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64話 自室にて、黒猫と

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 アーダルとの対面を終えて、トピアとも別れて俺は自室へと戻った。扉を内から閉じた途端気が抜けて床に座り込みそうになった。

 やはり緊張し続けていたのだろう。この後もやることは幾らでもある。

 だがそれでも一仕事終えた脱力感はあった。

 先住者のような顔をした黒猫が鳴きもせずそんな俺を見つめる。


「ムクロ」


 そう名前を呼んでも答えもせず、子猫は鏡の前まで歩くと器用に隠し布を口と前脚で取り払った。

 
「子豚ちゃん、おかえりー」

「ただいま」


 間延びした声と同時に盲目の賢者が鏡の内側に現れる。
 
 その挨拶に俺に対する敬意は全くなく、ざっくばらんとした労りしかない。だからこそ気を遣わずに済む。

 この部屋でなら、彼の前でなら俺は第一皇子ではなく子豚でいられるのだ。

 そんなことに安堵する。きっとこの先何度も同じ感情を「おかえり」という彼の声に抱くのだろう。

 カインに対するアーダルの忠義を羨ましいと思ったが、俺はこれぐらいの関係の方が一番楽でいられるのかもしれない。

 第一皇子である俺に対し、こんな態度を取れる人間なんてリヒトぐらいしかいないけれど。

 俺は鏡の前に椅子を移動させ、そこに座りながら先程までのことを彼に話した。

 座った途端ムクロが飛び乗って来たが、求めていないのに撫でると怒る猫なので放置しておく。

 俺は小動物のぬくもりを膝に感じながらアーダルたちとの会話を賢者へと伝える。
 
 教師の動機を聞き終わった後、リヒトは大袈裟に溜息を吐いた。


「はあ、バカバカしい。カインがやばい奴だなんて俺も子豚ちゃんも知ってるし何なら体が覚えてるっての」


 空回りして余計な騒動を起こしやがって。

 賢者の口の悪さを俺は「こら」と窘めた。流石に言い過ぎだ。


「大体そんな事情をこの世界の人々は知らないだろ」

「それはそう」


 俺の指摘に対しリヒトはあっさりと同意する。

 素直だが発言を訂正する意思はないらしい。俺はそれ以上の追及や説教を諦める。

 どうせ俺以外彼の口の悪さを知る者も実際耳にする者もいない。

 飼い猫と同じように、そういう生き物だと思って付き合うのが一番正しい気がした。
  
 ただ時々その毒舌に自傷めいたものが混じるのが痛々しい。俺が勝手にそう感じているだけかもしれないが。


「それにアーダルが動かなければ、カインは俺に自分の性質を打ち明けなかった」

「打ち明けるというか、無理やり晒されたって感じだけど」

「そうだな、確かにアーダルのカインに対する挑発は強引だった。事件を計画する前に俺に話して欲しかったが……」

「子豚ちゃんあっちの陣営に信頼されてないから無理だね」

「……そうなんだよな」

「それに向うは向うでカインがどれぐらいやばい奴なのか判断できてないんじゃないの?」


 だから事前に試験する必要があった。そう教師のようなことを言ってリヒトは鏡の中でふわふわと浮く。

 
「カインが昔やらかしたって言ってもさ。それは子供特有の一時的な残酷さだったり、今は反省している可能性だってあるわけだし」


 俺たちは絶対そんなことないって知っているけど。

 へらりと笑いながら同意を求められるが、俺はそれに頷かなかった。


「しかし掌にペン貫通はなかなかにいい落としどころだったよね、流石カイン」


 流石に喉を突いて殺すのは不味いし、教師はちゃんと手加減して貰ったよね。

 だから今回のカインは大分扱いやすいと思うよ。

 リヒトの言葉に俺は目を丸くする。


「え、気づかなかったの子豚ちゃん。手の甲貫ける力があるなら喉にペンぶち込むことなんて簡単でしょ」

「それは……そうかもしれないが」

「剣なんてなくてもあいつの筋力自体が凶器だよ、まだ子供でも侮れないね」

「そういや伯爵家では狩りに連れていかれたとか言ってた……」

「馬鹿なの?無力化したいなら寧ろ子豚ちゃんみたいに部屋に軟禁して筋肉落とさせろよ」

「狩りを通じて生き物ってこんなに簡単に死ぬんだってことを教えたかったらしいが……」

「それ生き物の殺し方を的確に教えてるだけじゃん?」

「でもそのお陰でアーダルは手加減して貰えたのかもしれないし……役には立ったと思う」


 流石にカインが恩師を殺して平気な人間だったら俺も仲良くできるか難しい。

 そう俺が告げると「そんな呑気な事も言ってられなくなるかもね」と賢者が言う。

 その声に冷たさを感じて、俺はリヒトを見つめた。


「カインはやりすぎる部分があるけど、この世界って別に平和じゃないから。それは知っておいた方がいいよ」


 それとあんたの従兄弟の方がカインの数十倍は人殺している変態だから。

 突然ディストの話題を出し、盲目の賢者は鏡から姿を消してしまう。

 彼の告げた内容を頭の中で何度か反芻。


「……つまり、俺の周りには危険人物しかいないってことか?」


 いやリヒトが語ったのはこの世界ではなく、鮮血皇帝もしく白豚皇帝の時代のディストだろう。

 流石にこの世界のディストは大量殺人はまだしていない筈だ。


「いや、この先もして欲しくないけれどな」


 俺は自らの考えに突っ込む。

 そうか、カインだけでなくディストのことも確認しなければいけないのか。

 というかそろそろディストとちゃんと話さなければいけない気もしている。可能なら弟とも引き合わせたい。

 機嫌を損ねたのか鏡の中から姿を消した賢者を待つのを止めて俺は寝台に寝転ぶ。

 リヒトはたまにこういうところがある。

 猫みたいに気まぐれなのだと受け入れられないのは、消える直前の彼が辛そうな表情をしているからだ。

   
「……もう少し、心を預けてくれたらいいのに」


 俺が頼りにならないことはわかっているけれど。

 鏡の前に置きっぱなしにした椅子には黒い子猫が代わりに座っていた。


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