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62話 独裁者の剣

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「大奥様がカイン様を避けるようになったのは、飼い猫を傷つけられた怒りや恐怖からだけではありません」


 そう伺っています。アーダルは静かに語る。

 俺は内心困惑した。腹違いの弟の母方の祖母。可愛がっていた孫を遠ざけ始めた理由が嫌悪からではないと教師は言う。

 ならば顔も知らないなりに今までイメージしていた彼女の人物像を書き換える必要があるかもしれない。


「貴方を愛していた、けれどもう愛せない。顔を見るのも恐ろしい。そう書いた手紙を彼女はカイン様に送ったそうです」

「何だそれは……俺が言う立場ではないが、その、孫に対し残酷過ぎないか」
 
「カイン様の心に傷をつけることで、加害に対する迷いのなさを鈍らせようとしたのでしょう」

「……そういうことか、だが……」


 痛みを与えるタイプ躾、それの精神版か。しかしそれでもカインは自分に仕え続けている教師を傷つけた。

 俺の心を読んだかのようにアーダルは言葉を続ける。


「そうです、事件は又起こった。正しく語れば私が仕組み、引き起こしました」


 カイン様が祖母から絶縁された過去を軽く考えている訳ではないと思いますが。

 教師の言葉に俺は重く頷いた。

 カインは祖母に嫌われた事実を忘れてなどいなかった。自分が猫に対して行った仕打ちが原因であることも理解していた。

 それでも彼の中の断罪の獅子は、この王宮で牙を剥いた。


「……実はカイン様は、最初の事件以降屋敷内で小動物を傷つけたりしたことは一度もございません。けれど誰も安心しなかった」


 彼は飼っていた小鳥さえ、傷つけてしまうかもしれないと人に譲り渡したというのに。

 そう語るアーダルに、浮かぶ繊細な子供の姿に、切なさを覚える。


「そして、カインは再び罪に対し罰を下した。貴方たちの想定通り」

「残念ながら、その通りです」

「だけど、傷つけるまでしなくても、カインが激怒するのは当たり前だろう。そうは思わなかったのか?」

「当然思いました。だからこそです。御身の存在を前にすればカイン様の心に戒めはなくなるでしょう」

「何だと……?」

「今でさえ天秤が兄上に傾き過ぎている。このまま、何事もないまま、何も知らないままの次期皇帝殿下の傍にあの美しい猛獣を置くのが私は恐ろしかった」


 彼は子猫ではなく既に獅子なのです。アーダルの言葉に俺は口を閉じる。そんなことは実際殺されたことがあるから知っている。

 だがそんなことを話せる筈が無い。


「小鳥を襲った猫のこともカイン様はそれなりに可愛がっていらしたと聞いております。けれど躊躇いなく叩き落し骨を砕いた」


 同じことが人間で起きるかもしれない。怪我では済まないかもしれない。まるで予言者のように教師は語る。それだけで脳裏が赤く染まった。

 自らの死を止める為に動いた親友を拷問し心を折る為に眼前で自殺した黒騎士。

 別世界で俺に仕え俺の命を救う為に死んだカイン。

 きっと彼もリヒトを友人として大切に思っていた、その筈なのだ。それでも容赦しなかった。

 嫌なのは、そのことを知らないアーダルの目にさえカインはそういうことをしかねないと映っていることだ。

 俺は息を吐いた。


「カインの躊躇いのなさは、存在の順位付けにも原因があると思う。……きっと一番目と二番目以下の差がありすぎるんだ」

「仰る通りです。そしてレオンハルト第一皇子殿下、御身こそがその一番目であらせられる」

「……そうだろうな」

「兄弟で距離を置いていた頃ならまだしも、兄からの寵愛を得た今カイン様の中はその存在でぎっしりになっていらっしゃる」

「ぎっしり……」


 変な想像をしてしまい思わずうんざりした声を上げる。

 詰め物をされた鳥の丸焼きの人間版だ。色々な意味で不適切だろう。

 間抜けなのに猟奇的なそのイメージを頑張って頭から追い出す。

 そんな俺に対しアーダルは毒槍のような言葉を突き刺してきた。


「思慕が強い分カイン様の存在はいずれ、御身を独裁者にしてしまうかもしれません」 

「……ッ」

「御身に逆らうもの敵対するもの、馬鹿にするもの、賛美しないもの、全てを悪だと彼が判断したなら」


 この王宮は、この国はどうなってしまうのだろうと私は考えました。

 そう語る彼の眼はまっすぐに俺を見ている。試されていると、思った。


「籠の鳥を襲う猫を叩き落とした、そんなの何一つ悪ではない。猫も大怪我をしたが死にはしなかった。言葉での説明なら、全く大したことではない、そうは思いませんか?」


 アーダルの言葉に俺は沈黙をする。


「けれど屋敷の人間はきっとそれだけではないと思った。彼の姿を見たものはそう直感した。今回は小動物だっただけ、きっと彼は人間相手でも同じことをする……」


 そんな子供に生死を教える為に祖父は獣狩りに伴い、暴力への戒めで祖母は孫と会うことを止めた。

 そして知識という枷を与える為に幼い子供に教師がつけられた。


「カイン様はとても賢い方です。階級や人種で区別はしても差別はしない。しかしだからこそ、そんなものを判断材料に断罪の剣を止めることはないでしょう」


 私の言葉では彼の内面を変えることはできませんでした。異国出身の教師は口惜しそうに告げた。

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