのだ。
少し前にアリオスのことを子供扱いしてしまったが俺だって十分頼りない人間だ。
寧ろ公爵家当主として働いている分だけアリオスの方が立派だろう。
あの様子でどうやって業務をこなしているのかは疑問だが。
俺はセシリアに成りすますこの仕事が終わったら、どうなるのだろう。
きっとアイリーンとの婚約は解消される。
リード家に都合のいい結婚相手を親にあてがわれるかしもれない。
でもそんな縁談が残っているとも思えない。
伯爵家の仕事を手伝わせて貰える気もしなかった。
俺が他家に婿入りするという前提で家は回り続けていて、俺もそのつもりで生きて来た。
まさかそれが一日で壊れるなんて考えもしなかった。
もしアイリーンが見つかって家に連れ戻されても復縁は無理だろう。
母が許さない。一度目は俺が我儘で婚約解消を阻止した。
でもきっと二度目は無い。
俺の人生はどうなってしまうのだろう。アイリーンを前に俺は何が言えるだろう。
想像するだけで冷や汗が出る。
エストの逃げましょうという言葉を頭で繰り返した。少しだけ気持が軽くなる。
でもそれを実践するわけにはいかないことも理解している。
「俺が本当に、公爵の花嫁だったら良かったのかな……」
声にならない声で呟く。愛のない結婚。
自分が当事者なら耐えられる気がした。
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