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83話 図書室での誓い【第一部最終回】
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「貴男にこの命を捧げます」
そう唐突に言われて思わず本を取り落としそうになる。慌てて掴み直したので床への墜落は免れた。
しかし唐突過ぎる。俺は傍らに立つカインを無言で見つめた。すぐに返せる言葉が思いつかなかったのだ。
約束通り図書室で待ち合わせた俺たちは、同じ本の感想について語り合った。
一巻を読み始めたばかりの俺と二十巻以上読み進めているカインでは当然知識に差がある。
それでも今まで物語について語り合う相手が居なかった彼はとても楽しそうで、時々先の展開を言いかけては慌てる姿も年相応で愛らしかった。
俺は別にそう言ったねたばらしをされても構わないのだがカインの信念からは外れた行為らしい。
つまりこの弟が思う存分愛読書の話を語ることが出来るように俺は読書の速度を上げる必要があるということだ。別にそれは苦行ではない。
カインが熱中し俺に薦めてくるのが理解できる程度にこの本は面白いし読みやすかった。
それに読書を習慣づけたことにより、なんだか頭が良くなった気がする。とりあえず知らない言葉は沢山覚えた。
得意げな気分になり、それをリヒトに報告したところ「今までが頭わるわる過ぎたんじゃない?」と鼻で笑われた。
そんな風に言いながらも俺が分からない単語について解説してくれる賢者は結局親切な男で、鏡の前に椅子を置き膝や足元に猫と目玉がじゃれつくのを好きにさせながら冒険譚を読む時間は穏やかで楽しいものだった。
そして菓子と紅茶を前に本の感想をカインと語り合うのも同じぐらい憩いの時だったのだが。
「この世界の全ての敵に回しても貴男を王にします」
なあカイン、俺たちは今そんな台詞が飛び出すような会話をしていたかな?
確か俺が気に入った登場人物が主人公の番外編があるという話をしていたよな?
それでその話が収録されている巻を今書棚の前で二人で探していたんだよな?
カインの考えが読めない。とりあえず俺も同じ気持ちだよと言っておけばいいのだろうか。いや駄目だな、同意するには物騒過ぎる。
それに、単純に「変」だ。この世の全部を敵に回さなくても俺は多分皇帝になる。そう、皇帝に。王ではない。
俺より賢いカインがそこを間違えるとは思えない。それにその台詞は最近どこかで目にしたような気がする。
一瞬真っ赤な部屋で寄り添う白黒の騎士たちの姿が脳裏に浮かんだが、すぐに否定する。
カインを無言のまま見つめ続けるのも気まずくて俺は視線を逸らした。そして先程取り落としそうになった本の表紙を何となく見る。
そこでようやく思い出した。俺はニヤリと出来るだけ豪快に笑って口を開く。
「心強いなきょうだい、今の俺にはお前だけが頼りだ」
物語の主人公である貴族の青年の台詞だ。多分こんな感じだったと思う。
正解だったらしくカインの表情が目に見えて明るくなった。成程、なりきり遊びがしたくなったのか。
感想を語り合う相手がいないならこうやってふざけ合う相手もいなかったただろう。
俺には従兄弟で同じ年のディストがいたけれど、今まで皇帝の息子という素性を隠し育てられていた彼には。
だからこうやってぎこちない戯れを仕掛けてきたのだ。ならば兄として付き合ってやろう。俺は役者気取りで声を張った。
「俺はこの国を捨てる、貴族の肩書も親も使用人連中もいらない。だがお前は必要だ、今日からお前は俺の弟と名乗れ」
物語の中、変わり者の貴族の青年は親や使用人からも馬鹿にされていた。そんな彼を唯一尊敬し慕っていたのは従者ただ一人。
だから青年は彼だけを連れて国を出た。そして船に乗り別大陸に行くのだ。その際に二人は義兄弟の契りを交わす。
確かにあそこは名場面だった。新天地に向かう解放感と高揚感、呑気そうな貴族の青年が見せた孤独と本音。
台詞回しも芝居がかっていたが逆にそれがよくて、だから物覚えが悪い俺も覚えているのだ。
「はい、兄上。俺は貴男の弟であり剣です」
