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80話 鮮血の夢

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 最初は父上かと思った。

 けれど彼にしては随分と弱気な表情をしていたので別人だとすぐに気づいた。

 片方だけが不自然に長い前髪は金色をしていて、一つだけ見える瞳は青だった。

 がっしりとした体格に白銀の鎧とワインレッドのマントを身に着けていて帯剣もしている。

 それでも戦士に見えないのは、その表情のせいだろう。彼は豪奢な椅子に腰掛けながら困り切った顔を浮かべ続けている。

 確実に成人済みであるとわかるのに迷子になった子供のような頼りなさだ。

 その足元には黒い鎧の騎士が傅いている。そのマントも主君と同じ赤色だった。

 その男の影も赤い色をしている。マントよりも濃く、暗い赤だ。

 こちらからは背中しか見えないのに、黒い騎士が満たされた気持ちでいるのだけはわかる。

 そして満足しているのは彼だけだということも。

 弟から血生臭い忠誠を捧げられた男はひたすら困惑している。逃げ出すこともできないだろう。

 彼は皇帝という見えない鎖で玉座に縛り付けられている。簒奪されるか死ぬまでその椅子に座り続ける定めだ。

 権力はあっても自由は存在しない。けれど男が困り果てているのは籠の鳥の立場ではない。


「……フラヴ国王だけでなく、その娘たちも殺したのか」

「はい、兄上」

「姫たちは父王の計画を知らなかったと聞いた。 ……同盟者として余を歓待する、それだけを聞かされていたと」

「そうですね。だから晒し者にはせず俺が直々に斬り捨てました」


 それが一番楽に死ねると思ったので。

 彼の言葉に娘たちに対する慈悲はない。ただ目の前の存在への無邪気な媚だけがある。

 善意の行動なのだ。敵国の姫を殺すと言う選択肢の中で最良のものを選んだと思っている。

 そのことを黒騎士の兄は知っていた。だからこそ溜息すら吐けないのだろう。

 実際、殺すしかない相手だった。同盟を持ち掛けた上に酒宴の席で騙し討ちにしようとする王と、それに連なる者は悉く。

 けれど白い鎧の皇帝の表情は煮え切らない。きっと顔合わせの際に花を渡してきた末姫のことでも思い浮かべているのだ。

 まだ六歳だったか。下手糞な笑みを浮かべ童女から南国の花を受け取っていた彼の姿に威厳などなかった。

 子供の扱いを知らぬ独身男の情けなさでなく、周囲を凍てつかせるような冷徹さを男が身に纏っていたなら今頃大広間は血に染まっていなかったかもしれない。

 そう口に出したなら次に床へ落ちるのは己の首だろう。だから代わりの言葉を吐き出す。


「……辱めも拷問も受けず姫として死ねたのは幸せだと思うけど。自分に置き換えてみなよ、皇帝陛下」


 奴隷として飼い殺しにされあらゆる尊厳さえ奪われた末にやっと死ぬよりもずっとましだ。

 だからあんたは、あの日それを選んだのだろう?その台詞は噛み殺す。

 
「俺たちは誰も悪くない。フラヴ国王が悪い。あの世で娘たちに詫びるのも悔いるのも全部あのおっさんの役目だ」


 今頃兵士たちによって城壁に磔にされ、臓物さえも見世物にされている筈だ。

 自業自得でしかないその末路さえこの男は憂うのだろう。そして黒騎士が慰めるのだ。それは完全に逆効果でしかないけれど。

 疲れ切った口調で皇帝は言葉を吐き出す。


「……フラヴ国が、敵に回るなんて考えたことはなかった。いや、違う。周辺国がここまで敵ばかりになるとは……」


 子供の頃の安穏な暮らしが嘘のようだ。そう顔を覆い逃避する彼を黒騎士が抱きしめた。白い鎧が赤く汚れた。

 髪も鎧も黒いから目立たないが、滴る程に血を浴びている。

 兄を避難させた後、王を含め数十人を殺したから仕方ない。王族だけでなく広間にいた使用人さえ皆殺しにした。

 その凄惨さは他国への見せしめとしては有効だ。二度とこのような裏切りが軽はずみになされないように。

 彼がそこまで計算して殺戮を行ったかは分からないけれど。 


「大丈夫ですよ、兄上。全ての国が敵に回っても勝者は貴男ただ一人です」 

「カイン……」

「逆らう者を全て殺し尽くせばこのように辛い思いをしなくてよくなります。御身を傷つけない世界だけが残る」


 もうすぐですよ。

 微笑む弟の抱擁で血に染められた皇帝は心底疲れ切った表情をしていた。

 黒騎士は己を忠犬だと思っているが、彼以外の人間は狂犬だと認識している。けれどそれを指摘する人間はいなかった。

 皇帝の青い目が離れた場所にいる俺を見ている。淡い期待を俺は感じ取った。

 歯に衣着せぬ物言いの俺ならこの黒い男へ真実を告げてくれるかもしれない。そんな期待だ。俺は無視をする。

 お前の為にそんなことをしてやる義理は無い。本当にない。恨みしかない。 

 俺はお前が闇に堕としたその男が嬉しそうに笑っていればそれでいいんだ。たとえ、狂気の笑みだとしても。

 救われたいなら、別の道を選びたいなら自分自身でそれをやるべきだ。


「ネクロマンサーに悪用されない内に姫たちの死体焼いとくね」


 そう言って姿を消す。二人だけが残った血生臭い部屋でその後何が起きるかなんて興味ない。

 もやもやとした感情は罪悪感ではない。後悔でもない。

 失敗したなんて、俺は思っていない……。


 □■□■



「……は?」


 薄暗い室内で俺は呟く。喉がからからに乾いていた。空気だけは朝だがカーテンに覆われた部屋は明るくない。

 起床するには早すぎる時間に目が覚めてしまった。しかも今まで眠っていたとは思えないぐらい疲れ切っている。

 随分と長く、重苦しい夢を見ていた気がする。その癖内容は思い出せない、損をした気分だ。

 自分で自分を見ているような、けれど途中で他人の視点に切り替わるような、そんな気持ちの悪さは覚えていた。 

 ディストに体を奪われた際のトピアの意識について考えたりしたからだろうか。頭痛を感じて身を起こした。

 すると枕の横で黒猫が丸まっていることに気づく。珍しい位置で寝ている。まじまじと見ているとあることに気づいた。

 柔らかな腹に包まれ埋もれるように眼球が鎮座している。二度見したがそれは確かに眼球だった。


「あっ」


 彼の本来の居場所である机に視線を移した後、俺は小さく声を上げる。

 眼球の寝室である引き出しが開いていたのだ。俺は子猫と眼球を交互に見つめた後溜息を吐いた。

 どちらの仕業かわからないが、机には鍵をつける必要がある。

 そして今日は使用人たちが起こしに来る前に目を覚まさなければいけない。眼球を引き出しに戻す為に。

 俺は二度寝をすべく枕に頭を乗せた。片方の手で何となく猫を撫でる。

 すっかり相棒となった眼球を取り上げなかったことに免じてかムクロは俺の行動を黙認した。単に寝ているのかもしれない。

 暖かで滑らかな毛並みの心地よい感触に先程までの憂鬱な気持ちが霧散していく。睡魔の訪れを感じ俺は目を閉じた。
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