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そして彼女はいなくなった

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「ううっ、どうしてだよ……クレア!」

 そう情けなく鼻をグズグズさせながら目の前の青年が悲嘆にくれています。

 彼の名はニール・コクラン。

 コクラン伯爵家の次男で今年十八歳になる私の主です。
 
 そして私の名はレイヴン。

 捨て子なので姓はありません。

 名前は保護される直前大量のカラスに群がられ突かれていたからだそうです。

 まだ赤子だった私に当時の記憶はありません。

 おかげで気が付いたら隻眼でした。五体満足で片目が見える分だけまだ幸いと思うことにしております。 

 その後、私はコクラン家が支援している孤児院で育ちました。

 そして八歳の頃に従者見習いとして伯爵家に雇われることになります。

 主な仕事内容は当時五歳だったニール様の遊び相手でした。

 伯爵家の次男坊として甘やかされ放題だったニール坊ちゃまははそのまま子供のような大人になりました。

 馬鹿で傲慢で間抜けな貴族のバカ息子。

 それが世間からのニール様の評価です。

 私もほぼ同意見でございます。

 きっと彼のご家族も正当な評価だと受け止めてらっしゃると思います。

 ただコクラン伯爵家は「身内贔屓」と「馬鹿な子ほど可愛い」を拗らせてる方々ばかりなのです。

 だからニール様はこの年でも甘やかされ切ったお坊ちゃんのままでいらっしゃいます。

 欲しいものは絶対手に入れる、家の金を湯水のように使う、苦い薬は飲まない、人の意見は聞かない。
 
 そんなどうしようもない彼ですがある日一人の少女に恋をしていました。

 彼女はクレア・アンバー。菓子屋で働く平民の娘です。

 母を幼い頃亡くし、酒浸りの父の代わりに家計を支える働き者で健気と評判の少女でした。

 ニール様は気まぐれでに寄った菓子屋で自分に微笑みかける彼女に運命を感じたらしいです。

 随分と安い運命だと思います。

 その日から彼はせっせと菓子屋に通い詰めました。

 この三年であの店は一生分稼いだことでしょう。私も一生甘いものは口にしたくありません。

 館の使用人たちも大体は同意見でしょう。

 その間、当然ですが色々ありました。

 冬でも薄着だったクレア嬢は季節ごとのドレスを手に入れ、憧れだった演劇学校に通い始めました。

 当然出資したのはニール様です。

 彼女には事故で片足を失って以来仕事を辞め金銭を娘に頼りきりで酒浸りな父親がおりました。

 そんな屑親父の前に私を引きずっていき「こいつだって片目が無くて性格も悪いけど一応まともに働いているんだぞ!」と説教したのもニール様でした。

 正直泣かそうかと思いました。

 けれど結果としてクレア嬢の父親は働き始めました。

 仕事先を斡旋したのは伯爵家ですが本人にやる気がなければ就職は叶わなかったでしょう。

 私も励ました甲斐がございました。

 けれど見習い期間は薄給で、稼ぎ頭だったクレア嬢は学生生活を始めた為就労時間が激減。

 この父子に貯金がある筈もなく、そのままでは生活に困窮するのは目に見えております。

 なので父親の給料がある程度の額で安定するまでニール様は自分の小遣いから彼らを支援していました。
 
 だから趣味の食べ歩きも存分に出来なくなりかなりお痩せになりました。

 けれど献身の甲斐あってクレア嬢からお付き合いの許可が出たのが一年前。

 そして彼女が卒業した一年後に結婚する筈でした。

 そのままだと身分が釣り合わないためクレア嬢と彼女の父の了承の上で貴族と養子縁組をさせる話も進んでおりました。  
 
 しかし結果は現状です。

 卒業式を一週間後に控えた本日、ニール様の婚約者は他の男と駆け落ちしてしまいました。

 相手は彼女が勤めていた菓子屋の店主です。確かに女性に好かれそうな容姿をしていました。

 年齢は三十代前半だったと聞いています。

 つまり、そういうことだったのです。

 クレア嬢は恋人がいながらニール様の求愛を受け入れた。

 それは貧しい苦しい生活から抜け出したかったからでしょう。

 その気持ちは私もわかります。

 幼い頃の彼の我儘に振り回される度「カラスに食われるよりはマシ」と耐えてきましたから。

 でもだったら彼女も最後まで耐え抜くべきだった。

 もしくは最初から受け入れるべきではなかったのです。

