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五話 父と娘
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泣き腫らした目の私を公爵邸の住民の誰もが会うなり心配をした。
これはエミアの今までの人柄の為だろう。
臆病で繊細で優しい、小鳥のような公爵令嬢。
けれど今は恋に傷ついた人魚姫となり精神の海へと沈んでいる。
私は彼女そっくりに振舞うことは出来ない。
エミアならこうするだろうという推測は可能だが、本人ならそもそもそんなことを考えたりしない。
だからと言って私はエミアではなく大昔に死んだ女の人格ですなんて発表できるわけがない。
確かに私もエミアだが、今まで公爵令嬢として振舞っていたエミアではないのだ。
私は己のややこしい成り立ちに溜息を吐いた。
しかし多少の不自然さは見逃して貰えるだろうという思惑もある。
私は今から、十年間虐げられながらも恋していた婚約者にとうとう愛想を尽かしたという役どころを演じるのだから。
人が変わったようだと言われても、それはアリオス殿下の酷い仕打ちのせいで変貌したのだと印象を操作すればいい。
それこそ心が病んだ扱いで療養しても構わない。婚約解消ができるなら、だが。
私は侍女に手伝ってもらい着替えをし化粧を直して貰うと父の執務室へと赴いた。
この扉の向こうにはシュタイト公爵家の当主がいるのだ。私は彼にエミアとして婚約解消の手続きを頼みに行く。
母は大分前に病気で亡くなり既にこの世にいない。フレイ・シュタイト公爵はその分だけ一人娘に愛情を注いでくれた。
そんな彼に対し、娘として振舞うことに緊張がないとは言えない。
だが私だってエミアであることは間違いない。先程の考えを繰り返し己を鼓舞する。
前世の記憶があって、今まで表には一切出てこなかっただけで私も彼の娘なのだと。
そう己に言い聞かせ私は執務室の扉を叩いた。
「お父様、エミアが参りました」
「入りなさい」
名乗ると即入室を許可される。
私は恐る恐る中へ足を踏み入れた。エミアは臆病な性格なので行動として問題はない筈だ。
椅子に座っているかと思っていたが公爵は部屋の中央に立っていた。アリオス殿下よりも長身で銀灰色の髪は丁寧に撫でつけられていた。
若い頃はさぞかし貴婦人や令嬢の心をときめかせたのだろう顔立ちは相応の老いが有っても十分に整っていた。
その理知的な緑の瞳に無言で示されるまま私は彼の正面に立つ。
「アリオス殿下にお会いしたのだな」
「はい」
「傷ついた目をしているからすぐわかる」
まるで自分が傷ついているような表情でシュタイト公爵は私の頬を撫でた。
彼は知っているのだ。自分の娘が婚約者にどう扱われているのかを。
それでもエミアが頑なに拒んだから婚約は継続され続けた。
公爵は優しい父親だ。きっと娘が願えば説得もせず王族との婚約解消の為に尽力してくれたと思う。
だが肝心のエミアは相手と会う度に傷つきながらもアリオス殿下との婚約関係を望み続けた。
本当なら娘が泣いて嫌がっても婚約を終了させる判断こそが父親である公爵には必要だったのかもしれない。
しかし今更何を言ってもたらればにしかならないだろう。判断が遅れたのは彼だけではない。エミアも私もだ。
私は愛娘の声で父に告げる。
「お父様、私はもうアリオス殿下の婚約者で居続けることは無理です」
「……そうか、わかった」
お前は何も心配しなくていい。
そう告げるとシュタイト公爵は私の頭を幼子にするように撫でた。
これはエミアの今までの人柄の為だろう。
臆病で繊細で優しい、小鳥のような公爵令嬢。
けれど今は恋に傷ついた人魚姫となり精神の海へと沈んでいる。
私は彼女そっくりに振舞うことは出来ない。
エミアならこうするだろうという推測は可能だが、本人ならそもそもそんなことを考えたりしない。
だからと言って私はエミアではなく大昔に死んだ女の人格ですなんて発表できるわけがない。
確かに私もエミアだが、今まで公爵令嬢として振舞っていたエミアではないのだ。
私は己のややこしい成り立ちに溜息を吐いた。
しかし多少の不自然さは見逃して貰えるだろうという思惑もある。
私は今から、十年間虐げられながらも恋していた婚約者にとうとう愛想を尽かしたという役どころを演じるのだから。
人が変わったようだと言われても、それはアリオス殿下の酷い仕打ちのせいで変貌したのだと印象を操作すればいい。
それこそ心が病んだ扱いで療養しても構わない。婚約解消ができるなら、だが。
私は侍女に手伝ってもらい着替えをし化粧を直して貰うと父の執務室へと赴いた。
この扉の向こうにはシュタイト公爵家の当主がいるのだ。私は彼にエミアとして婚約解消の手続きを頼みに行く。
母は大分前に病気で亡くなり既にこの世にいない。フレイ・シュタイト公爵はその分だけ一人娘に愛情を注いでくれた。
そんな彼に対し、娘として振舞うことに緊張がないとは言えない。
だが私だってエミアであることは間違いない。先程の考えを繰り返し己を鼓舞する。
前世の記憶があって、今まで表には一切出てこなかっただけで私も彼の娘なのだと。
そう己に言い聞かせ私は執務室の扉を叩いた。
「お父様、エミアが参りました」
「入りなさい」
名乗ると即入室を許可される。
私は恐る恐る中へ足を踏み入れた。エミアは臆病な性格なので行動として問題はない筈だ。
椅子に座っているかと思っていたが公爵は部屋の中央に立っていた。アリオス殿下よりも長身で銀灰色の髪は丁寧に撫でつけられていた。
若い頃はさぞかし貴婦人や令嬢の心をときめかせたのだろう顔立ちは相応の老いが有っても十分に整っていた。
その理知的な緑の瞳に無言で示されるまま私は彼の正面に立つ。
「アリオス殿下にお会いしたのだな」
「はい」
「傷ついた目をしているからすぐわかる」
まるで自分が傷ついているような表情でシュタイト公爵は私の頬を撫でた。
彼は知っているのだ。自分の娘が婚約者にどう扱われているのかを。
それでもエミアが頑なに拒んだから婚約は継続され続けた。
公爵は優しい父親だ。きっと娘が願えば説得もせず王族との婚約解消の為に尽力してくれたと思う。
だが肝心のエミアは相手と会う度に傷つきながらもアリオス殿下との婚約関係を望み続けた。
本当なら娘が泣いて嫌がっても婚約を終了させる判断こそが父親である公爵には必要だったのかもしれない。
しかし今更何を言ってもたらればにしかならないだろう。判断が遅れたのは彼だけではない。エミアも私もだ。
私は愛娘の声で父に告げる。
「お父様、私はもうアリオス殿下の婚約者で居続けることは無理です」
「……そうか、わかった」
お前は何も心配しなくていい。
そう告げるとシュタイト公爵は私の頭を幼子にするように撫でた。
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