「そうだ、お前は俺の剣で大切な弟だ。その誓いを忘れるなよ」
カインは厳かに力強く俺に答える。わざわざ足元に騎士のように跪いて。もしかしたら演じることが好きなのかもしれない。
彼は外見もいいし記憶力もある。役者になっても人気が出そうだなと思った。
そんなことを呑気に考えながら、弟の凛々しい表情に少し見惚れていた。すると彼の左右色違いの瞳からするりと透明な涙が零れる。
次々と流れ落ちるそれに俺はぎょっとした。慌てて自分も床に膝を着いてカインに視線を合わせる。
繊細な顔立ちは泣いているとまるで少女のようにも見える。彼の凛々しさは強い眼差しが感じさせるものだと俺は改めて気づいた。
「どうしたカイン! 腹でも痛くなったのか?」
思わず本から手を離し叫ぶ。彼は首を振って否定した。だが他に心当たりがない。
先程急に命を捧げると言われた時と違い、本当に突然の涙の理由がわからないのだ。
おろおろとしつつ大人を呼んで来ようと立ち上がりかけた俺の服をカインが掴んで止めた。七歳とは思えない力強さだった。
「違います、兄様。僕、なんだか凄く、嬉しくて……嬉しいのに悲しくて、」
だから涙が出てきたのです。そう告げるカインの声が何故か大人の男のもののように俺の耳に響いて。
けれど視線の先にいる彼は七歳の子供だった。
「兄様がずっと欲しかった言葉をくださるから、まるで夢みたいで、だから怖くなったのだと思います」
夢だったら覚めないで欲しい、そう祈るように呟く声は震えていた。彼は牢屋に入れられても平気だったのに。
「この本が好きでした、屋敷に居る時も毎日何回も読み返し続けました、自分に兄がいると知った時から、もっと好きになりました」
「カイン……」
「でも僕は兄様にとって悪者で、嫌われても仕方が無くて、でもいつかこんな風に一緒にこの本を読めたらって……」
そんなことを考えながら図書室通いをしていたとカインは俺に打ち明ける。
俺は彼と初めて面と向かって会話をした時のことを思い出した。顔を見るなりのごめんなさいと泣き出した彼に罪悪感を強く抱いたことを。
その場所も確かにこの図書室だった。カインが兄という存在にそこまで長く憧れていたなんて今まで知らなかった。
だからといって自分の犯した罪が軽くなる訳ではない。泣きそうになるのを堪えているとカインが俺の頬に手を伸ばしてきた。
「あたたかい……」
そう安堵とも恍惚とも言えない表情で口にするカインの手を払う気はない。夢幻ではないと確かめたいのだろう。
俺が無言で受け入れていると彼は手だけでなく全身で俺に触れてきた。抱き着いてきたのだ。
当然俺も弟の体温を感じることになる。温かいを通り越して熱い。
もしかしたら熱があるのかもしれない、額を彼の額に触れさせた。当たり前のように彼は俺の唇を吸った。
それは赤子が母の乳を吸うような自然さだった。だから俺は彼のどうしてそのような行動をしたのか問わなかった。
きっと説明されても理解出来ないだろうと思ったからだ。
「兄様が好きです、この世界の全てと引き換えにしてもいいと思いました。でも今は……兄様が優しくしてくれるこの世界を壊したくない」
ほら、やっぱり理解できない。カインの魂が当たり前のように孕む物騒さに俺はいつだって戸惑うばかりだ。
「世界を犠牲にする必要も壊す必要もない。そんなことしなくても俺はお前が大切だから」
「……僕が兄様を騙していてもですか」
「初めて図書室で会った時の、怪我の事か」
知っていたのですか。からからに乾いた声でカインが呟くから俺はその体を強く抱きしめた。
最初は気づかなかった。けれど途中から疑問を感じるようになっていた。
平気で牢暮らしをするカインが、大人の男の手の甲をペンで貫ける彼が。
他者に一方的に危害を加えられて怯え泣いたりするのだろうかと。
何より彼は怪我について誰かに傷つけられたなんて一言も告げていない。俺が勝手に俺付きの使用人の仕業だと想像を巡らせただけだ。
使用人の内情に詳しいトピアに訊いても、該当者は出てこなかった。当たり前だ。カインは第二皇子なのだ。
嫌がらせで怪我をさせて無事で済む人間など使用人にはいない。そして伯父上やディストも関与していなかった。
