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【39】悪霊令嬢、首を痛める

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「それって変じゃない?」


 私はベッドから抜け出してハイドラの正面に立つ。

 結んでない髪が体に纏わりついて鬱陶しい。

 長すぎるこの髪も、そして恋心を消す薬とやらもちっとも現実的じゃない。

 それを言うなら目の前に立っている美しい男こそが「有り得ないもの」の筆頭だけれど。

 派手な髪色と大きな花飾りをした「地味」な平民女生徒に、そんな少女を身分を笠に着て集団で虐める貴族令嬢たち。

 そして悪霊みたいに男子生徒に付きまとう女生徒が野放しにされている学院。

 そんな場所で生徒以上に好き勝手動いている一部の教師たち。

 正直、魔法とか精霊とかのファンタジー要素よりも職業意識とか倫理観の方に戸惑っている。

 私が前世の記憶を取り戻さなければそれらを異常だと感じることもなかったのだろうけれど。

 そもそも理事長だとしてもアヤナがここまで暴走できるのはおかしい。

 ただ同時に彼女なら仕方ないという諦念が自分の中にじわじわ広がっていく。それが怖い。

 この世界がゲームと全く同じなら私の精神もいずれ悪霊令嬢リコリスそのものに戻っていくのだろうか。

 そして又婚約者に嫌われながら付き纏う毎日を繰り返すのだろうか。そんなのは死んでも嫌だ。

 私は頭を振って嫌な考えを吹き飛ばした。髪が重くて予想以上に首に負担が来た。

  
「その治療というのがルシウスにかかっている魔法を解いたり、そういうものなら良いけれど……」

「恋心を消すというのが気に入らない?」

「それもあるわね。だって結局それはルシウスの心を別の感情で上書きするだけだから」

「優しいんだね」

「……別にそういうことではないわ、でも変でしょう」 


 そんなことが可能なら私を職員室に呼び出さずにさっさとルシウスに薬を使えば良い。

 リコリスをアヤナが犯人と決めつけて大騒ぎする必要は無かった。

 私がそう指摘するとハイドラは少し考える素振りを見せた。


「それは多分、姉貴……じゃなくて姉さんがルシウスと対面済みだからじゃないかな」

「……姉さん?」

「ああ、保険医に言われたこと思い出したんだ。言葉遣いが貴族にしては下品過ぎるって」

「下品というか……確かに姉貴呼びとかは貴族らしくないかもね」


 しかしそれを言うならローレルの姉のアヤナだって全く教師らしくない。

 私たちあれこれ口を出すよりも迷惑過ぎる自分の姉をどうにかするべきではないか。私はローレルに内心毒づいた。


「別に俺の能力で思い込ませればいいんだけど、アイツはそれなりに厄介そうだからさ」


 口調の方を微調整した方が良いかなって。へらりと笑う闇精霊に判断は任せると私は返した。

 確かにローレルは面倒臭そうだ。

 姉は予想以上に単純な性格をしていて勝手に暴走して自滅したが、その弟はよくわからない不気味さがある。


「おかしくなったルシウスを姉さんは知っている。抱き着かれてキスまでされたんだっけ?」 

「……そうよ」


 あの時のことを思い出すと首の後ろが熱くなる気がする。

 ルシウスが美形なのが悪い。そして狡い。


「そんな男が次会った時は自分に冷たくなっていたらどう思う」

「あの時は変な薬飲んだり錯乱していたのかしらと思うわね」

「……それだけ?」

「それだけと言われても……」


 だってルシウスが悪霊令嬢リコリスを嫌っているのはデフォルトの設定だ。

 寧ろ彼がリコリスを口説いたり抱きしめたりする方が異常事態だ。


「ああ、そっか。今のリコリスはアイツのこと好きじゃないからな」


 だからそんなに冷静でいられるんだ。そうハイドラに指摘されて私は曖昧に頷いた。


「でもアヤナもローレルもそんなこと知らない。寧ろリコリスの犯行だと決めつけた」

「そうね」

「だからルシウスを勝手に治療できなかった」

「それは……リコリスの犯罪を吊るし上げる為に?」

「それも否定しないけれど、リコリスの仕業だったらローレルの薬が効かないと思ったんじゃないかな」


 もしくは治療しても又闇魔法でルシウスを虜にすると考えたとか。

 ハイドラの指摘に私は自分の婚約者が洗脳と解除を交互に受け続ける姿を想像した。

 
「……精神の健康には良くなさそうね」

「そうだね。昔似たようなことをやられて廃人になった奴を知っているし」 


 解除も重ねがけも繰り返す内に効力が強くなっていくから対象者の心身が耐え切れなくなるんだよね。

 闇精霊は涼し気な顔で恐ろしいことを言う。

 ルシウスに対して色々思うところはあるが廃人になって欲しいとは決して思わない。


「だからローレルも姉さんが犯人じゃない方が有り難いと言っていたよ」

「……つまり職員室での件は私が犯人じゃないと確かめる為の騒ぎだったと言うの?」


 私が思いついたことを口にするとハイドラは「それはどうかな」と曖昧に答えた。
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