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70 鳥籠を壊す

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 この一件が片付けば前と同じ状況に戻るという考えは甘過ぎた。

 ただ、もしアーダルがカイン付きの教師という立場で居辛いということなら城を出る以外の方法もあるのではと考えた。

 しかしトピアを通じて引き合わせて貰った彼は俺の言葉に首を振った。


「有難う御座います。第一皇子殿下。けれど私は城に居辛くなったのではなく居る理由が無くなったのです」

「居る理由が無くなった?」

「……私が伯爵家に頼み込んでまで教師として城についてきたのは、兄の指示でした」


 年の離れた腹違いの兄です。その言葉に俺は一瞬凍り付く。

 冷水を浴びせられたような感覚と同時に、だからかという納得が胸に落ちた。

  
「前妻が病気で亡くなった後、父は他国で暮らしていた愛人とその息子を屋敷に呼び寄せました。兄が私たちを毛嫌いしても仕方がないですね」

「それは……」

「しかし母は父の長年のお気に入りでした。侮辱したり反抗的な態度を取るだけでも父は兄を厳しく叱った」


 十年近く片道三日かけて会いに来ていたぐらいだ。そうアーダルは続ける。


「各地を転々とする踊り子だった母はこの国で父と出会った。けれど正妻と比べられるのは嫌だとあえて帰国したのです」 


 あるいは父が自分との逢瀬の為に時間と金を費やすことで自尊心を満たしていたのかもしれません。

 情けないことだが男女の関係というのに俺は詳しくはない。しかしそれでも厄介な女性だということはなんとなくわかった。 

 そしてとても魅力的な女性なのだろうということも。だがその恋愛に巻き込まれる子供は苦労するかもしれない。いや、したのか。

 私がこの国に連れて来られたのは彼女のおまけみたいなものです。褐色肌の教師は軽く笑った。


「少年だった私の話し言葉を馬鹿にしたのは兄です。兄以外からもされましたが。気が狂いそうになるほど侮辱してきたのは彼だけでした」


 殿下を侮辱しようとして失敗した時のことを覚えていますか。

 そう質問されて俺は神妙に頷く。あの取り乱し具合は忘れようと思って忘れられるものではない。


「昔は今よりもずっとこの国の言葉に不慣れで、兄の前でよくああなっていました。彼は面白がってもっと追い詰めてきましたが」


 泣き過ぎて呼吸が上手くできなくなって気絶したこともありましたね。アーダルの言葉に俺は表情を歪める。


「馬鹿にされるのが辛くて、苦しい思いをしたくなくて必死に勉強しました。結果マルドゥク伯爵家に教師として雇っていただくことができました」

「……よく頑張ったんだな」


 上手い言葉がとっさに思いつかず無難な労りを口にする。

 しかし彼は俺の陳腐な言葉に大きく目を見開いて、それから苦く笑った。


「伯爵家に仕える暮らしは緊張もしましたが穏やかでもありました。やりがいもあったし、何より虐げられずに済んだ」


 彼らは私を雇用する立場でありながら、私に礼節をもって接してくれた。

 そう語るアーダルの言葉に俺は彼の実家である子爵家に悪感情を抱いた。単純だと思われてもいい。


「しかしカイン様がこの国の第二皇子だと発表されてからは心穏やかな暮らしは遠くなりましたね」


 溜息をつきながら教師は言う。それはそうだろうなと同意したが、彼の苦労は予想以上だった。


「私を蔑んできた兄が、さっさと消えろと言い続けてきた兄が方々で私の自慢をし始めたので」


 正確に言えば皇子付きの教師を輩出したラシュト子爵家の自慢ですけれどね。

 鼻で笑いながら言うアーダルに俺はどう返していいかわからなかった。


「カイン様が城に上がる時、私は教職を辞するつもりでいました。子爵家でその旨を報告したら絶対許さないと言われましてね」


 命令してくるだけなら頷かなかったが、初めて私を弟扱いして頼りにしていると言われました。

 それが誰の発言かアーダルが触れなくてもわかった。だからこそ胸が痛む。