カインは俺の変容を即座に受け入れた訳ではなかった。図書室で待ち伏せていた俺を試し見極めた上で慕い始めたのだ。
でも責める気持ちは微塵もわいてこなかった。だって当たり前だろう、自分を嫌い続けていた人間が急に近づこうとしてきたのだから。
「ずっと、本当はずっと、言おうと思っていました、優しくしてくれるほどに辛くて、でも言えなかった……!」
「つらかったな」
「ごめんなさい、レオン兄様、あの時傷つけて、泣かせてごめんなさい、大好きなのに、傷つけてごめんなさい……」
「謝らなくていい、お前を傷つけたのは俺が先だ」
そうだ、謝らなくていい。お前を一方的に嫌って追放したのは俺だ。
だから、俺を殺した後でそんな風に悲痛に泣き叫ぶことは無いんだ。
ふと浮かんだ憐憫は誰に向けたものなのだろう。泣きじゃくる体を抱きしめる。
二十年後の俺たちもこのようにお互いを想い労り続けられるだろうか、今度こそ。
「カイン、俺は兄としてお前が幸せに笑ってくれるよう頑張るよ」
「ぼくもっ、兄様をこの世界で誰よりも、幸せにしますっ」
まるで結婚式の誓いのような台詞だと思いながら嬉しいよと答える。
引き換えにするとか、壊すとかそういう単語が入っていないだけで十分だ。
俺はこの可愛らしくも恐ろしさを秘めた弟とこの先も付き合っていく。恐ろしいのはカインだけではないけれど。
楽ではなくても、楽しくはあるだろう。苦労はしても報われもするだろう、きっと。
報われなくても慰めてはくれるだろう、あの口の悪い賢者辺りが。だから大丈夫だ。
白豚皇帝でも鮮血皇帝でもない存在に俺はなってみせる。
床に落とした本は船出の頁を開いていた。
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以前アルファポリス様で連載していた『無能な癒し手と村で蔑まれ続けましたが、実は聖女クラスらしいです。』が6/30に書籍化発売開始致しました。
老人ばかりの村で罵倒されながらこき使われ精神を病み切った医療系ヒロインが、女王様系騎士と兄貴系騎士とクールビューティー趣味は料理騎士にメンタルケアされ身と心と自尊心を回復して村を出るお話です。老人たちには雷が落ちますが死なないので安心です。お手に取って頂ければ幸いです。
そう唐突に言われて思わず本を取り落としそうになる。慌てて掴み直したので床への墜落は免れた。
しかし唐突過ぎる。俺は傍らに立つカインを無言で見つめた。すぐに返せる言葉が思いつかなかったのだ。
約束通り図書室で待ち合わせた俺たちは、同じ本の感想について語り合った。
一巻を読み始めたばかりの俺と二十巻以上読み進めているカインでは当然知識に差がある。
それでも今まで物語について語り合う相手が居なかった彼はとても楽しそうで、時々先の展開を言いかけては慌てる姿も年相応で愛らしかった。
俺は別にそう言ったねたばらしをされても構わないのだがカインの信念からは外れた行為らしい。
つまりこの弟が思う存分愛読書の話を語ることが出来るように俺は読書の速度を上げる必要があるということだ。別にそれは苦行ではない。
カインが熱中し俺に薦めてくるのが理解できる程度にこの本は面白いし読みやすかった。
それに読書を習慣づけたことにより、なんだか頭が良くなった気がする。とりあえず知らない言葉は沢山覚えた。
得意げな気分になり、それをリヒトに報告したところ「今までが頭わるわる過ぎたんじゃない?」と鼻で笑われた。
そんな風に言いながらも俺が分からない単語について解説してくれる賢者は結局親切な男で、鏡の前に椅子を置き膝や足元に猫と目玉がじゃれつくのを好きにさせながら冒険譚を読む時間は穏やかで楽しいものだった。
そして菓子と紅茶を前に本の感想をカインと語り合うのも同じぐらい憩いの時だったのだが。
「この世界の全ての敵に回しても貴男を王にします」
なあカイン、俺たちは今そんな台詞が飛び出すような会話をしていたかな?
確か俺が気に入った登場人物が主人公の番外編があるという話をしていたよな?
それでその話が収録されている巻を今書棚の前で二人で探していたんだよな?