 クレア嬢は最悪な結果を選んだ。

 貢がせるだけ貢がせた男を捨て、本命の男とともに消えるという下衆な真似をしました。

 けれどニール様は彼女を惜しんで泣き喚くのに罵ることは決してされない。


「どうして、僕の方があんな奴より若くて金持ちで貴族なのに!絶対君を幸せにできたのに!」

「クレア様はニール様と同意見ではなかったのでしょう」

「うるさい、馬鹿レイヴン!!主人を慰めるぐらいしろ!」

「そんなに落ち込まないでください。哀れ過ぎて逆に笑えます」

「お前、人の心とかないのか?」

「そうですね、脚本家を呼んで喜劇に仕立て上げて貰うのは如何でしょう?」 

「……ああもうっ、父様に言いつけてクビにしてやるぞ!この人でなし!!」


 幼い頃の口癖を久しぶりに聞いて本当に笑ってしまいました。

 けれどこれ以上揶揄うのも可哀想です。私は表情を戻し彼に問いかけました。

 
「それで、どういたしますか?」 
 
「どうって……」

「クレア様を探し連れ戻すことは伯爵家の力を使えば可能だと思いますが」


 ただ妻として迎えるのは難しいかと。

 私がそう言うとニール様は暗い表情を浮かべます。

  
「いや、いい……無理やり妻にしても、クレアはきっと僕を愛することはないだろう」


 彼女の悲しそうな顔は見たくない。

 そう言いながら彼は再び鼻をグズグズさせ始めます。

 予想通りの回答と想像通りの情けない泣き顔です。

 これだけ無様に泣いて慕う女をそれでもこの方は諦めると言うのです。


「……本当に仕方のない坊ちゃまですね」


 私は溜息を吐きながらハンカチでその鼻を拭いました。

 そんなの今更気づいても遅すぎるのです。
 
 クレア嬢は既に「権力で無理やり婚約者にされた」と長年被害者意識を抱え込んでいたというのに。

 彼女が貴男を憎み蔑み利用したことはあっても愛したことなどただの一度もなかった。

 貴男からの贈り物は全部駆け落ち資金にする為売られておりました。


「うるさい、はあ、クレア……クレアぁ……」

「最早鳴き声ですね」

「うるさい、うう、ぐすっ」

「そういえば彼女の父親はどうしますか。娘の不義の責任を取る立場ではありますが」


 最低限貢いできた学費や生活費を返還させたりはしないのかと私は彼に問いかけます。 

 けれどニール様はぽかんとした顔をされました。


「えっ、いいよそんなの。あの男が稼げる筈ないし」


 貧乏人から金を巻き上げたら餓死するしかないだろ。

 みっともなく泣きべそをかきながら言う彼に私は「わかりました」と答えました。

 この青年は本当に、傲慢で特権者意識が強くて人の心に疎くて。

 けれど中身はびっくりするぐらい情に溢れていて優しいから嫌になります。


「では父親の方には何もしないよう手配いたしますね」

「ああ?うん、頼むよ」


 そう言いながらうとうとしだしたニール様をベッドに誘導し寝かしつけます。

 この方が泣き疲れると眠くなるのは子供の頃からです。

 彼が安らかな寝息を立て始めてから私は部屋を出ました。

 長い廊下には窓が規則的な間隔で並べられています。そこから見えるのは伯爵家の領地である広大な森です。

 今は夜が訪れている為、木々の緑が目に入ることはありません。

 いつもなら静かな闇だけが支配する時間です。

 なのに今夜はカラスが自棄に騒がしい。

 私は窓を開け問いかけました。


「若い女の肉は、私の眼球よりも美味しかったですか?」


 彼に汚いものを見せたくないので欠片も残さず食べてくださいね。そして夜はお静かに。

 その言葉に返事をするように鳴き声が幾つか聞こえ、羽ばたき音と共にカラスたちは気配を消しました。

 あの者たちが本当にカラスなのかは私にもわかりません。

 捨て子である私には私が何者であるかすらわからないのだから。 

 けれどそんな曖昧な私でも確かな信念を持ち合わせております。

 執着や欲望と言い換えてもいいかもしれません。


「安心してください、ニール様。彼女の悲しい顔なんて二度と見ることはございませんよ」


 そして私は貴男が私以外の者の為に悲しむ顔を見たくないです。

 きっと貴男があの女を想う以上に。

 自らが開けた窓を閉め厚いカーテンを引きます。

 明日になれば甘ったるい菓子の匂いは冷たい風に連れ去られ、すっかり屋敷から消え去っていることでしょう。

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