「最初は嬉しかったです。でも兄はどんどん増長してきた。第二皇子でなく次期皇帝付きの教師を目指せと言って来る程に」

「それって、俺付き……ではないか」

「第一皇子殿下、御身に対する下級貴族の評価は引きこもりがちの病弱な皇子です。……若干太り気味とも」

「遠慮せず白豚と言っていいぞ。しかし俺はそこまで病気がちではないと思うのだが……母の影響か」


 そうか。病弱か。なんとなくわかってきた。

 病弱で愚鈍な白豚長男と、突然現われた健康で賢く外見もいい次男。

 父が「後継者」を連れてきたと誤解する者がいてもおかしくはない。

 というか前回アーダルが言いかけた白豚という悪口も兄経由か。ろくでもない兄だ。人の事は言えないが。


「けれどカイン様にその意思は全くないことは知っていました。意思があったとしてもなれるものでもありませんが」


 いやカインは意思があれば革命と皇帝殺しは成せる男だぞと教えたくなったが口を噤んだ。


「しかし兄は勝手に妄想を膨らませて増長していく。皇帝の側近の兄である自分を想像して。反逆罪で捕縛されないか心配になるぐらいに」


 子爵家に行くのを控えたら手紙で伝えてくるので厄介さが逆に上がりました。そう語る教師に同情した。

 ちなみにその手紙の束はトピアに渡してあります。そう告げられて驚愕する。

 トピアはグランシー家の手の者、渡してはいけない相手としてかなり高い順位にいる人間である。


「わかっています。彼女が本当は第一皇子殿下に仕えているということは。確認したところ首肯され腹心だと告げられましたし」


 全然わかっていないが。トピアもトピアで肯定はまだしも腹心ってなんだ。ディストに言いつけるぞ。

 しかし今ここで彼の正体を話す訳にもいかない。アーダルがあの時のように取り乱すかもしれないからだ。


「私はラシュト家を捨てます。皇子に無礼を働いて城を辞めさせられたと言えばラシュト家も私を勘当するでしょう」

「そうか……」

「カイン様と御身を見て、私と兄は結局兄弟ではなかったと気づきました。血は繋がっていても絆はなかった」


 しみじみと語る褐色の教師に何を言っていいか分からない。彼がそう思うのなら、そうなのだろう。そう考えるしかない。

 だってこれから動き出すのはアーダルの人生なのだから。


「異母弟を疎ましく思い避けていたのに、一年で受け入れることが出来た。更に弟を救う為に心を砕き、将来まで見守ると誓った」


 どうしてですか。そう静かに問われ答えに窮する。受け入れなければ破滅が待っているからだ。答えるのは簡単だが、その答えは今適切ではない。

 兄に虐げられてきた異国の男が、兄である俺に求めるのは。


「急に弟が居ると知らされて、最初は気に入らないと思った。でもよく考えれば別にカインが悪いわけじゃない」


 だから避けるのを止めようと思った。そう答える。つまらない理由だ、だが嘘ではない。


「……お前が悪いわけじゃない」

「えっ」

「お前が悪いわけじゃないと、一度だけ私に仰って頂けませんか」


 そうアーダルに跪かれ、言われたとおりにする。

 彼は兄上と呟いて暫く無言になった。

 なんとなく俺はそんな彼を包み込むように抱いた。大人と子供なので当然不格好な姿勢になったが。

 
「無礼な事ですがカイン様と己を重ねていました。自分の代わりに受け入れられて欲しくて、愛されて欲しくて、幸福になって欲しくて、歪みさえも理解されて欲しくて」

「そうか」

「でもそれは押し付けでしかない。私とカイン様は別の人間です。代理にしてはいけない。だから離れるのです」

「それがちゃんとわかるアーダルは賢いな」

「私はフラヴに帰ります。歌と踊りと物語に満ちたあの国で私は自分を作り直したい。恩も返さず去る私をお許しください、殿下」

「構わない。お前は自由になっていい」


 ただ俺が三日かけて会いに行ったら、その時は物語を聞かせたり観光案内してくれ。

 そうおどけた口調で告げると震えた声で了承が聞こえた。

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