カインの考えが読めない。とりあえず俺も同じ気持ちだよと言っておけばいいのだろうか。いや駄目だな、同意するには物騒過ぎる。
それに、単純に「変」だ。この世の全部を敵に回さなくても俺は多分皇帝になる。そう、皇帝に。王ではない。
俺より賢いカインがそこを間違えるとは思えない。それにその台詞は最近どこかで目にしたような気がする。
一瞬真っ赤な部屋で寄り添う白黒の騎士たちの姿が脳裏に浮かんだが、すぐに否定する。
カインを無言のまま見つめ続けるのも気まずくて俺は視線を逸らした。そして先程取り落としそうになった本の表紙を何となく見る。
そこでようやく思い出した。俺はニヤリと出来るだけ豪快に笑って口を開く。
「心強いなきょうだい、今の俺にはお前だけが頼りだ」
物語の主人公である貴族の青年の台詞だ。多分こんな感じだったと思う。
正解だったらしくカインの表情が目に見えて明るくなった。成程、なりきり遊びがしたくなったのか。
感想を語り合う相手がいないならこうやってふざけ合う相手もいなかったただろう。
俺には従兄弟で同じ年のディストがいたけれど、今まで皇帝の息子という素性を隠し育てられていた彼には。
だからこうやってぎこちない戯れを仕掛けてきたのだ。ならば兄として付き合ってやろう。俺は役者気取りで声を張った。
「俺はこの国を捨てる、貴族の肩書も親も使用人連中もいらない。だがお前は必要だ、今日からお前は俺の弟と名乗れ」
物語の中、変わり者の貴族の青年は親や使用人からも馬鹿にされていた。そんな彼を唯一尊敬し慕っていたのは従者ただ一人。
だから青年は彼だけを連れて国を出た。そして船に乗り別大陸に行くのだ。その際に二人は義兄弟の契りを交わす。
確かにあそこは名場面だった。新天地に向かう解放感と高揚感、呑気そうな貴族の青年が見せた孤独と本音。
台詞回しも芝居がかっていたが逆にそれがよくて、だから物覚えが悪い俺も覚えているのだ。
「はい、兄上。俺は貴男の弟であり剣です」
「そうだ、お前は俺の剣で大切な弟だ。その誓いを忘れるなよ」
カインは厳かに力強く俺に答える。わざわざ足元に騎士のように跪いて。もしかしたら演じることが好きなのかもしれない。
彼は外見もいいし記憶力もある。役者になっても人気が出そうだなと思った。
そんなことを呑気に考えながら、弟の凛々しい表情に少し見惚れていた。すると彼の左右色違いの瞳からするりと透明な涙が零れる。
次々と流れ落ちるそれに俺はぎょっとした。慌てて自分も床に膝を着いてカインに視線を合わせる。
繊細な顔立ちは泣いているとまるで少女のようにも見える。彼の凛々しさは強い眼差しが感じさせるものだと俺は改めて気づいた。
「どうしたカイン! 腹でも痛くなったのか?」
思わず本から手を離し叫ぶ。彼は首を振って否定した。だが他に心当たりがない。
先程急に命を捧げると言われた時と違い、本当に突然の涙の理由がわからないのだ。
おろおろとしつつ大人を呼んで来ようと立ち上がりかけた俺の服をカインが掴んで止めた。七歳とは思えない力強さだった。
「違います、兄様。僕、なんだか凄く、嬉しくて……嬉しいのに悲しくて、」
だから涙が出てきたのです。そう告げるカインの声が何故か大人の男のもののように俺の耳に響いて。
けれど視線の先にいる彼は七歳の子供だった。
「兄様がずっと欲しかった言葉をくださるから、まるで夢みたいで、だから怖くなったのだと思います」
夢だったら覚めないで欲しい、そう祈るように呟く声は震えていた。彼は牢屋に入れられても平気だったのに。
「この本が好きでした、屋敷に居る時も毎日何回も読み返し続けました、自分に兄がいると知った時から、もっと好きになりました」
「カイン……」
「でも僕は兄様にとって悪者で、嫌われても仕方が無くて、でもいつかこんな風に一緒にこの本を読めたらって……」
そんなことを考えながら図書室通いをしていたとカインは俺に打ち明ける。
俺は彼と初めて面と向かって会話をした時のことを思い出した。顔を見るなりのごめんなさいと泣き出した彼に罪悪感を強く抱いたことを。
その場所も確かにこの図書室だった。カインが兄という存在にそこまで長く憧れていたなんて今まで知らなかった。
だからといって自分の犯した罪が軽くなる訳ではない。泣きそうになるのを堪えているとカインが俺の頬に手を伸ばしてきた。
「あたたかい……」
そう安堵とも恍惚とも言えない表情で口にするカインの手を払う気はない。夢幻ではないと確かめたいのだろう。
俺が無言で受け入れていると彼は手だけでなく全身で俺に触れてきた。抱き着いてきたのだ。
当然俺も弟の体温を感じることになる。温かいを通り越して熱い。
もしかしたら熱があるのかもしれない、額を彼の額に触れさせた。当たり前のように彼は俺の唇を吸った。
それは赤子が母の乳を吸うような自然さだった。だから俺は彼のどうしてそのような行動をしたのか問わなかった。
きっと説明されても理解出来ないだろうと思ったからだ。
「兄様が好きです、この世界の全てと引き換えにしてもいいと思いました。でも今は……兄様が優しくしてくれるこの世界を壊したくない」
ほら、やっぱり理解できない。カインの魂が当たり前のように孕む物騒さに俺はいつだって戸惑うばかりだ。
「世界を犠牲にする必要も壊す必要もない。そんなことしなくても俺はお前が大切だから」
「……僕が兄様を騙していてもですか」
「初めて図書室で会った時の、怪我の事か」
知っていたのですか。からからに乾いた声でカインが呟くから俺はその体を強く抱きしめた。
最初は気づかなかった。けれど途中から疑問を感じるようになっていた。
平気で牢暮らしをするカインが、大人の男の手の甲をペンで貫ける彼が。
他者に一方的に危害を加えられて怯え泣いたりするのだろうかと。
何より彼は怪我について誰かに傷つけられたなんて一言も告げていない。俺が勝手に俺付きの使用人の仕業だと想像を巡らせただけだ。
使用人の内情に詳しいトピアに訊いても、該当者は出てこなかった。当たり前だ。カインは第二皇子なのだ。
嫌がらせで怪我をさせて無事で済む人間など使用人にはいない。そして伯父上やディストも関与していなかった。
カインは俺の変容を即座に受け入れた訳ではなかった。図書室で待ち伏せていた俺を試し見極めた上で慕い始めたのだ。
でも責める気持ちは微塵もわいてこなかった。だって当たり前だろう、自分を嫌い続けていた人間が急に近づこうとしてきたのだから。
「ずっと、本当はずっと、言おうと思っていました、優しくしてくれるほどに辛くて、でも言えなかった……!」
「つらかったな」
「ごめんなさい、レオン兄様、あの時傷つけて、泣かせてごめんなさい、大好きなのに、傷つけてごめんなさい……」
「謝らなくていい、お前を傷つけたのは俺が先だ」
そうだ、謝らなくていい。お前を一方的に嫌って追放したのは俺だ。
だから、俺を殺した後でそんな風に悲痛に泣き叫ぶことは無いんだ。
ふと浮かんだ憐憫は誰に向けたものなのだろう。泣きじゃくる体を抱きしめる。
二十年後の俺たちもこのようにお互いを想い労り続けられるだろうか、今度こそ。
「カイン、俺は兄としてお前が幸せに笑ってくれるよう頑張るよ」
「ぼくもっ、兄様をこの世界で誰よりも、幸せにしますっ」
まるで結婚式の誓いのような台詞だと思いながら嬉しいよと答える。
引き換えにするとか、壊すとかそういう単語が入っていないだけで十分だ。
俺はこの可愛らしくも恐ろしさを秘めた弟とこの先も付き合っていく。恐ろしいのはカインだけではないけれど。
楽ではなくても、楽しくはあるだろう。苦労はしても報われもするだろう、きっと。
報われなくても慰めてはくれるだろう、あの口の悪い賢者辺りが。だから大丈夫だ。
白豚皇帝でも鮮血皇帝でもない存在に俺はなってみせる。
床に落とした本は船出の頁を開いていた。
---
以前アルファポリス様で連載していた『無能な癒し手と村で蔑まれ続けましたが、実は聖女クラスらしいです。』が6/30に書籍化発売開始致しました。
老人ばかりの村で罵倒されながらこき使われ精神を病み切った医療系ヒロインが、女王様系騎士と兄貴系騎士とクールビューティー趣味は料理騎士にメンタルケアされ身と心と自尊心を回復して村を出るお話です。老人たちには雷が落ちますが死なないので安心です。お手に取って頂ければ幸いです。
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